エンピツが一本 / 坂本九 / 新聞配達少年の頃

Title : 中学生はみんなドラネコ

 

 

ボクの机の横の彼は、いつも鉛筆が1本だけだった。筆箱もなく、授業が始まると、芯先が折れないようにハンカチでくるみ輪ゴムで留めたそれを、ボロボロな手提げ紙袋から大切そうに取り出し使っていた。

その鉛筆はいつも、常に見事な出来栄えで削り上げられていて、鋭い芯先で刺されたら間違いなく出血するであろうと思われた。

「すごいね。カッターで削ったの?」

「お母ちゃんが削ってくれる」

彼はとても無口だった。幸いボクの教室には弱い者イジメをする者などいなかったので、友達のいない彼が標的にされることもなかった。

彼は昼食時になると決まって姿を消した。体育館裏の工具室の裏で弁当をかきこんでいる姿を1度見たことがあった。尾行して知ったのだ。

彼とボクは友達になってはいけなかった。

そんなはずもないのだろう。だが、授業中常にボクの右横にある彼の左肩は、ボクにそう切々と訴えている気がしてならなかった。思い込みだろうと思う。しかし翌朝目覚めた瞬間、不思議なことにそれは思い込みではないと確信するのである。

彼は午後の授業になると度々激しく体調を崩した。吐き気を必死でこらえ、我慢出来なければトイレから持ってきたトイレットペーパーを丸めたクシャクシャ玉に吐いた。先生に言って保健室に行こうよ、とボクは何度も彼のこめかみにささやくが、そのつど彼は必至で首を横に振った。

ボクはいつもおろおろする。

彼にとってボクは裏切らないクラスメイトだった。先生は彼の額の脂汗を知ることなく彼は卒業出来たからだ。

小学校を卒業しもう彼と会うことはなかった。彼と机を並べた1年をボクは忘れた。ボクは剣道部に入部し日々頭に竹刀を食らった。

 

中学3年の夏休み、ボクは早朝マラソンを始めるようになった。何日か経ったある朝、ボクは新聞配達をする彼と曲り角で出くわす。

彼の顔から嬉しさがこみ上げ、満面の笑顔と共に彼はボクを牛乳屋に誘った。それは言ったこともない近所の入り組んだ路地裏にあって、牛乳瓶を店先で飲ませるという。

「いくら?」「いいいい、ボクが誘ったからボクが出す」

冷たい牛乳を彼は美味しそうに一口飲み、

「いつも配達のあとに1本飲むんだ」

「新聞配達なんて偉いね。中学3年で雇ってもらえるんだ」

「うん…。知り合いのおじさんだから…」

彼は一瞬ためらう素振りを見せ、唐突に言う。

母と二人きりの生活、彼の母親は腐りかけた食物を何処かの店で貰い、それを煮てひとり息子の弁当箱に詰めていた。だから彼はしょっちゅう具合が悪くなったのだ。今は自分が働いてるからもう大丈夫、と彼は遠い目をする。

ショックで何も答えられないでいるボクに、彼は続けた。

「あの鉛筆が折れた時、くれたよね?、覚えてる?」

「え。……ああ……」

「あれ、使わないでしまってあるよ。机の中に」

ボクは彼と別れた。二度と出会うことはなかった。あまりの気恥ずかしさに偶然会うことすら怖れたのかもしれない。子供には、そんな訳の分からぬところがある。

そんな思い出があるせいか、この聴いたことのない楽曲がTVから流れてきた時、夕食を頬ばっていたボクは口にゴハンを満杯に詰め込んだまま、不覚にも突っ伏して号泣した。その姿を家族が驚愕の眼差しと笑い声で絶賛したことを今でも覚えている。

 

 

♪  鉛筆が1本〈浜口庫之助作詞作曲 / 坂本九 歌〉

 

鉛筆が1本 鉛筆が1本 ボクのポケットに

鉛筆が1本 鉛筆が1本 僕の心に

青い空を書くときも まっかな夕焼け 書くときも

黒い頭の とんがった鉛筆が 1本だけ