白黒つける / 正解はどれ?

Title : 呼び鈴が鳴ったんで魚眼レンズのぞいてみたらカワウソの宅配便だったわ。正解お届けに来ましたですって!、やあね!

 

 

何かを得れば、何かを失う

という言葉が、いかにも顔で世間をサーフィンして久しかった。

何かを失えば、連動してジュズつなぎに色々失う。

それがまさに今、INGレイワだ。

 

正常な弱肉強食ではなく、最初っから強食者が弱肉者のみを育てる社会システムに未だ気づかない人は比較的幸せな人だと言える。

ただし、本人が感じている “ そこそこ幸せ ” という感覚には永続性がない。

それはそうだ、老後資金にいくら必要だ、だとか、年金受給開始年齢がいくつ?、だとか、勿論そういったモロモロはある。

ここで言うのは人間の生き方の問題だ。

生き方といっても、職業だとか結婚だとか、そういった経歴的な暮らし方の話ではない。

例えば、ホームレスの人が川っぺりで小さな花壇を作り大根を育てているとする。

ホームレス狩りをして楽しむか、微笑みつつ通過するか、ごていねいにも大根の種を買ってお届けしてしまうか。

ホームレスに将来の自分の姿を重ね合わせてみたりするのか、ふとそう感じた時、一瞬でその考えを抹殺するのか。ホームレスなんて呼んでは失礼だから、と思い彼らの姿を見なかったことにし、これで失礼はなかったと安心するのか。

正解はどんな対処でしょう?

今の日本社会は1から10までがこの論法。正解は?、何?、早く言って。

「そんなふうに、世の中すべからく白か黒かで判断なんて出来ないよ」といった意見もよく聞かれる。耳を傾けていると、その先に続く発言がない。白黒の決着なんてつけられない、以上。で終わってしまう。

これは、「とりあえず~しといて」という発言と同じ。

つまり、本題のキモは先送りする、ウヤムヤにする、と同じ意味だ。時間稼ぎ、という急場しのぎの作戦などという上等なものではない。

自分の今後の人生(自分のことが色々と分かってきはじめて自分を味わえるようになる人生)を、今より少しでも確実に満足度アップさせたいのなら、今すぐ

正解だけ教えてよ。細かい事いらないから。正解だけ知ってりゃソレに合わせるから。

という自滅への片道切符を捨てることだ。

今の正解は明日の不正解。

この地域ではそれが正解だが、あっちの地域ではそれが不正解なのだから。

受験以外、正解は?、なんてコダワリは捨てるべきだ。社会は受験会場、クイズ番組スタジオではない。

 

PC検索サイトに嘘の情報が含まれていると激怒し、ブラウザーを攻撃する人がいるが、全くのマトハズレ。何故なら、 “白黒つける / 正解はどれ?” の続きを読む

自分だけは大丈夫 / 自分だけは特別 / 仮想自我

Title : どしたらいいの?

 

 

「自分だけは大丈夫だと思ってるんで(笑)」

よく耳にする言葉。耳慣れてしまう程、近年まかり通る。

根拠が全くない。発言する本人も、それを聞く周囲も、それはそういうものだと知っている。

論理的な、理詰めで物事を考える人間は、そういった人達の発言を冗談で言っている、と捉える。しかし、それがどうやら本気だと知って呆れかえる。それはそうだ。そんな人間はアベンジャーズにだって存在しないのだから。

 

何故、自分だけは違うと本気で思えてしまえるのか。

向こう見ずという言葉が在る。例えば、向こう岸が火の海。向こうを見なければ泳いで向こう岸に行ってしまえる。普通は見るので、そんな愚かなことをする人はいないはずなのだが。

向こう岸が火の海。その中で逃げ遅れ助けを求めている我が子がいる。死を覚悟で向こう岸に向かう親。これは同じ自殺行為でも向こう見ずには該当しない。全てを論理的に理解した上で、起こりうる結末を考えるからこそ、自分の命と引き換えにしても良い、という明確な決意の結果の行動なのだから。

無鉄砲もそう。銃弾飛び交う戦場に、鉄砲も持たずに飛び出してゆき、銃を持つ相手に飛びかかる。

 

何故、自分だけは大丈夫だと思えるのか。

自分が自分自身の存在を認識していないからである。

カニは自分が魚とは全く違う生き物だと認識していない。自分がどういう生き物なのかも分かっていない。ただ生まれつきの本能に従って行動しているだけだ。

その日に釣り上げられた魚は、イケスの中で、その日エサなど絶対に食べない。自身が異常事態下にいることを察知しているからだ。

ところがカニは違う。イケスの中で魚を襲って食べている。つまり、自身が今、危険な異常事態下にいることを理解出来ていない。

カニには向こう見ず無鉄砲といった言葉は適用されないし、該当もしない。

 

「自分だけは大丈夫」と思い、実際に向こう見ずな行動がとれてしまう人は一体どうしてそうなったのか。

 

何も考えないでいられる環境で育った。

自分が何ひとつモノゴトを考えなくても、何一つ問題なくやっていける環境下で育ったのだ。

親が全部やってくれる。或いは、誰かが自分の代わりに物事を決めてくれる。その状況に全く疑いを持たず育つ。楽でいいやと思う。

TVのバラエティー番組もすべからく手取り足取り、幼稚園児に対するような番組作りをしている。何も考えずに、ただボ~ッと観ているだけで良いように作られている。

質問形式でよく問題が番組内で出される。質問された側は、ちゃんと考えたと言うが、実際は、考えたのではなく、その答えを自分が知っているかどうか自分に対して確認しただけに過ぎない。

「どうしてこの人は、そうしたかったのでしょーか」

「そーしたかったから(笑)」

ウケ狙いが全ての現代日本において、このようなオチャラケ発言はバカにされることもなく、日常生活上、スンナリ受け入れられる。ところが職場では当然のことながら全く通用しない。怒られてしまう。その結果、ただそれだけのことで会社を辞めてしまう。

つまり、ありのままの自分をさらしても大丈夫。どんな相手に、どんな場所でさらしても問題ない。何も不都合など生じない。と本気で考えていた人の敗北だ。

自分だけは大丈夫。いや、違った。全然大丈夫ではなかった。

一度だけの経験ではなかった。自分だけは大丈夫なはずが、何度やっても、何百回やっても大丈夫ではなかった。却下された。全否定された。誰も、良きに計らってくれない。

自信を失くす。どこで間違えた?。おかしい。こんなの有り得ない。どこでなら問題ない?。どこなら平気でいられる?。

買い物症候群。お客様の自分は、どの店舗でも神様扱いされる。

ゲーム中毒。ゲームの中では自分は最強の戦士。

引きこもり。部屋の中では外敵は存在せず、自分だけが王様。

 

沼。底なし沼。苦痛もなく、自分らしく沈んでゆくのなら、それがいい。そんな思いは、そんな教訓は、自滅への最短距離だというのに。