ともだち(1) / ボクの心を揺さぶるキミは誰だ

Title : ひとり帰る道

 

 

小学4年進級前の春休み、誰もいない校庭片隅、物悲し気な薄暮の中、非常にブザマに鉄棒逆上がりに興じる1人のエテ公の姿が…。

息上げ、渇き切った喉に唾液を送り込めない苦しさにも負けず、歯を食いしばり唸り声上げ、とりつかれた様に繰り返し逆上がりに挑戦し続けるサル。よくよく解像度を上げ覗き込めば、それはボク。少年の頃のボクではないか。しかし、腕まくりした両腕は既に限界に近付いていた。力がスッポリ何処かに落っこちた感がある。

「そんなふうにケツを放り投げてちゃダメだよ」

突然の声にド肝抜かれ振り返ると、見知らぬ小学生が穏やかな微笑浮かべ佇んでいる。ボクより背が高く、ボクよりかなり痩せていて、髪は短いながらもハリネズミのように放射線状スタンダップ。

「自分の全部の体重を前に放り投げてるだけだよ、それじゃ。オレだって回れないよ。腕をしっかり曲げて…」

彼は隣並びの鉄棒を両手で掴み、澄んだ目で正面を見つめながら

「こうやって両腕を胸にピッタリ張り付けてサ、ケツは前に放り投げないで、ケツは鉄棒の真上に放り上げるつもりで、回るッ」

くるっ。 すとんッ。

何という鮮やかさ、軽やかさ。こんな見事で美しい逆上がり、恐らくオリンピックでもなければ見る事が出来ない代物だ。

「もう1度。…………よく見てて」

土を蹴り上げる音、着地する音、ほとんど聞こえぬ軽やかさ。

「やってみて」

ハッと唇を噛むボク。誰だか知らないけど、いきなり恥を晒さなければならないなんて。何だよもうッ。でも、もう見られてるんだし…。

エイヤッ!。

クルッ。 スタンッ!。

「あっはっはっはっは」さも嬉しそう、真っ黒に日焼けした彼の顔から並びい出る真っ白な歯。それは速度を上げゆく夕暮れの中、スマホの明かりそのままに…。

いともたやすく逆上がりが出来たことに一瞬キョトンとするボクのドングリマナコを見て、流石に温和な彼もこみあげてくる笑いをしばし止める事が出来ない様子だったが、やがてゆっくり腕組みをして

「もう1度やってみたら?。念のため」

「うん。…やってみる…」

クリッ。  ストムッ。

「やったやった」彼は穏やかに小さな拍手をするとニコニコしながら

「オレ帰る。キミは?。もうだいぶ暗いよ」

「ボクも帰る。逆上がり出来たから」

二人は並んで小学校の門を出、長い直線の坂道を下る。ジャリッ、ジャリッと互いのジャリ踏み鳴らす音が妙に大きく耳に響く。沈黙に耐え切れず意を決して口をきるボク。

「30分くらいやってもダメだったのに、教えてもらったらすぐ出来た…。学校の授業でボクだけ出来なかったから…………良かった」

彼は頷いていたのだと思う。その顔をチラと見やったが、まったりとした夕闇がほとんどそれを妨げていた。

坂を下り終わると、道はそのまま続く直線と山へ入る左坂道とに分かれている。当然真っすぐに並びゆくかと思いきや、彼は唐突に

「オレ、こっちだから」と真っ暗な街灯なしの道を指さす。

「えっ」だって山だよ!、と言いかけ言葉を飲み込む。

「オレんち、山を突っ切って向こう側に出た方が早いから」

そう言って微笑む彼に曖昧に頷くボク。じゃあ、と彼は軽く片手を上げると漆黒の闇坂に向かってゆく。それは空恐ろしい光景に見えた。闇が子供を見下ろすや、待ちかねたかのように覆いかぶさり包み込み、やがて満足げにゆっくりと飲み込む。白い上着と黒い半ズボンが消失した途端、ボクは向こうにチラチラまたたく人家の明かり目指し一目散に走り出していた。恐いよぅ。

何をバカなッ。舌打ちをして一匹の虫が草むらで鳴き始めた。虫の音色は、こう聞こえた。

ありがとう、言ったのか?