Title : 思考なき出会い
日本の出産時における母子及び胎児の死亡率は世界でも非常に低い。
歳を重ねるたびに死亡率は減少し続けた。医学と医師、病院が総力を結集して生命への灯火を引き継ぎ続けたからだ。
今年今月、再び幼児が餓死した。食物が掃いて捨てる程有り余る飽食大国日本でだ。これは特殊な事件でも何でもない。こんな事件が日本では多発している。報道を観て人々は心を痛め、数日後或いは数週間後にはその事件をすっかり忘れ去る。
育児ノイローゼで育児放棄に至る。決して容認できぬものの、これはまだ頭では理解出来る。
薬物依存の果て、アルコール中毒の果て、殺意なき殺人、或いは確信犯的殺人。これらも断じて許されざる物語ではあるが、理解の範囲を越えない。
母親の愛人は母親の連れ子が邪魔。ゆえに抹殺を試みる。稚拙な計画や手法で虐待を始め、これはイジメの範囲だから許されると自分に言い聞かせる。
思考能力のない人間のクズは毎日、連日、幼児を虐待し続ける自身の行為を微塵も振り返らず、この世には罪と罰があり、神と悪魔が存在し、現実と空想とがあり、愛と憎しみがあり、心と体があることなど全く知らずに育ってきた。
クズは快楽の為の生殖行為という本能のみに忠実で、クズに引き寄せられ交際を始める女性もまた同様の人間のクズだ。クズ男に捨てられたくないがために虐待を容認し黙殺し、愛の絆を決して断ち切るまいと意を強くする。
愛が何故クズに理解出来るのだ。生殖行為しか頭になく、その虜となり無駄に人生を歩んできたクズ。そのクズが子連れの女性と交際を始める。
一体、その子の存在を一体どんな風に、どんな具合に認識していたのだ。どうする心づもりだったのか。何一つ一切合切、世の中のあらゆる要素に関心を持たないケダモノが、一体その子をどう扱うつもりで同居を始めたのか。
一生懸命頑張りますから許してください、という幼女の全身全霊を賭けた懇願はいともたやすく却下され、遂には一生を終えた。可哀想にまあそれはそれとして他にもビッグニュースが目白押しの今日の番組構成ですよ皆さん。
ドラッグやアルコール依存症でもない正常な人間が、無抵抗な絶対的弱者の生命を、その子の世界全てを支配し殺人を犯す。逮捕された後も自身が正常な人間であるつもりで、捕まった不運に納得出来ない面持ちでいる。
憮然とし開き直った顔のクズ母親、何が起こっているのか理解出来ぬままボンヤリと連行されるクズ男。
日大アメリカン・フットボールの軽傷被害者選手の事件を執拗に追い続けるマスコミは、これらの幼児虐待事件の徹底検証、特集などほとんどしない。痛ましい事件が起こる度、単発的に報道し事件の本質に迫り再発防止の具体案を導き出す試みなど全く関心がない。
暗く気が重くなる報道は喜ばれない。スポンサーが怒る。誰も観てくれなくなる、聴いてくれなくなる、読んでくれなくなる、たまたまそういう鬼畜が居ただけのことだし、皆が皆そういう訳じゃないし、運が悪いとしか言いようがなく、まあ、今後二度とこういった悲惨な事件が起きないよう祈るばかりで、という姿勢。
ありとあらゆる意味合いに於いて弱体化を続ける日本。自浄作用がない、のではなく自浄作用など決して持ってはならないのだ。
おびただしい “ 不都合な真実 ” に激怒する人々の猛抗議が殺到し、各機関は正常な業務遂行が困難になる。つまり、触らぬ神にタタリなしという見解に至る。
未来より今日。沈みゆく無政府状態の様相を呈す日本の未来を、健全な状態に戻せる組織はない。リーダーもいない。
クズの母親は娘に結ぶ愛という意味の名前をつけた。
これに代表されるように、日本の現状は言葉の重みなき社会だ。言葉にさしたる意味はなく、無意識な弄びだけが見てとれる。
この記事は必ず侮蔑されるだろう。お前は何様だとそしりを受けるだろう。
何様でも何でもない。誇りを失いたくないだけだ。