日本諸島とガラパゴス諸島の同一性について

Title : 「ボクは充分漬け込まれたからこそ美味しいピクルスになれたんだよ」

 

 

世界が注目する先進国日本の『少子高齢化対策』。政府の万策は対策実行開始前から尽きていた。つまり、国体保持警戒態勢最高レベルを前にいともたやすく全面降伏した。

物語が始まる前に物語が終わっている。それはつまり?。

最初から物語などなかった、と子供はママから告げられてしまう。

え?、何が何だか意味不明?。確かに。具体的に説明させて頂きたい。

 

少子で更に高齢化。そしてそれは真っただ中状態。

経済が人生の基軸全てである日本人にとって、神とは経済成長の素顔である日経平均、教会は企業、牧師は政府、そして信者である大衆は労働力。

信者が数人の教会。あらゆる意味で深刻な事態。信仰心のない者は、そんな事実に無関心だし、関心ある者は神の存在を一層知らしめなければと躍起になる事だろう。

ひとつの宗教における信者に国籍など関係ない。ゆえにキリスト教の牧師達は世界中を旅した。

政府は外国人労働者に対して、異常に高い就労条件を提示する。結果として、当然のごとく、海外就労希望者は魅力的な就労条件を提示する他国へと流入する。

つまり、政府の思惑通りの結果が得られた。

日本は世界に類を見ない特殊な事情を抱えている。島国である我が国は、長きに渡って単一民族国家を維持してきた。ガラパゴス諸島の生物達が独自の進化を遂げたように、当然我が国も独自過ぎるほどの特殊文化を持つに至った。それはあまりに根強い。

西洋かぶれだ、との海外からの指摘は的を射ているが、それは日常生活における表面的で便宜的な様式のみに留められている事を海外の人々は知らない。

 

山や川、森や樹木それぞれに神が宿る、という宗教観。神道(しんとう)と呼ばれる。

日本人は、人より自然界に真理を見出す国民性を持っている。もちろん、そんなことを自覚している日本人は非常に少ないが、元旦に富士登頂し、神々しさに思わず手を併せるといったことは山岳神道、富士神道そのものである。

歴史的DNAが農耕民族だからというだけではなく、日本の自然界はあまりに美し過ぎる。豊かすぎる。ゆえに無意識の神道を日本人ひとりひとりが自身の中に持っている。

無意識の神道精神がささやく。神道とは日本そのもの、日本そのものとは、大多数が寸分たがわぬ単一民族(日本国籍有する者)の価値観でつながること、だと。

桜前線が日本列島を縦断する。それは神道列島の視覚的証明である。

日本人には無意識であどけない鎖国意識が今なお現存する。どんなに海外旅行が一般的になり、どんなに海外観光客を受け入れようとも、鎖国の歴史が培ってきたDNAは他国の人間に対して強い戸惑いを日本人達にもたらす。

差別意識ではない。民族の優越性でもない。ただただ、異文化を主張する人々にどう接してよいのか理解不能なだけだ。

政府は日本古来の歴史が脅かされ、民主主義と人権の名のもとに日本古来の伝統的国体が消滅することを病的なまでに怖れている。

深刻な労働力を海外労働者で補わなければ日本の将来はない、という事実を明確に認識しながらもなお、うち続くジレンマにさいなまれ続けている。

日本古来の国体が消滅するのであれば、海外労働力で日本を支えても意味がないではないか、と。