Super star / The Carpenters

Title : My bird

 

 

Don’t you remember , you told me you loved me baby

You said you’d be coming back this way again

Baby , baby , baby …  I love you , I really do

 

忘れた? 私を愛してるって言ったじゃない

この道を戻って来るからって

そう言ったじゃない

愛してるの 本当に心から

What do we do / Gilbert O’sullivan / Alone again

Title : heart broken

 

 

It seem to me that there are more hearts broken in the world

That can’t be mended left unattended

What do we do What do we do

 

◇ Alone again

 

 

ボクなんかより もっと傷ついている人達は沢山いる

心の傷も 癒されないまま ほったらかしにされて

皆、どうしたらいい? どうしたら

Somewhere / Westside Story

Title : Dog & Cat (マリアとトニー)

 

 

Someday, somewhere

We’ll find a new way of living

will find a way of forgiving

somewhere …

 

There’s a place for us

Somewhere a place for us

peace and quiet and open air wait for us

somewhere …

 

 

いつの日か 何処かで

2人が新しく出直せるような方法を見つけて

許し合うんだ 何処かで

 

そういう場所がある

二人にとって “ 何処か ” という場所が

穏やかで静かで 開放感のある

“ 何処か ” がボクらを待っているんだ

 

モッちゃんザ・グレート / 処世術は身を助く

 

 

ボクの海釣り相棒、ネコのモッちゃん。オスの野良猫で、釣り人に人気の堤防エリアが縄張り。ちょっと見、イタリアのダンディ・ブラザー思わせるダテヒゲ模様が鼻の下。眼の色は大好物アジのコガネ色。ボクが勝手に名付けたモッちゃんはモッサリした毛並みが由縁。釣りの最中、ボクとモッちゃんは頻繁にアイコンタクトを執る。向こうの眼力パワーが凄くって、思わず顔を向けるから目と目がいつも会ってしまう。その神秘的ではないコガネ色は、いつナンドキでもこう語る。

“本日はお日柄も良く、ネコが食べるにはちょうど良いサイズの魚各種が頻繁に釣れることが予想されております。にも拘わらず、万が一にも釣れそびれる様な事態を引き起こしますと周囲の方々、とりわけ小動物に大変ご迷惑をおかけするようなことにもなりかねませんので、心して緊張感と自覚、責任感を持って釣りに集中くださいますよう、重ねてお願い申し上げます。 敬具   平静△△年△月△日釣り座代表雑種猫モッ”。

ネコは大きな魚を噛み分けて食べることが出来ません。人間にとっての食べ頃サイズのアジ、ネコにあげても食べてくれません。新鮮釣りたての美味しい匂いがするアジをもらっても、悲しいかな食べられないのです。

モッちゃんとてノラのツワモノ、威信にかけて少しカジってはみるものの、全く歯が立たずウロコが数枚はがれ落ちただけ、という光景を最初の頃は何度か見ました。不思議とそんな時、こちらを見ようとしません。

せっかく貰ったのに申し訳ないと思っているのか、食べられない自分の能力を恥じているのか分かりませんが。とにかく、ネコが食事を楽しむことが出来る魚のサイズは10~15センチまで。

モッちゃんは小さい頃に人にイジメられた経験があるのか非常に警戒心が強く、さりとてオサカナは食べたいわけで、当初、人が侵入出来ないフェンスの向こうから顔だけチョイ出しして、「ミャン」(何かある?)でした。

ボクがやたらとモッちゃん、モッちゃんと気安く声をかけるようになり、小雨で釣り座に誰もいない時、シーズンオフでボクらだけの時、やっと釣れた小魚をフェンス越しに貰う、といった経験を重ねるうち、モッちゃんの、ボクという人間に対する警戒心、不信感も少しづつユルくなっていったようでした。

ある時、最近釣り座で姿を見かけるようになったオジサンが声をかけてきました。

「そのネコ、アンタが飼ってんの?」

「いいえ。何で?」

「いや、いつも一緒に釣りしてるみたいだからサ(笑)。でも置き去りにして帰ってるから不思議だったんだよー」

なるほど。しかし、“ やはり野に置けレンゲ草 ” でしょう。

最近、モッちゃんに変化が出始めました。いつもはボクの傍でゴロンゴロンしたり、竿の傍でイワシやアジ、サッパが釣れるのを辛抱強く待っているのですが、近頃はボクに釣果がないと、いつの間にかいなくなるのです。

アレッ?、アイツどこ行った?。食事を摂らずに帰るはずもなし、第一、夕暮れにはまだ早すぎる…。

アッ!。遠くにいました!。何やら若い女性釣り師3人に食べ物をもらっている様子。明らかにコビを売っているのがアリアリ。ボクが置き竿にしてソッチまで歩いて行っても、彼の非常に近くを横切っても、知らん顔。珍味の小アジを旨そうにカリカリやっています。

チェッ!。ネコのくせに処世術ってか!。

 

◆写真 / 釣れた大きなメジナ、大き過ぎて食べられもしないくせに、未練がましく指くわえて(くわえられませんが)見ている滑稽ネコの図。

 

 

スタンばる右腕 / 女性を知ろう / 空中静止するパスタ

 

 

 

“ 男性と女性は違う生き物である ”。巷でよく耳にする言葉。ボクがそのことを改めて思い知ったのは、とあるパスタ屋での光景。

好物のボロネーズを食べ終え、コーヒーを飲みながらスマホをいじっていたボクは、華やいだ若い女性同士の会話に何気なく顔を上げた。

ボクの正面テーブル、OLさんとおぼしき2人が、渓流を早い速度で流されてゆく鈴の様なデュエットで、リンチャチャリンと会話に夢中。

ボクの眼は髪の長い女性の右腕に釘付けとなった。

彼女は、パスタが美しく巻き採られたフォークを右手に持ち、それを自身の口の前にかざして今にも食べようという仕草。しかし5~6秒さりげなく見ていたが、その状態は硬直化したまま。

いかん!、これ以上見ていると不審者に思われる。ボクは再びスマホに目を落とし、ニュース記事の続きを…。30秒は経っただろうか。ボクはさりげなさ装い顔を上げる。

まだ食べていない!。さあ食べるわよ、口にパスタを入れるわよ、のスタンバイのまま、パスタ巻かれたフォークを口の前にかざしたまま、話に夢中!

まさか、最初に見た時のままなのだろうか。いやいや、ボクが目を落としている間にソレは食べられ、今僕が見たフォークはその次のものに違いない。

ボクは尚も巧みな泳がせ目、次なる一投をかたず飲んで見守る。1ヒットで満塁逆転サヨナラという緊迫した場面に全身が硬直する思いだ。とっさに腕時計を見やった。彼女のスタンバイ状態が長いことを想定し好奇心が沸いたのだ。

そこから93秒。パスタは何かの祈祷かマジナイの様にかざされたまま、決して彼女の口に入ることはなかった。

パスタにしてみれば、それだけ長きに渡り高見から店内を一望し続けられたのだ。さぞ見分が深まったことだろう。

男同士なら絶対にこんな光景はあり得ない。たちまち相手から「何やってんの?」だの「早く食えッ。気になるッ」と叱責される。

やはりそうか。口の前にフォークかざし続ける彼女の右ヒジはテーブルに付いている。長時間スタンばるには、そのポーズしかない。

自分は早く食べたいのだが話を切れず、しゃべり続けることを余儀なくされた、という風でもない。むしろかざしたフォークの存在を完全に忘れ去っているようにも見える。

男にこんな真似は無理。気の長い男でも無理。暇を持て余して摂る食事でも無理。無理無理無理無理、絶対断じて無理。

などと考えているイトマもなく、彼女はさも楽しそうに相槌を打ちながら、器用にパスタをフォークにクルクル。

アッ!すぐに食べた!!

その瞬間、かつて味わったことのない程のさわやかな春風が、ボクの頬を軽く平手打ちし、きらめく陽光がボクの眼を射抜いた。まぶしさに耐えきれず目を伏せるボク。アア、アア、そうかそうか、そうなのか!

女性は辛抱強い。野郎どもなど敵(かな)いっこない。男なんてセッカチ過ぎてダメだダメだ!。

それにしても、何という美しいフェイントだったのだろう!。一瞬のスキをついた鮮やかな盗塁!。などと考えながら会計を済ませ、ふと入口横のノボリを見ると、

“ 春のパスタフェア ” の文字。

なるほどねぇ。それで春風だったわけね…。それにしてもアノ硬直化…。やっぱり少し、クラッとする。

 

●写真タイトル / 男と女

 

 

王様と象のありがたいお話 / 耳栓夜一夜物語より抜粋

Title : 気高く誇り高き者達

 

 

「頭の良い象よ。お前は耳の奥に埋没してしまったイヤホンを除去してくれと、何故ワシに頼まん?。もう3日になるであろうに…。除去が怖いのか?。うん?。ワシがいまひとつ信じられんか」

その様に王様は象にお尋ねになられた。すると象は、

「イヤホンが耳栓になっていること気づいたのだ。片方だけだから音は聞こえるし、半分の音声になって丁度良い。お前の声も小さくなって最高だ」

「お前って誰じゃ。……ワシのことか?」

「他にいないからな」

「流石に馬鹿な考えをするものだ。はっはっは。さすがアニマル」

「アニマルって誰だ。…もしかしてオレのこと言っているのか」

「他におらんじゃろう」

「二階の妃の部屋にオランウータンとオウムが居るであろうが」

「何でそんなことをお前が知っているのだ。二階へは上がれないくせに」

「二階へ上がれない?。誰が」

「お前に決まっておるだろうが。お前と話しておるのだからな」

「オレと話してる?。誰が」

「ワシに決まっておるだろう。他に誰がおる」

「後ろに妃がいる」

「えっ?。いつの間に来たのだ妃よ!」

「いつの間に来たか?。誰の事を言っているの?」

「お前に決まっておるではないか」

「だってアナタも象もここへ来てるじゃないの。いつ来たのよ」

「さっきだ」

「私もさっきよ。あなた方はいつのさっきよ」

「お前の前のさっきだ。待て。あなた方とは誰の事だ」

「王様と象よ。他に誰がいるのよ」

「お前だ。ワシらは人間だからアナタ方は分かる。しかるにワシとアニマライズされておる象を同等に扱ってアナタ方とは侮辱だ。訂正せよ我が愛する妃よ」

すると象が、

「愛する妃?。じゃこの間、お前が見知らぬ女と愛し合っていたのを河畔で見かけたが、あれは誰だ」

「…………………」

 

 

増殖する過剰防衛 / ひとつだけの物の見方 / 損する生き方

Title : ゴメンねダーリン

 

 

深刻な便秘で死ぬ可能性のある赤ン坊。我が子のおしりに鼻先を突っ込んで便を吸い出そうとする母親。医師のいない山村の片隅で住人達は危機を乗り越えた赤ん坊に歓喜の涙を流す。

男手一つで自分を育てた父親の収入源が便所掃除だという理由で、すれちがいざまに偶然触れてしまった父親の衣服のおぞましさに、触れた自身のヒジの肉をナイフで削いでしまう息子。

新築マンションに越してきた当日、台所でゴキブリの姿を見て翌日賃貸契約を解約した独身女性。

雨あがり、片手に持った傘の先を後ろに大きく振りながら後方の通行者を威嚇し続ける人。

自分はどうなってもいいからと身を投げ出す人と、他人などどうでもいいから、とにかく自分と考える人。

いついかなる場合でも、いついかなる場面でも、とにかく自分、とにかく自分だけ。という考えの人は、必ず自分自身に復讐されるという、誠に損な役回りを選んだ人だ。

彼女が帰宅して台所に入る数秒前に、タッチの差でゴキブリが排気口の中に消えていた場合、彼女にとっての真実は、ここは清潔な新築マンションであって、ゴキブリなど存在しえない、というもの。 “増殖する過剰防衛 / ひとつだけの物の見方 / 損する生き方” の続きを読む

悩み多き年頃 / 老いも若きも悩みましょう / 答えよりプロセス

Title : 今日、カサ持ってくかどうか悩まないでいたら、カサが怒って手の届かないとこ行っちゃったんだけど、どうしたいいいかな

★ ベストアンサーに選ばれたカサからの答え

今度からは、キチンと悩んでネ

 

 

中高生の学生諸君に向かって、よくこういう言葉が投げかけられる。

「悩み多き年頃だもんネェ~ッ!(笑)」

言われた本人、周囲の人々、みな一様に納得。ウムウム。青春ド真ん中だもんねぇ~。と。

しかし実際のところ、現実は全く違う、とまでは言わないが、かなり違う。カレーライスと言えばルーが多い、ライスカレーと言えばライスが多い、といったフィーリングを持ったりするが、それと同じで現実は違っている。

カレーライスもライスカレーも、カレーとライスの比率の差で呼び方が変わるわけではない。

ちょっと考えれば、たちまち10代も中年も壮年も悩み多き年頃であることが分かる。いやむしろ、チョンガーである独身者である10代より数多くの責任をしょわされる大人達の方がずっと悩みが多いに決まっている。

では、何故わざわざ青少年諸君に向かって「悩み多き年頃」などと言葉を投げかけるのだろうか。

 

青少年は多き悩みの一つ一つに対して真摯(しんし)に、ひたむきに、おろそかにせず、ないがしろにせず、真っ向からガップリ四つに組んで取り組みなさい、という軽口アイサツに見せかけた重低音激励メッセージなのである。

ひとつひとつの悩み事に、最後の最後まで答えが見出せなかったとしても、重要なことは、答えが見つかったことではない。宝探しとはワケが違う。

ああでもない、こうでもない、と堂々巡りしつつも悩み苦しんだプロセス、その積み重ねが本物の大人を創り上げるのである。

自分はすぐにクヨクヨする性格だ。そんなふうに生まれついた。

と言って、ただ気分的にクヨクヨしているだけ。

よりも、

どうしたらクヨクヨしないで、心を前向きに奮い立たせることが出来るだろう、と考えに考え、その結果、ついに打開策が見いだせずに結局いつも通りクヨクヨしてしまう。マジメに考えた分だけ、一層ガッカリしてしまいクヨクヨしてしまう。

何だ、結果は同じか。結局クヨクヨか。

そうかもしれない。

しかし、力強いクヨクヨはやがて、成長と共に、ある日、突然に目からウロコ、大化けすることがある。

力なき、ひ弱なクヨクヨは、常に消え入りそうな自分を持て余す。

 

大人は自分の身にふりかかる多数の悩み、そのひとつひとつに向き合わない。向き合えない。

時間がないし、疲れているし、責任という明日が待ちかまえている。

だから、最重要な悩み事だけに取り組みを絞る。

しかしそれも、

若い時分に悩みぬいた日々あればこその結果。成果。

つまり、

何が最重要で、何が黙殺かの選択に、

間違いがない、ということだ。

白黒つける / 正解はどれ?

Title : 呼び鈴が鳴ったんで魚眼レンズのぞいてみたらカワウソの宅配便だったわ。正解お届けに来ましたですって!、やあね!

 

 

何かを得れば、何かを失う

という言葉が、いかにも顔で世間をサーフィンして久しかった。

何かを失えば、連動してジュズつなぎに色々失う。

それがまさに今、INGレイワだ。

 

正常な弱肉強食ではなく、最初っから強食者が弱肉者のみを育てる社会システムに未だ気づかない人は比較的幸せな人だと言える。

ただし、本人が感じている “ そこそこ幸せ ” という感覚には永続性がない。

それはそうだ、老後資金にいくら必要だ、だとか、年金受給開始年齢がいくつ?、だとか、勿論そういったモロモロはある。

ここで言うのは人間の生き方の問題だ。

生き方といっても、職業だとか結婚だとか、そういった経歴的な暮らし方の話ではない。

例えば、ホームレスの人が川っぺりで小さな花壇を作り大根を育てているとする。

ホームレス狩りをして楽しむか、微笑みつつ通過するか、ごていねいにも大根の種を買ってお届けしてしまうか。

ホームレスに将来の自分の姿を重ね合わせてみたりするのか、ふとそう感じた時、一瞬でその考えを抹殺するのか。ホームレスなんて呼んでは失礼だから、と思い彼らの姿を見なかったことにし、これで失礼はなかったと安心するのか。

正解はどんな対処でしょう?

今の日本社会は1から10までがこの論法。正解は?、何?、早く言って。

「そんなふうに、世の中すべからく白か黒かで判断なんて出来ないよ」といった意見もよく聞かれる。耳を傾けていると、その先に続く発言がない。白黒の決着なんてつけられない、以上。で終わってしまう。

これは、「とりあえず~しといて」という発言と同じ。

つまり、本題のキモは先送りする、ウヤムヤにする、と同じ意味だ。時間稼ぎ、という急場しのぎの作戦などという上等なものではない。

自分の今後の人生(自分のことが色々と分かってきはじめて自分を味わえるようになる人生)を、今より少しでも確実に満足度アップさせたいのなら、今すぐ

正解だけ教えてよ。細かい事いらないから。正解だけ知ってりゃソレに合わせるから。

という自滅への片道切符を捨てることだ。

今の正解は明日の不正解。

この地域ではそれが正解だが、あっちの地域ではそれが不正解なのだから。

受験以外、正解は?、なんてコダワリは捨てるべきだ。社会は受験会場、クイズ番組スタジオではない。

 

PC検索サイトに嘘の情報が含まれていると激怒し、ブラウザーを攻撃する人がいるが、全くのマトハズレ。何故なら、 “白黒つける / 正解はどれ?” の続きを読む

自分だけは大丈夫 / 自分だけは特別 / 仮想自我

Title : どしたらいいの?

 

 

「自分だけは大丈夫だと思ってるんで(笑)」

よく耳にする言葉。耳慣れてしまう程、近年まかり通る。

根拠が全くない。発言する本人も、それを聞く周囲も、それはそういうものだと知っている。

論理的な、理詰めで物事を考える人間は、そういった人達の発言を冗談で言っている、と捉える。しかし、それがどうやら本気だと知って呆れかえる。それはそうだ。そんな人間はアベンジャーズにだって存在しないのだから。

 

何故、自分だけは違うと本気で思えてしまえるのか。

向こう見ずという言葉が在る。例えば、向こう岸が火の海。向こうを見なければ泳いで向こう岸に行ってしまえる。普通は見るので、そんな愚かなことをする人はいないはずなのだが。

向こう岸が火の海。その中で逃げ遅れ助けを求めている我が子がいる。死を覚悟で向こう岸に向かう親。これは同じ自殺行為でも向こう見ずには該当しない。全てを論理的に理解した上で、起こりうる結末を考えるからこそ、自分の命と引き換えにしても良い、という明確な決意の結果の行動なのだから。

無鉄砲もそう。銃弾飛び交う戦場に、鉄砲も持たずに飛び出してゆき、銃を持つ相手に飛びかかる。

 

何故、自分だけは大丈夫だと思えるのか。

自分が自分自身の存在を認識していないからである。

カニは自分が魚とは全く違う生き物だと認識していない。自分がどういう生き物なのかも分かっていない。ただ生まれつきの本能に従って行動しているだけだ。

その日に釣り上げられた魚は、イケスの中で、その日エサなど絶対に食べない。自身が異常事態下にいることを察知しているからだ。

ところがカニは違う。イケスの中で魚を襲って食べている。つまり、自身が今、危険な異常事態下にいることを理解出来ていない。

カニには向こう見ず無鉄砲といった言葉は適用されないし、該当もしない。

 

「自分だけは大丈夫」と思い、実際に向こう見ずな行動がとれてしまう人は一体どうしてそうなったのか。

 

何も考えないでいられる環境で育った。

自分が何ひとつモノゴトを考えなくても、何一つ問題なくやっていける環境下で育ったのだ。

親が全部やってくれる。或いは、誰かが自分の代わりに物事を決めてくれる。その状況に全く疑いを持たず育つ。楽でいいやと思う。

TVのバラエティー番組もすべからく手取り足取り、幼稚園児に対するような番組作りをしている。何も考えずに、ただボ~ッと観ているだけで良いように作られている。

質問形式でよく問題が番組内で出される。質問された側は、ちゃんと考えたと言うが、実際は、考えたのではなく、その答えを自分が知っているかどうか自分に対して確認しただけに過ぎない。

「どうしてこの人は、そうしたかったのでしょーか」

「そーしたかったから(笑)」

ウケ狙いが全ての現代日本において、このようなオチャラケ発言はバカにされることもなく、日常生活上、スンナリ受け入れられる。ところが職場では当然のことながら全く通用しない。怒られてしまう。その結果、ただそれだけのことで会社を辞めてしまう。

つまり、ありのままの自分をさらしても大丈夫。どんな相手に、どんな場所でさらしても問題ない。何も不都合など生じない。と本気で考えていた人の敗北だ。

自分だけは大丈夫。いや、違った。全然大丈夫ではなかった。

一度だけの経験ではなかった。自分だけは大丈夫なはずが、何度やっても、何百回やっても大丈夫ではなかった。却下された。全否定された。誰も、良きに計らってくれない。

自信を失くす。どこで間違えた?。おかしい。こんなの有り得ない。どこでなら問題ない?。どこなら平気でいられる?。

買い物症候群。お客様の自分は、どの店舗でも神様扱いされる。

ゲーム中毒。ゲームの中では自分は最強の戦士。

引きこもり。部屋の中では外敵は存在せず、自分だけが王様。

 

沼。底なし沼。苦痛もなく、自分らしく沈んでゆくのなら、それがいい。そんな思いは、そんな教訓は、自滅への最短距離だというのに。