タダより高いものはない / 消えたヒットメーカー / 万人受けではないヒット曲の時代

Title : 創意工夫な感じ

 

 

囁く。ささやく。耳が沢山ないと聞こえない、という発想から口の横に耳を3つ。そういうステキな遊び心でこの漢字を誰かが作ったのであろうか。

噂。うわさ。尊敬、尊ぶの立派なツノ2本が無残にも折れて垂れ下がってしまった情けない感じ。人のウワサをいましめる発想で作られた漢字なのだろうか。

夢。目が横倒しになっている。寝ている時にみるのが夢だからだろう。今では就寝時に視るものというより、将来の希望や願望をさす意味合いが強くなっているようだが。

イマジネーション。想像力なしに、創意工夫なしに、真に新しい物は作り得ない。

無料ダウンロードで私達は気軽に名曲を楽しめるようになった。その恩恵に私は日々感謝せずにはおれない。一方で、

名曲を作る意欲が創作者達に失われ、ヒットメーカーがすっかり姿を消してしまった。印税が期待出来ないから。メシのタネにならないから。死に物狂いの創意工夫はお金なしには語れないシロモノなのだ。特に日本に於いては顕著である。タダより高いものはない、とも言えるだろうか。

ごもっとも。

命を救う歌 / 死にたい無力を生きたい気力に変えよう

Title : 泳いでも泳いでも泳ぎ足りない旋律の波をゆけ

 

 

かつてガロという3人組の才気あふれるグループが存在した。彼らは『学生街の喫茶店』という楽曲でブレイク、その後も表舞台の第一線で精力的な活動を続ける。ここで取り上げる楽曲はガロが全く無名だった頃の秀作『涙はいらない』。

 

花が散り始めて 夕日が燃える頃

さよならと 涙を流したあの丘

まだ若い2人は街に遊び 同じ夢を追いかけたのさ

その目に浮かぶ涙を ふいて笑ってごらん

その時こそキミが 大人になる時なのさ

涙はもう いらないよ 昨日はもう過ぎたの

涙はもう いらないよ

昨日はもう 過ぎてしまったの

 

花、夕日、涙、夢、と大の大人が聞くと陳腐な言葉のオンパレードで、「ま、ティーンエイジャー向けの歌なんてこんなモンっしょ」と苦笑まじりに言われるかもしれない。確かにそうだ。紛れもなく蝶よ花よの世界には違いない。

だが、この楽曲の持つ力は相当なものだと言ってよい。メロディーが付き、演奏が付き、彼ら3人が歌い始めると、この歌は美しき白鳥の羽根が舞い上がるかの様な心地よい空気振動をもたらす。

幼い者達に語りかけるかのようなハーモニーは甘く優しい。大人に成り立てでもあるかのような彼らの歌声は包容力に満ち、まるで血のつながった保護者の様でさえある。大人になる事への畏怖を払拭させ、逆に大人になる事への憧れをいざなうハーモニーだ。

 

稚拙な言葉が強力な説得力を持つ。それが歌だ。歌で癒され、慰められ、そして救われる。

ガロのひとり、優し気な眼差しの彼は、その後自らの命を絶った。彼にとって歌は救いにならなかったのか。よりどころには成り得なかったのだろうか。壮絶な苦痛は想像を絶する。その答えは彼本人にしか答えられない。

彼は「ちょっと出てくる。すぐ帰って来るから待っててね」と恋人に告げ家を出た。それが最後の言葉だった。

ボクはこの歌を命綱の様に聴き続けるひとりの女の子を知っていた。14歳のリストカッターはこの歌で生き延びた。そして、やがて奇跡の様に再生する。昨日が過ぎてもなお続く苦しみ。にもかかわらず彼女はこの歌を信じた。

歌の送り手側の最大の願いは、リスナーをあらゆる意味で救う事ではないだろうか。その意味でこの楽曲は見事な存在意義を証明してみせる。INGで。ボクには遠い日の出来事、それがまるで、つい最近の事の様に感じる。

だって、本物の優しさは色あせることが、ないから。

 

 

 

 

誰でも誰かに頼る / 誰でも誰かに丸投げする時代 / 民主主義の危機

Title : 「何だよ、アイマスク外したら色々見えるもんなんじゃないかー」

 

国会中継をラジオで聴いてると、日本のここがスゴイ、のオンパレードなんだネ。だって総理に質問する人、いっぺんに10以上質問するからネ。

総理だって、あらかじめ何を質問されるか事前に連絡受けてるから答えを全て用意は出来るけど、次々に色んな人がテンコ盛り質問するもんだから、総理一人が延々とアンサーという名の答弁独壇場。

実は私には、前々からドーシテモぬぐい切れない1つの疑いがあるのデス。

 

安倍晋三一強。その本当の核心的な理由は、

議論出来る、リヴェートが出来る人がホトンド安倍総理だけだから。

ではないかと。大臣達のお粗末極まりないシドロモドロ答弁や発言が諸外国の失笑を買う昨今、間違いなくコミュニケーション能力の欠落した議員が多いのは紛れもない事実ではないでしょうかネ。

田原さんの朝までナマTVだって、ほとんど大物と呼ばれる国会議員諸氏など待てど暮らせど出演なんてしてくれないじゃあアーリマセンカ。マ、大物議員なんてあんまりいませんけどもネ。

勇気ある本気印の方々はイツモ同じ顔ぶれ。世間からのバッシングも有るでしょうに、本当にやる気のある方々だと思います。

昭和の朝ナマは壮絶でしたネ。論客が入れ替わり立ち代わりチョウチョウハッシ、皆さん愛する祖国を少しでも良くしようと、涙ぐましい程に熱かったデス。

アイドルグループ何年か先に解散します宣言が国営放送のトップニュースになる日本、一体どうなっているのかと、私の周囲の方々も口を揃えて苦笑しております。ある人が云いました。

これは国営放送の公共電波私物化ではないか、と。

 

ベルリンの壁が崩壊し世界が湧く。再びアメリカ大統領が壁を築くと宣言する。

シャットアウトとは問答無用、切り捨てごめん。いいか悪いかの論議ではなく、

人と人とが思いをぶつけあわずに、かわし続けるのッて、シャットアウトとは違うのでしょうかネ。

アメリカは良い。壁を築くか築かないか、議論に次ぐ議論が巻き起こっている。政治家だけではなく、市民レベルでも。日本人は、

「歴史は繰り返す。以上」でオシマイ。もしかして日本人のグローバリゼーションて世界選手権だけなのかな。

 

今、日本の人達に蔓延しているのは、

誰かがやってくれる。だから、それ専門にやってる誰かに任せればいい。

投票で、当選で、任せられた議員さん達の多くは、またまた誰かに任せてしまう。そしてTV中継中を承知で堂々と居眠りしている。

有権者に見られたら大変だけど、大丈夫。誰も中継なんて見てないから。見てたら絶対眠らないハズ。次期も議員でいるつもりならネ。

何だオマエ偉そうに、と言われてしまいそうですネ。

ドシロウトが偉そうに評論家ぶるな。そういうことはプロに任せてシロウトは黙ってろ。

でもでも、皆がそうしたら、民主主義は、なくなってしまうんだけど…。

 

 

嵐の後の絶望感 / 政治経済問題が全て消え失せる程の大問題

Title : 解散してしマウス?

 

 

嵐が解散するという激震が日本列島を揺るがし、山積していたロシアとの領土問題や韓国との緊張感など、それらあらゆる問題など一瞬にしてフッ飛んでしまった。

それが証拠に国営放送はアイドルグループ嵐の解散をトップニュースとして報じた。ゴールデンタイムのトップニュースとは最も多くの人々が関心を持つ事柄。

確かに、我が国は少子高齢化社会。高齢者が圧倒的に多いからこそ、高齢者の全面的支持を集める嵐の解散が国家を揺るがす悲惨極まりないニュースとなったことも大いに頷ける。

オリンピックの経済的効果は皆無となり、諸外国のほとんどがオリンピック開催を敬遠する近年、開催に今後名乗りを上げる国もなくなってしまい、オリンピック自体が開催出来なくなり消滅してしまうXデー予想が公然とした世界常識になっている今、日本人は自国オリンピック開催に湧き、莫大な税金がつぎ込まれることを胸張って承認、来るべき栄光の祭典に胸躍らせているところに今回の解散宣言。

人々は悲しみに暮れ、人気の源である彼らの数々のヒット曲を子供から高齢者までが口ずさみガックリと肩を落としている。

各大学は、国語試験に出題され得る、

嵐の前の静けさ

の、嵐の〇の〇〇〇を

嵐の後の絶望感

を解答とする改定を発表するのではないかという私の予想はハズレてしまったものの、高齢者達に打撃を与えた今回の事件、ショックはあまりある。即解散せず、猶予期間を貰えたことだけが唯一の救い。彼らの出演番組やコンサート会場に詰め掛けるチャンスは十分に配慮してもらえたのだ。

嵐、フォーエバー!

選択肢という名の道しるべ / 日本人に再び力を / ゆるい人生は身を亡ぼす

Title : 日本人に力を

 

 

世界中、難民の人々が移動する。逃走する。そうして、やって来る。歓迎されないことを百も千も承知で、やって来る。案の定、石つぶて代わりの銃口が鼻先へ向けられる。父親は、母親は、怖さでしがみつく我が子を覆いかぶさるように抱きすくめ、そしてうなだれる。或いは目で訴える。どうか見逃して下さいと。口は開かない。兵士を怒らせるだけだ。ムシケラがオレと話そうと言うのか?。

日本人はその人達よりマシなのだから現状にガマンしろって話か?。

いいや、違う。全く違う。日本人はマシなんかではない。ずっとずっと彼らより低い。逆だ。彼らには選択肢と呼ぶには程遠い選択肢しかなく、私達にはそれがある。有り余るほどあり、その素晴らしさを認識さえしない。( 全ての日本人を指しているわけではない。当たり前の話だが )。

 

大学生は社会人ではない。その特権こそが、社会を良くするために自分達は一体どうするべきか、を学生同士が徹底討論するために使われるべき貴重な権利なのだ。学生ローンを奨学金制度と平気で呼ぶイカサマ社会に疑いひとつ持たない人間になるためには、誰から何をどうやってどんな風に学べば良いのか、互いに不安を覚えながら勇気をもって質問を相手にぶつけ合う。

空から最初に一滴。水面の波紋はやがてふたつに、みっつに。

波紋は呼応し、やがて幾つもの波紋連鎖は水面を叩く雨によってさざめきへと変貌する。

いつしか春闘は風物詩ではなくなり、ストで通勤電車が止まらないことに安堵する。

昔もそうだ。皆ストが回避されると安堵した。しかし、スト決行となっても、一抹の後ろめたさを感じながらグチッたのだ。

労働者の権利を賭けて組合が雇用者と渡り合っている。泣き寝入りで折れ、自分達の労働力を搾取されるか、それともストに突入して組織に金銭的打撃を与え勝利するか。

ストで通勤手段が絶たれ困ったと、確かに昔も言った。しかし、怒りはスト決行者たちには向けられなかった。

お互い様。

おもてなしという言葉より遥かに美しい日本人の美徳だ。

私を助けて下さい。私もあなたを助けます。忘れません。いつか必ず。

見知らぬ誰かと約束する。一度も会ったことのない誰かと約束する。ソーシャル・リンクで交信したこともない誰かと約束する。

 

自己責任?。そんなの当たり前だ。大人なら。

今、使われている自己責任の意味は、

係わってくんなよ。関係ないんだからなアンタとオレは。ちょっとでも面倒かけたら承知しないぞ。残念な奴だと言われたくないだろ。

つまり、現在使用中の自己責任という言葉は、

自己任意責めなさい、という意味だ。

大人なんだから、一人前なんだから、他人に頼るな当てにするな、は正しい。他力を一切期待するな、こっちだって一杯一杯なんだから、に間違いはない。

ボランティアの人々は真逆。

皆にボランティアに参加して欲しい、と言いたいのではない。

選択肢の無い人生、生き方、処世術をいつから身に付けましたか、と問いたいだけだ。

美味しいとこ取り。合理的な言動こそ楽。負担なし。便利。快適。

 

どんなに頑張っても世の中なんて変わらない。そうそう、変わらない。

選択肢があるのに都合よく無いことにして、世の中どうせ変わらんだろ、と言う。

一番ベストな選択肢を選びガンばったがダメだった。ほらな。結局はどうせ変わらんだろ、オレの運。人生。世の中。オレと係わる世間。

就職か奨学金で進学か。オレはちゃんと選択したぞ。私も複数企業からベストなものを選択して就職したヨ。やめちゃったけどネ。

そういう選択肢は日常有りまくる。みんな選択しまくっている。こっちの福袋とあっちのとドッチをワシ掴むべきか?!、と瞬時に判断している。

 

皆、日々選択している。決められた僅かな物の中から最良と思える物を選択している。キチンと出来ている。

選択肢BOXに無数の肢を入れるのは自分であって第三者ではない。もうこれまでに入れ続けてきたから、もう新しいのは入れない。オレという人間のヒナ型は決まった。これがオレ流、自分らしさ、だと満足気に頷く。

だとすれば、自分で幾つもの選択肢を考え実戦するということは、自分らしさの形成、あるべき自分の理想像の建設、ということになってしまう。

そんな素晴らしい事を何故やめる必要があるのだろうか。

皆が〇〇を持っている。だから自分も取り合えずソレを買う。ネットで調べてベストなものを選択した。

それは選択肢からの選択ではない。ただ、選んだだけ。

選択肢と選ぶは違う。

皆が持ってるからお前も買え。でないと話合わない。置いてかれるぞ。

と言われて買っただけ。相手に選ばされただけ。もっと言えば、任意強制され従っただけで、自分の選択肢など何処にもない。店に言ってネットで選んだものを買いに行っただけ。既製品の限られた製品の中から選ばされただけだ。

もちろん、全然それ自体悪くない。協調性も大事、資本主義社会での消費者たるも重要な役割。そんなことが言いたいのではない。

スマホを買い仲間外れにされず、共通の話題にツーカーで答えては笑い合い絆を確認すれば問題なし。問題はその先だ。

スマホという文明の利器オンリーとなる。

スマホがあるのでラブレターを書くなど有り得ない。笑い者になる。第一、メールだのSNSだの電話だの出来るのに便箋に封筒に…有り得ない。

スマホ持ってる意味がない。モッタイナイ。

つまりは選択肢を排除してしまった。都合のいい選択肢だけを残したのだ。

 

ある取引先の地方営業マンが、突然職場に来訪した取引相手に驚く。

「アレエーッー!!。さっきメールしたじゃないですかーッ!!。なんでまたワザワザ来たんですか、新幹線?、飛行機?」

アンタの顔がみたくてさ。

流石は人たらし、秀吉のマネかね。などと世間の大人は一筋縄ではいかない。いかないが、一度も来なかったAと何度も来たBとでは重みが全く違ってくる。それでも一度も来なかったAの方を条件が良いからと採用する場合も多々ある。

何度も経費を使って足を運ぶという決断をしたB。バカをみた、という選択肢を自分に与えるのか。社会勉強になったという答えを自分に与えるのか。

今回のは仕事上の単なる顔見せ作戦だったのか、或いはオレって人恋しい人間なのか。再び今回Aを選んだあの人と仕事で係る時、オレどうするのか。

 

また通うのか。もう  電話  だけで済ますの か

 

 

どちらの選択肢か。流石に二度目はこっちを選んでくれるはず、で通うのか。

 

 

実はこの時、ある重大な選択をしている。

 

あなたは一体どんな人間になりたいのか。

どんな恋人になりたいのか。

どんな父親になりたいのか。

どんな他人になりたいのか。

 

 

どんな日本人になりたいのか。

 

 

行き当たりばったり。面白くないから次からはこうでああで。得な方をいつも。臨機応変。

だってそれが大人。みんなそうだ。

 

社会は荒れてゆく。それが嫌だと、みんな言う。口を揃える。一体いつからこうなったのか。

だって、それが時代。それが大人。疑う余地はない。

 

皆、おびただしい無数の選択肢を葬り、或いは存在さえ気づかず、または毎回選択肢を選んでいるつもりで、

 

自分自身の可能性を折る選択をし、大人になった。

 

通常、押しも押されぬ大人になると、人は自分の選択肢シリーズを変えようとしなくなる。出来上がったボードこそが自分らしさと考え、余程の不都合が生じない限り、そのシリーズに安穏とする。

選択肢は日々バージョンアップさせるべきものだ。それが成長を続ける大人の使命でもある。

大幅に手持ちの選択肢シリーズを変更すれば、上書きすれば現世に居ながらにして “ 生まれ変わり ” も夢ではない。

自分を変えたい、と思う人は手持ちの選択の仕方、それを変えることだ。

怒った時、思わず「もういいッ!」が選択肢なら、

「どうしろっていうんだよ。言ってみてくんないかな」などと唇をムウムウと震わせながらも新たなるチャレンジの言葉を投げかける、とか。自分が新たな選択肢を使用すると同時に、相手の選択肢も聞き出す一挙両得作戦。

 

自分で選択肢一覧を作成し実行する。一番重要な選択肢、それはどれが一番効果的か、より、どれが一番自分らしいか、より、出来るだけ色々、沢山試せる選択肢、が一番合理的。遠回りしている様に思えるかもしれないが、何度でも実験する、試みる、試す。それらは事あるごとに修正を余儀なくされることだろう。

実験なんてたかだか2~3年、その僅かな時間が的確で正確な選択肢一覧を生む。そして恐らくその選択肢は、自分らしさは、

 

オリジナルで美しい。

 

 

 

★ 新規訪問者の方へ

新年にふさわしくない記事…。すいません、コレ、こういうブログなんで…。

 

 

 

 

 

 

 

センター前に落ちた球を拾えず / 厳しい試験結果 / 蛍雪時代をしのぶ

Title : 勝利のVへ、ガンバ連呼

 

 

今年もこの時期、毎年恒例のセンター守備試験が高校野球の名門校である椎名西東高校グラウンドで一発開催された。去年のライト、一昨年のレフトに続くセンター。鬼監督の千本ノックとあってかセンター前に落ちてしまうボールが拾えずガックリと肩を落とす選手が続出。

「本番の試合には出られないッスね、今日のザマじゃ。いいッス。一から勉強しなおすッス」

としゃくり上げるセンターの試験をクリア出来なかった補欠選手。

かつて、蛍雪時代という言葉があった。夏はホタルの光で教科書を読み、冬は雪明かりで勉強した、という意味だ。昔は貧しい人達の心の拠り所が学び舎であったが、

ホタルのオシリの光は教科書を読む為には1万を超える数を捕獲せねばならず、ホタルが甘い水を好むことから、川には毎年大量の砂糖が受験生らの手によって注ぎ込まれたことにより溺死するアリが続出、かき氷を作りたい者らは次々に川の水をくみに走ったものだ。そして忘れてならないのがカエルやザリガニのメタボ化。

また、雪明かりでの勉強は顔だけが真っ黒に日焼けし、過酷な勉強で目は落ちくぼみクマが出来た上、更に雪の冷たさで唇がシモヤケとなってしまい、受験会場はゾンビの群れさながら、地獄の様相を呈したという。

このように勉学とは非常に厳しいものなのである。

近年、ゲンジボタルやヘイケボタルの姿をめっきり見なくなったと嘆く方々が日本各地におられるが、それは受験勉強の為にホタルを乱獲した結果なのでは、と釘を刺しておきたい。

 

 

何、この記事。

既成の砂糖がなくなるという勘違い /聞き間違いにご注意

Title : きみが去った露天風呂にもたれ 落ちては溶ける雪を見ていた

 

 

既成の砂糖がなくなると聞き慌てて砂糖を買い占めに走ったわけだが、その店の店主と立ち話をしているうち、既成の砂糖がなくなるのではなく稀勢の里が横綱でなくなるという聞き違いが発覚、買った砂糖を返品しようとして言い争いになった。

ボクだけではなく同じ様な経験をした人は居ないと聞きホッと胸を撫でおろす。

横綱横砂と書くものだとばかり勘違いしている人は沢山いて、そういった人達に限って、横砂の得意技が真横から土俵の砂を目つぶしとして相手の顔にかけるものだと信じ込んでいるのだから始末に負えない。ボクシングにアッパーがあるように相撲にも下から上へまき散らす立砂(たてづな)というものがあるのだ。

目つぶしワザの横砂立砂で勝った場合のみ白星を星の砂と呼ぶという事をボクは長年知らずにいて恥をかいたことがある。我ながらウカツさ加減にアイソつかすが、ウカツといえばゴーン氏逮捕もそう。

思えば2017年の大晦日、ボクは例年ならガーンと聞こえる除夜の鐘の音がゴーンと聞こえていたのに深く考えずじまいだった。今にして思えば、あれは鐘が警鐘を鳴らしていたのだ。鐘なだけに。

ボク達はこんなふうに、いい加減に日々を過ごしている。強く反省したい。

 

先送り事項の終着駅 / バランスシートなし / 孤立無援時代の開幕

Title : 駅長アナウンス

 

 

ご乗車中の皆様へ 業務連絡いたします

当列車『先送り号』はまもなく 2019年本丸へとさしかかります

これより先は一切 先送りの出来ない時代、

終点でございます

長い間のご乗車 誠にありがとうございました

なお 終点駅『果て』から折り返し列車が出発することはございません

当列車は終点駅到着後 解体ドックへ入ります

長い間 ご愛顧いただきまして ありがとうございました

お忘れ物なきよう 終点駅所定の精算所にて

先送り等全明細書をお受け取り下さい

繰り返します

お忘れになっていた物すべてを お忘れ物なきよう

終点駅所定の………

コロンブスの卵とIT未来 / マックが先かケンタが先か

Title : ホールドアップかホールドダウンか

 

 

卵が先か、ニワトリが先か。コロンブスの卵。

私はこれまで、5~6歳の児童達に質問の答えを求められるたび、こう答えてきた。

「卵とニワトリよりマックのダブルチーズバーガーを食べる方が先。ケンタはその後でも良い」と。

どうせ最後には世の中の真理を伝えなければならないのなら早い方が良い。

IT未来、人類が受ける恩恵は計り知れない。ただし、ITの奇跡を味わうためにも、これまで同様にお金が必要。金額がものをいう。

IT賛成反対表明が先か資産を蓄えるのが先か。コロンブスの卵は永遠に答えが出ないが、こちらは違う。

考えている猶予は残りわずか。

こうなったらマックとケンタ商品を同時に買う。そしてダブチとチキンフィレ、どちらのバーガーも同時に口に入れるほかない。

ないのである。

成人式に乱入 / あわやアビバノンノン!

Title : 生まれた時から倦怠人だべ

 

 

〇 ukipedikyua〈ウッキーペディキュア〉

成人式

北京原人やネアンデルタール人の誕生からクロマニヨン人を経て現在の倦怠人に進化するまでを仮装行列で振り返る式典。日本では1月14日か15日をアバウトに成人式とし、毎年20歳を迎えた男女の若者達が、類人猿や人類猿、猿人類、人猿類の各種コスプレで故郷を練り歩く。

今年の成人式会場は例年より一層荒れた、と各地方紙が一斉に報じ列島は一時騒然となった。

中でも、広島ではヒバゴンと呼ばれる伝説の妖怪猿が成人式の行列に群れで乱入、式典に参加している若者達の顔に次々と水飴をなすりつけ転がるようにヒバ山に逃げ帰った。被害を受けた若者達は、鼻の穴に入った水飴でインフルエンザ対策をしたり、顔に付いた水飴に身近な冬眠アマガエルを飾り付けてみたりと現場は和やかさを極めたという。

道路には水飴を入れていたビニール袋が無数に散乱、袋には “ ビバ成人式! ” と印刷されており、軽視庁は袋発注者の洗い出しを全国クリーニング店に一斉要請した。

ヒバゴンに襲われた得手サリーさんは襲われてみて感想を吐露。

「私達のような倦怠人はモロいですね。サルではなくダルなんですから。筋力の弱さを十分に付け込まれました。自宅で作ってる浅漬け大根にイヤミのひとつも言ってやろうかと今思ってます。恐かったですね…、ええ」

★ 日本掲載新聞スポーツ3面より抜粋