美味しい物と楽曲歌詞 / 規制とクソマジメ

Title : グスン、絵空事ではダメですか?

 

 

 

世界各国、漢字に憧れる人は大勢いる。視覚的にカッコイイものや、たった1字や2字に込められた深い意味合いに感銘を受けたりして。

私達のように、根深い英語コンプレックスを持ち、なおかつ漢字生活を営む民族にとって漢字へのラブコールは大変に誇り高い気分になれる風潮である。

であるが、残念ながら、漢字は日本国固有のものではない。

日本国固有なものはひらがなであるが、こちらはサッパリ人気がない。ガックリ。

気を取り直すと、我が国の食は、漢字にも増して世界各国から絶賛の嵐。コアラのマーチや丸ごとバナナに驚愕し嬉し涙を流さんばかりに感動している外国の方々のお顔を眺めていると(YouTubeで)、大変満ち足りた想いである。おそらく大半の日本人は想いを同じくするのではないだろうか。

にもかかわらず、私には非常にゲせないことがある。出た、と思う方もおられるだろうが致し方ない。

日本人は美味しいものを隙あれば食べようとする。美味しいものに固執し執念さえ持ち、話題にする。

つまり、美味しいものをメガトン級に大事にしていて常に頭から離れない。

では何故、

歌謡曲やJポップなるものの歌詞中に、それがミジンも歌われないのか。

これほどまでに、世代間を越えて人々を魅了し,ポピュラリティーの権化でありメジャーな話題、それが何故、決して歌われないのであろうか。ヒットしないからか。

食べ物のCMソングは、その商品の宣伝なのだから当たり前、ここでは除外させていただく。

もしかして、食べ物を歌詞テーマにすると、一部でも取り入れると、

品が落ちる。ロマンチックでなくなる。特定商品を連想させてしまう恐れがある。などという思い込みが根強いのであろうか。

ポールサイモンはコダクロームのカメラでなければ美しい晴れた日を記録出来ない、と歌詞で歌い全米NO1ヒットを飛ばしたことがある。コダクローム社は本気でこの歌をTV・CMソングとして起用しようと考えたものの、ポールサイモンが承諾するとは考えられず断念した、というエピソードがある。

日本人は日本社会の規制体質を嫌うが、自由自在であるはずの流行歌歌詞に、自分達が最も愛してやまない食というジャンルを取り込まないのは残念というほかない。

リンゴをかじりながら

などというのはカッコイイので歌詞にある。歌詞は歌詞であって菓子ではいけないのか。

酒を飲みながら、も沢山ある。タバコは禁煙の流れで歌われなくなったのは納得出来るが。

例えば、

 

♪ スナック菓子が美味しくなくなったあの夜

だってポテチ食べてる時に 別れ話するんだもん

などと歌詞にすると全くロマンチックでなくなってしまい、笑われるからイヤだ。といったような考えを作詞者がするというのであれば、それは間違い。聞き手がジーンとするかグッとくるかは歌手の歌い方、メロディー、演奏で、いかようにも出来る筈。

いや、出来なければおかしい。何故なら、あらゆる表現方法を否定しない、というのが作り手の本分のはずで、

流れ星をふたりで見ながら、だとか甘いくちづけを交わし、などと使い古された歌詞を使いまわし続けて無難にアグラをかき続ける。

新曲が出来ましたと鼻高々、ファンも聴いて大盛り上がり。だけどアレ?。新曲なのに歌詞は新しくない、古臭い。などと、取り沙汰されることなどほとんどない。

みんな、歌詞なんてマジメに聴いてやしないのかな。

 

彼がお好み焼きに垂らしてくれたソース

キスの味より薄かった

とか歌うと、マジメにやれーッ!! と、確かに罵声を浴びせかけられそうな気もする。

日本人てクソマジメなところあるから。

この四角四面が、今の激動世界の中、1週遅れが2週遅れとなり…………。