Title : 飛沫の長雨
最近のアンケート調査の結果では、何と日本人の約7割が バチがあたる という言い伝えを信じているそうだ。都市伝説+田舎伝説ひっくるめての大人達からの教訓。
昨日、小学1~2年の子が、横でスッ転んだ友達に向かって
「ほら、バチがあたった!」
とはやし立てているのを見てふと思ってしまったのだが、
コロナ蔓延は果たして罰(ばち)が当たったのだと言うことも出来るのだろうか、と。
ドひんしゅくを買いそうな思い付きだが、いくら自分の考えを素直に述べることさえ許されない共産主義国家のような認識の国民が闊歩する日本国とはいえ、ここはインターネットの世界。
つまりは、世界中の130か国を超える人々が私の記事を読んでいるわけだからにして、日本人にどう思われようとも幻想に満ちた児童的な空想仮説をチラと述べさせていただきたい。
おひとり様、引きこもり、友人知人とのコンタクトは直接ではなくメールで。
などという人格形成に不可欠な成長過程を完全に否定したものの考え方を実行した未成年者、大人と言う名前の威を借る大人子供達。それを金儲け第一主義のもとにこびへつらい迎合し許した社会。
バチがあたった
1人がいいんでしょ?。他人はウザイんだよね。情緒的に人に係わるのは重いんだっけ?。エモいのはパスでしょ?。
だったらスキンシップなくしてあげるね。人と人が係われない社会にしてあげるよ。ウィルス感染と言う大義があれば皆一緒。
手と手を取り合わなくても自分だけ変人てもう思われないから自己嫌悪に陥ることもないし、四六時中マスクつけて顔を隠してても誰も怪訝な顔をしないもんね。これぞ神様仏様のおもてなし!。
そーだそーだ。そうしよう。感染蔓延で済みやすい世の中にしてあげるよーん!。
とはいえ、コロナを経験して「自分にとって本当に大事なものは何かわかった」という人も多いというが、無意味な単独行動にNOと痛感した人は果たしてどれだけいるので消化。
ばちがあたるは自業自得、自己責任は自業自得、罰が当たるは因果応報。なのに日本では全部ひっくるめて自己責任。
コロナ禍以前に見た光景が鮮やかに思い出されるネ。小学1~2年の女の子が3人、公園の砂場に並んで座っていた。みんな黙ってスマホをいじっていた。それさえあてがっときゃ問題ないだろ、の親はヒドイが、この親にしてこの子あり。
あてがわれたって、砂場に来てんだから、お砂遊びのひとつもやってみりゃいいのにネ。
今年の夏、今年の8月の猛暑は殺人的。だけど、この殺人的猛暑の中、オリンピックは行われていたんだね!というタブーはTV人誰も口にしない。
裸の王様、の逸話。それは日本人の毛嫌いする五輪(いつわ)。
日本人のDNAをけなしちゃヤダヤダってね。