ポーランドからのアクセス / 身内第一主義の病巣に関する投稿記事に対して

Title : 左右対称のカップ

 

 

先に投稿した全米オープンテニス女子決勝に関する記事に対して、最も反応が顕著だったのがポーランドです。他国の反応はほぼ通常投稿アクセス数であったのに対し、ポーランドだけが通常の30倍近いアクセスとなりました。

何か大きな理由があるのでしょう。ポーランドの方々にこの事実をお知らせ致します。

首脳会談の秘密 / 緊急時対応について

 

 

 

首と脳が話し合う以上、これはホラー系SFX映画と思われるが、世界中で常に話題になる事柄ではある。火事について話し合う緊急時対応テーマは重要だ。

首脳会談の同義語に口頭注意がある。火事の際、呼吸困難に陥らぬよう口を押え頭を低くして非難する、という意味だからだ。

 

 

 

距離を置く、とはガリバー旅行記を図書館で借りない、と直訳され、等身大の自分を冷静に見つめよう、の意味となる。

美顔器具の秘密 / 投げる秘密

 

 

ピンが石によって破損しないよう布に包む石は軽石が良いとされる。軽石なだけに飛距離が得られずピンまで届かない者が続出するが、それが醍醐味だ。

 


 

大昔は実際に貝が貨幣として流通していたが、それは中身のない貝殻。投資に使用される貝は生きていることが絶対条件。投資活動とはきのよいきをする貝を投げるということ。

営利目的、売名行為ではない純粋で歪んだ差別意識 / 身内第一主義を求める病巣

Title : 「ショック…」

 

 

ニューヨークタイムズは、2018年全米オープン女子決勝における観戦者であるニューヨーク市民に対して恥を知れと報じた。

全世界、今尚マスコミや著名人による差別発言は後を絶たず、発言のたびに物議を醸しだす。だが、それを狙って発行部数や視聴率を稼ごうとする思惑、有名人の売名行為などは非常にお粗末な行為だと嘲笑するが、理解は出来る。炎上を狙って記事投稿する愚か者達と大差などない。つまりは程度の低い営業活動だ。

退場する大阪なおみ選手を見下ろすポジションに位置するニューヨーカー達はみな一様に彼女を無視し視線を投げかけようともしなかった。連れと立ち話を無表情でしている。肌の色は関係ない。とてもグランドスラムの会場とは思えない。

これら観客には前述の営利的思惑がない。売り上げ狙いでもなければ売名行為でもない。つまり純度の極めて高い差別行為を行ったわけだ。

この差別行為は、彼ら彼女達が常日頃から慢性的にそうした行為を行っている決定的な証拠に他ならない。

営利とは全く関係のない差別意識は一体どのようにして形成される至ったのか。

難民に、不法入国者に、ギャングに、生命や財産を脅かされる。故に彼らを排除しようとする。この差別化、区別化にはある意味正当な根拠がある。

大阪直美の存在は、観戦者達に対してこういった脅威は当然一切存在しようはずもないわけだから、そういった観点からも観戦者達の差別意識には根強いものがみてとれる。

理由なきおごり。歪んだアメリカ第一主義。歪んだ地元意識。鼻持ちならない身内絶対優位主義。

かつてポールサイモンはOVERSという楽曲の歌詞中、

ニューヨークタイムズのように何もない(内容がない、の意)

と記したが、今回のニューヨークタイムズ記事は一矢報いた感がある。人として真意を語るべき時、売り上げ見込みを捨てる記事を選択した。

人としてのあるべき姿を捨てる第一主義。それはファシズムの種子だ。無意識、無自覚のまま日々を過ごせば何かの拍子に街で繰り返されるある種の事件が勃発する。小競り合いやデモで済む場合もあれば、悲惨な追悼式までいってしまうこともあるだろう。それらは種子が発芽し未成熟な状態で硬直化したのだ、と言え巧みな発育係の先導でもない限りにおいては危うさを保ちつつ現存を続けるだろう。

私は警告でもしているつもりなのだろうか。

分からない…。

何故、人に迷惑をかけても平気な自分になってしまったのか / 貴方や私に自分革命は起こせるだろうか

Title : もっとすごいはず

 

 

児童のランドセルが重い物になると8kg弱などと、関係各位は一体何を考えているのか。メーカー、両親、学校、それらことごとくが明らかに不作為の児童虐待者だ。

何てこと言うんだ!と反論する社会は既に常軌を逸し、何が正しく何が間違っているのかを正当に判断する能力を失っている。現にこんな問題で政府が介入しなければ事が改善出来ぬなど、もはや人情シュレッダー、末期状態に等しい。

私は5kgの米袋をレジに運ぶだけでも難儀だ。だが問題はそれ以前、児童イコール、ランドセル。

そんな無意味な伝統や象徴について何一つ考えることなしに、頬をバラ色に染め高価なランドセルを購入してあげる保護者は自身の生き方や物の考え方について最初から全部洗い直してみた方が良い。このブログを真剣に読み暗記しそうになるほどだ、を強くお勧めしたい。

でなければ、生意気だと罵られてなお一銭にもならない記事投稿を続けている張り合いがない。といいつつ、涙目でブログを続けて下さいねと先日私に言ってくれた5人の女子高生には感謝申し上げたい。

ひとたび成人してしまうと人は自身の物の考え方、それから派生する生き方をほとんど変えることが出来ない、といっても過言ではない。例えば、

学生だろうが職業従事者だろうが、遅刻をして叱責、口頭注意されたとする。問題だ。二度とないようにと釘まで刺された。寝坊の原因なら再犯の可能性高し。当然これまでより『早い時間帯に就寝、強力目覚まし時計添え』ということになる。何故睡眠が足りなくなるのか、就寝が遅れるのか。寝付けない、余暇にいそしんでいる、その他もろもろ。それらの要素を取り除く必要がある。

取り除くそれは、楽しみごとや苦しみごとだったりする。どちらも容易に排除出来ない、したくない、ことだったりする。だとすれば少ない睡眠時間でいついかなる時もガッツリ目覚める強い意志を持つしかない。出来ないのなら人に目も気にせず全力疾走で駅まで疾走する、自転車で暴走するしかない。

それを断行すれば社会に多大なる迷惑がかかる。

それでもやる人がいて新聞に載る。大抵はそんなことまでしない。

つまりは、こんな簡単な、遅刻しないようにする、ということでさえ達成不可能な大きな壁が立ち塞がってしまう。

まあね。でもそれってオオゴトではない話だよね。だと多くの人が苦笑いし、ああ今日は癒される話を聞いた、皆そうなんだなあ、などと晴れやかな気分になったりするのは全くとんでもない話だ。

一見単なる生活習慣の改善、という問題に聞こえるがそうではない。

社会人は、時間に、スケジュールに、縛られなければならない。という絶対認識がない。あれば慢性的な睡眠不足でも絶対に遅刻しない。

問題は、時間に拘束されなければならない、という意識の欠如よりも、何故そんな当たり前の常識を軽視するに至ってしまったのか、という原因の方だ。

時間厳守、には相手がいる。相手がある。守ってもらわないと不利益を被る相手がいるのだ。電車が途中停止したなどという外的要因ではなく、内的要因で頻繁に遅刻を繰り返しているという場合、

その人は第三者である相手を無意識に軽視していると考えるべきだ。非常に嫌いな相手で意図的に遅刻して嫌がらせをしている。ということでもない場合、おそらく誰に対しても相手を軽視する言動を繰り返していると疑っても良い。

そんなことないと思うけど…。という人がほとんどだ。自覚がない。

自覚があるはずはないのだ。相手を無意識に軽視している人は絶対的に相手の立場になって物事を考えてみる、という実験をしない。もし自分が同じことを何度もされたら?、などと考えてみることなど容易い実験なはずであるが、

しない。

或いは全く思いつかない。何故か。

自分以外の第三者を認識しにくく育ってしまったからだ。何故か。

自分と他の人は考え方や反応の仕方、何が重要で何が不必要な事柄かを判別する価値観、それらもろもろ、全て違う解釈をする、違う反応をする、という事実認識をことあるごとに体験、体感せずに育ってきたからだ。何故か。

幼児期、周囲の大人達がそうさせなかったからだ。何故か。

皆一緒。その無意味で人間物質化思想だけに幼児を当てはめ、すこしでも異をとなえようものなら即刻叱責してきたからだ。

どうしてみんなと一緒だと嫌なの?、どうしたいの?とやさしい口調で子供が委縮することなく意見を言える状況を摘み取ってしまったからだ。

大人の都合、大人の立場で子供を画一化の陳列棚に据え置いたのだ。

意見と意見がぶつかり合わなければ、交渉を繰り返さなければ、落としどころが分からない。落としどころが分からなければ、大抵人間関係はたちまち破綻をきたし決別の羽目となる。

相手の性格や性質が見えてこない。相手のソレが全く理解出来ないと言うことは、自分が自分を理解出来ない育ち方になってしまうということだ。

大人による児童虐待、大人や子供による弱イジメ、パワハラ、セクハラ、これら全ての案件はこのことと大きく大きく関わっている。

このことを整理し理解し解明し認識しない限り、世の中は一切合切良くならない。そればかりか益々病巣を拡げてゆくばかりだ。

 

余暇の制限時間を超えてまで熱中してしまう何かは、

“ 自分探しの本命そのもの ”

すなわち自分自身そのものの疑いがある。そうなれば、たかが遅刻の危険性くらいで行為を終了出来ようはずもない。

ほんの僅か自分を変えるくらい簡単な事。その通りだ。

ほんの僅かな部分が自身の大部分だと知らない限りには、流ちょうなことも言ってはいられる。

自閉症のカーテンが開く時 / 自分を美しく飾るはずの十代に捧ぐ

 

 

心の時代。

あえてそう言わなければならない程の問題にまで膨れ上がってしまった。日本の現状は先進国の中でも特筆すべき惨状だという。それを承知で、ボクらは声なき叫びに物悲しくカーテンを引いいてしまう。それを冷たい社会とする。それを冷たい人々とする。親族にも、友人知人にも冷たく拒絶される冷たい世の中とする。成すすべがないとする。仮に。

孤立無援な誰か。行き場のない閉塞感。追い詰められ後がない絶望感。

可愛い顔をした女子中学生。モテるだろうネと微笑もうとして血の気が失せる。彼女の手首に包帯。ただの怪我だと思う人も居る。手首と包帯の間にどうして野球ボールを入れているの?。

それは野球ボールではない。肉腫のように膨れ上がってしまった彼女の手首の皮と肉だ。リストカットの回数が3ケタを超えている証明。自分を美しく飾る事にだけ心血注ぐ美しい季節、十代のはずなのに。

 

壊れてしまう。あとほんの少しで完全に壊れてしまう。

だから何ですか。何か?。

 

実際に冷たい人は大勢いる。ボクは違うなど到底言えない。ただ、冷たい人もやさしい人も、壊れかけてゆく人を救う術を知らない。どうしたらよいか本当に分からない。自分で自分を傷つける心理を理解出来ない。自傷行為って言うんだってね。書いてあった。知ってる知ってる、TVで観た。拒食症、過食症、色々な名称の病気がある。沢山ある。どんなものかオボロゲに知っているものもあれば初耳なものもある。今後も色々、新たな病名が次々に登場する気配がする。

どの病気もそのほとんどが心の病。薬で症状を抑制する。完治は無い。

昔からあるアル中、アルコール依存症。酒害と呼ばれる。酒害となり意を決して断酒会に入りアルコールを絶つ。強靭な鋼の意志でそれを貫く。愛する人々を絶望の闇に突き落とした自責の念がアルコールとの闘いに負けない日々を過ごさせる。

全ての酒を断ち、気が付けば34年の歳月が流れていたという。彼はある日、人づてに愛する妻の死を聞く。34年会っていない妻の顔がどうしても思い出せない。

彼は泣き崩れ、顔を失くし、声を失くし、心が張り裂けるほど泣きに泣く。愛するヒト、自分と添い遂げる事に頷いたヒト、その彼女を殴り倒した。何度も何度も殴り倒した日々。酔いが冷めれば後悔する。酔いが冷める時など一切なくなった時、彼はヒトではなくなった。最後の骨のひとかけらさえ、最早ヒトではなくなった。愛するヒトを世界で一番傷つけて弄び得々とする化け物になった。鬼でさえ近寄らない化け物になった。

そして今、妻の顔を思い出そうと彼は酒をヒトクチだけ飲んだ。誰かがその瞬間を待っていた。凄まじいアルコール依存症の飢餓感がたちまち彼を飲み込む。たったひとくちで34年の苦労が粉々に砕け散った。死んだ妻が、自分の中に恐ろしい化け物を放り込みに黄泉の国からやって来たのだ。

こんな実話はいくらでもある。カーテンを開ければ見える。

 

 

◆写真タイトル / 影絵

 

 

 

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空中分解システム(17) / 伝染症候群 / その弁当、愛情を食べているのか憎しみを食べているのか

 

 

 

アスペルガー、自閉症、或いはその中間、強迫性障害等が半感染が如き擬似症状を見せることがあると書いたが、心の病がウイルス感染するなどといった馬鹿げた話ではない。

類は類を呼ぶ。というコトワザが在る。朱に交われば赤くなる、というのも。どちらにも中らない。果たしてこれはフォロワーの模倣か内在してきた症状が偶然誘発されたものなのか。

執拗なまでに母親の手料理に固執するS。Sの母親は特筆すべき働き者で、彼が学校から戻ってくると自宅へ通ずる居酒屋カウンター上には、いつもずらりと母親特性の料理小鉢が所狭しと並べられていたそうだ。美味しそうな種々雑多なオカズの匂いに目を輝かせるS少年。

「何か味見させて!」「ダメだよ、これはお店用なんだから。アンタのは冷蔵庫に入ってるからソレ食べな」

Sの母親は彼が中学時に病で他界。その後、彼は料理嫌いの叔母宅に引き取られ不味い食事を耐え忍んだという。彼はアスペルガーだったので業務関係は抜きん出て優秀だったものの、上司に疎んじられ海外転属となった。日本食とは似ても似つかぬ味気ないアメリカでの食生活。母親の手料理に異常固執する彼の病状は一気に加速した。彼は本当にアスペルガーなのだろうか。それとも強迫性障害なのか…。或いは、ただ手料理を母親の象徴とし、思い出を食べることに異常固執する人に変貌しただけなのだろうか。

本社配属となりSはWと出会う。2人は懐石料理店でデートを重ねるが、話題のほとんどはSからの一方的な質問ばかりだった。彼は専務の妻の手料理の話に関心を示し、Wの母親の手料理内容や料理中の様子、またWの手料理について執拗に聞きたがった。疲れて帰った時、優しい手料理が待っていると心が癒されるよね、と語るSにWは感動した。出来ない手料理も出来るが如く匂わせた。料理教室に通って、追々手料理を出してゆくつもりだった。

Sは、Wとの間にもうけた一人息子Tの親権を破棄、5年の結婚生活にピリオド打ち出て行った。

Wは元の会社に復帰しTを育てる。Tは小学5年生となり、一流中学に入学すべく名門塾に通い始めた。夕飯を共に出来ない母親達は我が子に手作り弁当を毎日持たせ、子らは塾で共に夕飯の弁当を食べるのだという。

夕刻6時までに飛んで帰り、Tに手作り弁当を持たせ送り出すW。全ての弁当具材は前日に仕込んでおく。どのお母さん達もそうだろう。だが、Wの作る弁当は毛色が違っていた。周りの子達が驚いて羨ましがる程のオカズの多さ。ご飯とは別にオカズだけの箱が2つも。その種類は最低十種、むろん全てWの手作り。

「自分のもTクンみたいにオカズを沢山入れてくれって子供がうるさくって困ります。まぁ~、よくそんな暇ありますね」

お母さん達にイヤミを言われてもWは一切そのスタンスを変えなかった。手料理制作に忙殺される母親を見て、息子は必要ないから普通にしてよと何度も懇願したがWは頑として聞き入れなかった。

Wは忙殺の日々、遂に壊れた。長期入院となりTは塾通い続行を断念。手料理を嫌う子にでもなったのだろうか、コンビニで買う夕飯は決して弁当ではなく必ずパンだったという。

 

 

以上、Wとの質疑応答によるものから抜粋。Wの本心は伏す。

 

 

 

 

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誰かその子を止めろ! / イジメの連鎖 (1)

 

 

ボク1人だけが手前勝手に呼んでいるものに “ 虎の威を借る狐症候群 ” というものがあります。虎の威信を借りて虎の如くふるまう巧妙な悪知恵の狐。キツネは確信犯でこれをやりますが、十代の子供は無意識にこれをやります。もっと厳密に言うと、“ 虎の威を借る ” のではなく “ 虎の威を模倣する ” のです。真似るのです。

ここでいう子供とは5歳から16歳くらいの子供のことを指しています。

子供達を見て下さい。ありとあらゆる流行に飛びつきます。最たるものは流行り言葉。いともたやすく覚えられ、即戦力で使えるからです。ウッカリしていて友達皆がソレを知っているのに自分だけがまだ知らず、それを指摘されバカにでもされようものならサァ大変!。慌てて覚えて即使用。自分と同じ、未だ知らないマヌケが居ないか、鵜の目鷹の目で探します。無意識に。自動的に。そして見つけたら早速、たった今、自分が受けた仕打ちをソックリ真似て標的をバカにします。ああ、これでチャラ。アーすっきりした!。

何故、自動的なのでしょう。あらゆる行為が自動的に行われてしまう程、その子の毎日の暮らしがすべからく自動的だからです。勿論、それを無意識に行っています。自動的に行うことは考えいらず。反射的、に近いのです。まるで本能。本能による自動的行為です。

本能による自動的行為とは何でしょう。生きるために覚えなければならないことの全て、それは模倣から始まります。動物でも高等動物であればある程そうです。

大人から教わる。身近な大人から学ぶ。親から、オジイチャンから、オバアチャンから、兄から、姉から、仲間から。教わる。覚える。学ぶ。覚える。学習を積み重ね成長を続ける。昨日出来なかったことが今日は出来ている。昨日知らなかったことを今日は知っている。それは自信となり次への学習意欲につながるのです。

仲間たちが当然知っていることを、自分だけが知らなかったという事実。焦る。動揺する。何故そうなってしまったのか、原因を血眼になって探す。無意識に探す。この怒りは、必ず、絶対、誰かにぶつけなければならない。

何故、その子は無意識とはいえ、そんなに強い衝動を覚えなければならないのでしょう。仲間たちが当然知っていることを自分だけが知らなかったという事実。別に。それがどうしたの?。タマタマなだけだよ。怒る?、どうしてそんなことくらいで怒んなきゃいけないのさ。?。という子もいます。

この極端な両者の違いは一体何でしょう。

怒りの矛先を執拗に探す子。この子は両親のどちらかを無意識に真似ているのです。お父さんかお母さん。その両方。稀にお兄ちゃん、お姉ちゃん。

仲間と常に同レベルである必要など全くない。皆は皆、自分は自分と考える子。この子も親を真似ている。必ずしも親兄弟、親族とは限りません。その子が常に一緒にいる誰か、親族同様、同じ影響力をその子に及ぼすことが出来る誰か。

動じない子は、怒りを抑えられない子より大人。冷静。その落ち着いた態度は、既に情緒障害を起こし始めている怒りの子には絶対許されざる存在に映る。自分より大人だ、自我が形成され始めている、などとは到底考え付きもしません。

大人しい。弱いに違いない。勝てる。こいつをイジメてやれ。

何故、イジメてやれ、になってしまうのでしょう。何故、極端に飛躍してしまうのでしょうか。

真似ているのです。両親を。その子にとって絶対的な存在である誰かを。真似ているのです。ただ真似るだけなので、イジメてやれ、に理由など必要ありません。こいつ、何の問題もありませんなんて顔しやがって!。

何の問題もある家庭。それが怒りの子の家庭。問題が深刻な家庭。その子は親を真似る。問題のある家庭そのものを真似る。ギスギスした雰囲気を真似る。一瞬、パパがママに対して見せた憎悪に満ちた眼。それが忘れられない。母親をかばったりしない。いたわったりしない。真似るのです。陰険な空気を自分の中に取り込むのです。哀しくて叫び出したい憤りを全身にまとい、その子は登校してゆく。学校には、教室には、その子が真似た成果を実践する相手が居るのです。必ず居る。何故って、仕立てあげるのですから。居ないはずはありません。どの教室にも、必ず居るのです。

 

 

◆写真タイトル / 選別されたトマト

 

 

 

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巨大な目に消え入りそうなお鼻とお口 / 緑の宇宙人と同じ比率

Title : サイレントモード

 

 

さくらももこさんの “ ちびまる子ちゃん ” をまともにTVで観たことはない。ただ、何かの拍子で番組に目が留まりそのキャラクター達に酷く驚き感動したことはよく覚えている。

近年の作品であるにもかかわらず、登場人物の顔がそれぞれ違う。それは余りに稀有なことだ。

さくらさんは人の個性、人ひとりひとりが、この宇宙で唯一無二のかけがえのない存在である、という事実にこだわっていたのではないだろうか。

子供向けだから、という考えなのか良く分からないが、登場人物の顔がみな一様に同じ、個々の違いは名前と服装だけ、などという漫画やアニメは多い。

そんな量産フィギア、人気キャラクターは男も女もみな美形揃い。皆主役でノープロブレム教育徹底でそれ自体は別に構わないが、彼ら彼女らの顔立ちに共通した特徴を見出すことが出来るのは興味深い。

目が巨大、それに反して鼻と口が極度なまでに小さい。

細いガラスのアゴは固いものを余り食さず、柔らかい物ばかりを食す日本人の現代的特徴で現実を踏まえているが、鼻と口は現実とはまるで違う。その比率が可愛さの基準だからとファンは口を揃えるのだろうが、違う側面も見てとれる。

匂いによる人生的要素に関心がない。語る事を重視していない。異様に小さな口は、本人が怒るなり笑うなりする時のみ別人のように巨大化する。主役脇役みな一律そのパターン。

無論、漫画なわけだから表情の誇張は当然だが、複数の作家がおしなべてこの傾向を自身の作品人物描写に用いる。

極度に小さな口が極度に大きな口になる。その落差、心理学的には内包するストレスの大きさと、現実世界、日常生活における発言力、その意志の希薄さ、コミュニケーションのなさ、とが同一人物の中に納まっていることを如実に示している。匂いは記憶や想い出と強く結びついているばかりか、過去の情緒や感情の詳細説明の記念スタンプであったりもする。

人相学で大きな鼻は生命力が強いとされるし、暗黒の深海では生物の目は退化するか極端に大きくなることは周知の事実。

人は自分に似る顔立ちを好むか、正反対の顔立ちを好むか伝統的には2種類といわれるが、いずれにせよ、

「滅多なこと口にしちゃなんねぇぞ」の封建社会下、浮世絵の歌麿の口は小さくない。

「欲しがりません、勝つまでは」の太平洋戦時下、愛国少年少女の挿絵も男子女子共にそれは決して小さくはない。

 

今は一体、どういう時代なのだろう。

日本の将来に残したくないもの百選 / 私達が自身の愚鈍さに気づくために / 不都合な真実百選とは

Title : 残り香

 

 

そもそも “ ゆとり教育 ” などというネーミング自体がおかしい。常にこういった耳障りの良い本質外れの名前を付けてけているのは一体誰なのか。考えもなく瞬時に飛びつき即刻受け入れる我々の安易さも反省すべきだろう。

授業時間を減らしただけで何故 “ ゆとり ”になるのか理解に苦しむ。

例えば、有給休暇という名称こそが “ ゆとり休暇 ”と呼ぶにふさわしい代物なのだ。と書けば、学生如きに “ ゆとり ” という名称を贈呈することの茶番が理解し易いように思えてこないだろうか。

若者は目一杯泥にまみれろ、労を惜しむな、未成年者世代にゆとりという言葉はふさわしくない、およそ似つかわしくない、と思う私はとんだスットコドッコイなのだろうか。

日本に残したい名曲百選だとか絶景百選だとか、やたらランク付けするのを好むのが我が国の特徴で、全面的に世界感覚から浮いてしまっている状態である事にも気づきもしない大和民族である。

何故百選がいけないのか、選ぶ楽しさを何故イチャモンとけて否定するのかと言われてしまうのであろうが、そういった何でもかんでもランク付けでオタワムレ、個人個人が持つ好みの趣きを統制するものの考え方だと気づきもしない稚拙さが残念無念。個性を重んじる海外の大人の国ではこうした子供じみた行いはほとんどない。

子供達がやる分には問題ないが、これを始めたのは大和民族の大人。何でもかんでもランク付け、選外は残念賞という誤った認識を児童達に日々刷り込むことに余念がないのは想像力不足の成せる業か。

何を重要視し残したいのか語っても意味なし。そんなものは人それぞれが抱くべきものだから。そんなものはベスト100なんて掲げるまでもなく人は皆先刻承知だから。

 

むしろ重大で重要で不可欠な洗い出しは、

 

将来に残したくないもの百選

だ。物質のことを言っているのではない。黒電話だのポケベルだの、不必要になって淘汰されるものは自然にそうなるわけで、残したいと言ってもメーカーは聞き入れてくれないわけで。

慣習や風習や必要悪、不必要善、などといった国の根幹にかかわる人間の無形動向を選ぶべきなのだと言いたい。何故なら、

将来にわたり子供達に残したい美しき日本

というのであれば、将来にまで残してはならない日本人の素行や言動の弱点を互いがハッキリと自覚し認識しなければ、その名に恥じない美しき日本には成り得ないからだ。美しき、というのが日本列島の景色の事だけを言っている訳ではないのだろうから。

今年の流行語だとか、ひとつやふたつの単語を取り上げて一年を現し話題性振り撒いても何の意味をも成さない。このような複雑な状況下において、世相を一文字で言い表せるはずもなし。結局は、これが今年のナンバーワンです、のムリムリ統制、やはり残念な子供騙しのベストテン感覚と言わざるを得ない。

太平洋戦争軍事化の日本において、軍人による民間人虐待の壮絶さなど全く知りもしない人は大勢いる。私は終戦遥か後に生まれた人間だが過去は学んだ。

要するに、イジメ問題などと近年の特殊事項のように語られているが、日本国は遠き昔よりずっと、イジメを肯定する社会であったのだ。

将来、残したくないもの百選は?。と聞かれ、お中元お歳暮。お金かかるし面倒臭いから。年賀状同じく。など暮らしの習慣についてはすぐ頭に浮かぶのだと思う。

よくよく考えてみるに、セクハラ、パワハラだのは残してはならないどころか即刻撲滅すべきものなわけだが、現実問題としてなかなかそうはいかない。凄まじき苦戦を強いられる闘いであることは誰しもが認識している。しかしこれらの行為は日本に限定されるものではない世界共通の悪行で犯罪。犯罪を残してはならないなど当然。問題は、法的には問題とならないことをよいことに確信犯で行われる行為や思想のことだ。

将来に残してはならないもの。探すべきだ。考えるべきだ。

そうすればやがて気づくはず。

10以上も思いつかないことを。

実は、それほど私達は愚鈍になり果ててしまっているのだ。ふざけるな!幾らでも思いつくぞ!謝れ!、という声が多数ならこれ程嬉しい事はない。いくらでも喜んで謝りたい。

しかしそれは蜃気楼に過ぎないのだろう。私達大人が愚鈍でないのなら、日本はこんなことになってはいないはずだから。