騙されましょう 聞かぬふりして 許してあげる / 涙の密度

Title : 蒼 (あお)

 

 

彼女は若く美しかった。抜ける様に色が白く、化粧映えする顔は演劇研究所でも一際目をひき、同性達の嫉妬心を常にかきたててやまなかった。

彼女が舞台の夢を捨て商社に入社したのが23歳。入社後半年、丸の内の商社合同慰安パーティー会場、銀に真紅の花を散りばめたチャイナドレス姿で現れた彼女の姿を男達誰しもが追った。

翌年電撃結婚、寿退社。

彼女が最愛の夫の浮気を知ったのが2年後。元同僚の女友達が教えてくれた。嘘ではない証拠は友達の誠実な性格。

夫がみじんも気づかない程、彼女は度重なる配偶者の裏切りの事実を葬り続けた。泣きはらした顔は午前様の夫と向き合う頃には屈託のない温かな笑顔にすり替えられる。

 

結婚5年後、彼女のスキルス性癌が発覚。手の施しようがない末期状態だった。

その夜、愛妻から絶望的事実を告げられた夫は、怒りを噛み殺し呟く。

「何でだよ。こんな貧乏クジをオレが引くなんて」

彼女は息さえ出来ない苦痛を最後の力で押しのけ、絶え絶えに囁く。

「でも…。あなたが引くの一度だけだよ。一回だけで済むよ。すぐに終わるから。ごめんね」

 

 

 

一度だけなら許してあげる 好きなあなたの嘘だもの

騙されましょう 聞かぬふりして許してあげる

 

 

◇「一度だけなら」山口洋子作詞 / 猪俣公章作曲 / 野村真樹 歌

だけど身体は動かない / これ以上は走れない

 

誰でも幼い頃に夢をみる。大きくなったら。大人になったら。

他愛もない気持ち。微笑ましい淡き夢。

少しずつ大きくなってゆく。それは続く。

どんな夢を視る?。

誰かみたいになりたい。

誰かみたいなことをして 誰かみたいに扱われたい。

 

それじゃダメだ。

それをするにしても

それは、キミみたいじゃなくっちゃ。

 

 

 

◆僕にさわらせておくれ

(戸田良子 / 作詞、大杉文雄、二村健二 / 作曲) ピンク・ピクルス

 

僕にさわらせておくれ 君の甘い唇

僕にさわらせておくれ君の唇

草にかかった露を拾って

つけてあげよう その甘い唇に

 

 

もどかしく掴み取れない夢。憧れ。願い。季節が巡るたび、それはハッキリとした形を成してくる。

完全に消失してしまい存在していない、という形。

ひしゃげていて使い物にならないと分かる形。

かろうじて無傷ではあるものの呼吸が弱く頼りな気な形。

もう一度立て直す?。もうこりごり?。諦める?。無謀と言われたら?。

 

 

 

◆さらば青春 (小椋佳 / 作詞作曲) 小椋佳

 

僕は呼びかけはしない 遠く過ぎ去るものに

僕は呼びかけはしない かたわらを行くものさえ

見るがいい

黒い水が 抱き込むように流れてく

少女よ 泣くのはおやめ

風も木も川も土も みんなみんな たわむれの口笛を吹く

 

 

 

黒いものを感じる年頃を迎える。やたらとドス黒いものの気配を感じる時が多くなる。自分は一体どうしてしまったというのだろう。これまでの自分とは明らかに違和感のあるこの気持ち…。そしてその後、ほどなくして突如知る。

大人になってしまった、と。

 

 

 

◆想い出の樹の下で (阿久悠/ 作詞、筒美京平 / 作曲) 岩崎宏美

 

あなたは今も 覚えてますか 誓いの言葉の数々を

私はそれがたった一つの 生きがいみたいに抱いてます

信じましょう 信じていきましょう

たとえ はかない思い出としても

何故かいつか あの樹の下で 逢える気がするのです

 

 

 

男性より夢を持ち堪える(こたえる)期間が長い女性。子供を授かり、子供を育てなければならない彼女。神様は、男性よりも長く夢を持ち堪えられる力を彼女に与えた。託したとも言える。それを子供に引き継がせなければならないから。彼女の力は子供に及んだか。どう及んだか。やがて答えを確認する。その子がどうなったかを。どう育ったのかを。

 

 

◆おまえだけが(伊勢正三 / 作詞作曲)

たとえ この世界で一番きれいな人が

僕を好きだと言っても

たとえ この宇宙で一番きれいな星を

僕にくれると言っても

僕は何もいらない

お前だけが お前だけが お前だけが いてくれたらそれでいい

お前の優しい笑顔が そこにあればそれでいいのさ

 

僕とお前の可愛い子供が生まれたら

写真を見せて言うんだ

これがパパとママの若い頃の写真さ

どうだ今も変わらないだろうと

朝日がもう差し込んでくる

お前だけをお前だけを お前だけを愛しているから

夜がとても短すぎて 愛を語り尽くせない

 

 

 

矢で射抜く者がいる。何を。誰を。的は何処にあるのか。防御出来るのか。

人生は長く短い。矢で射抜く者が見える。或いは見えない。

一人では無理だ。一体どう防御するべきなのか。

 

楽曲『一人の道』は1964年東京オリンピック男子陸上マラソンで銅メダルを獲得し、その後自殺した円谷幸吉(つぶらやこうきち)に捧げられたものだ。

 

 

◆一人の道 (今江新三郎 / 作詞作曲) ピンク・ピクルス

ある日走ったそのあとで 僕は静かに考えた

誰のために走るのか 若い力をすり減らし

 

雨の降る日も風の日も 一人の世界を突っ走る

何のために進むのか 痛い足を我慢して

 

大きな夢はただ一つ 五つの色の五つの輪

日本のためのメダルじゃない 走る力の糧(かて)なんだ

 

父さん許してくださいな 母さん許してくださいな

あなたにもらったものなのに そんな生命を僕の手で

 

見て欲しかったもう一度 表彰台の晴れ姿

だけど身体は動かない とっても もう走れない

これ以上は走れない

 

 

 

◇円谷幸吉遺書 (最後部抜粋)

 

幸雄君、秀雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。

父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。

何卒(なにとぞ)お許しください。

気が休まることもなく 御苦労、

御心配を お掛け致し 申しわけありません。

幸吉は 父母上様の傍で

暮らしとうございました。

 

 

日本人選手が晴れ舞台で優勝を飾る。インタビュアーが聞く。

「次の目標は何ですか」

「次も優勝、期待していいですか ?!(笑)」

「最後に全国の応援してくれた皆さんにひとこと!」

 

 

 

選手達の胸の内を察すると、いつもボクは泣く。

 

 

 

◆写真タイトル / 描き残した夢

 

 

 

 

 

 

離婚歴三回 / 好きだった人 / かぐや姫楽曲に見る具体的歌詞の在り方

Title : あのねぇ、吸水性の高いこの手ぬぐい、二枚目なの

 

 

近年のJポップ楽曲歌詞に見られる残念な傾向、という前日の投稿記事の補足参考として、具体的な要素満載の歌詞、その典型例を紹介したいと思う。

共に ♪  なごり雪 ♪ で知られる伊勢正三作詞によるもので、南こうせつとかぐや姫というグループ名になる前の作品。つまりは無名に等しかった初期の作品である。

 

 

離婚歴三回 歌 / かぐや姫

 

冷蔵庫の様に冷たくて  カツオブシのように堅くて

針金の様に細くて  ゴキブリの様に忙しく

健さんのように強くて  カマキリの様に恐ろしい

彼女が最初の奥さんでした

 

ざるそばみたいにさわやかで  キャバレーのようにあでやかで

蛍光灯みたいに明るくて  クリープみたいに色白で

ふんどしみたいにかろやかで  かぐや姫みたいにグラマーな

彼女が二度目の奥さんでした

 

長嶋さんのように燃えやすく  茶碗蒸しの様に冷めやすく

入れ歯の様に味気なく  出前の様にじれったく

タクシーの様に憎らしく  天気予報の様にあてのない

彼女が三度目の奥さんでした

 

 

勿論、今の時代に聴くと問題である言い回しや表現が多々見受けられるが、この時代(1970年入口あたり)には何の問題にもならなかった。

自分はその人(歌中の恋愛対象相手)の事を良く知っているから聴く人にも思いが伝わるだろー的な独りよがりな歌詞に満ち溢れる昨今の楽曲。作り手の思いなど説明してもらえなければ赤の他人である私達に伝わりっこない。

怖い人だった、だけではどう怖いのか全く分からない。ゴキブリの様に、カマキリの様に、でアアなるほどね、と初めて伝わるのだ。

人に真意が伝わらない歌詞は歌詞ではない。独り言の呟きでしかない。

 

 

 

 

◆ 好きだった人

 

好きだった人  ブルージーンをはいていた

好きだった人  白いブーツをはいていた

好きだった人  ステテコもはいていた

好きだった人  Tシャツが似合ってた

失恋という言葉は知ってたけれど

失恋という言葉は知ってたけれど

 

好きだった人  金魚すくいがうまかった

好きだった人  ヤクザ映画に誘ってくれた

好きだった人  アベレージが102だった

好きだった人  ハンバーグを食べていた

失恋という言葉は知ってたけれど

失恋という言葉は知ってたけれど

 

好きだった人  強がりを言っていた

好きだった人  一度だけキスしてくれた

好きだった人  レモンをかじってた

好きだった人  海を見つめて泣いていた

失恋という言葉は知ってたけれど……

 

 

好きだった人がジーンズをはき白いブーツをはいていた。ハンバーグを食べレモンをかじっていた。別段どうということもない、ごくごく普通の事、その一つ一つが強烈に目に焼き付く。しみる。何度も思い出す。好きな人のことだから。

人を好きになる事の不思議。

こんなに簡単な言葉でそれを素直にさりげなく伝えてくれる。アア、歌っていいな、と聞き手側も素直な気持ちになれる。アア、自分が失恋したあの人はどんなだったっけ…と思いをはせ、その時のことを思い出してみたりもする。

カレシの場合はカレーをよく食べてたなァ、だとかディズニーランドに誘ってくれたァー、とかね。

 

ステイション / かつてあなたもそこに立っていた

Title : 切れたリボン

 

 

汽車。電車。そホして、駅。ただの…単なる移動手段にすぎないのホに。

のホに。

人が乗り、そして降りる。ただそれだけの場所でしかないといフのに。

いフのに…。

頬を伝う涙。こらえきれずにしゃがみこむ人。ちぎれんばかりに振られる手。その姿を視界に入れたその瞬間、こみあげてくる喜びに駆け出す人…。

 

 

恋人よ ボクは旅立つ 東へと向かう列車で

華やいだ街で君への贈り物 

探す 探すつもりだ 

〈太田裕美 / 木綿のハンカチーフ〉

 

 

憧れ、希望、夢の実現。向かう人の想いは残される人の心を覗き見るゆとりなんてなハい。残される者が精一杯作ったガラスの笑顔を単なるお祝いの、祝福の笑顔として受け流す。やがて汽車は動き出し、見送ってくれる人の姿が視界から失われると同時に、残る人々の笑顔は行く人の気持ちから消失する…。

 

 

花嫁は夜汽車に乗って 嫁いでゆくの

あの人の写真を胸に 海辺の町へ

命かけて燃えた 恋が結ばれる

〈はしだのりひことクライマックス / 花嫁〉

 

 

この歌のイメージに見送る人達の姿はなハい。彼女は何もかも捨てなければ許されない窮地に追い込まれ、そしてそれらを断ち切った。どんな人も一生の中で必ず運命を左右する選択を迫られる時があるって聞いたの。そホ。そのことがよぉーく分かっていようが分かるまいがネ。

 

 

駅のホームのはずれから そっと別れを言って

それで愛がはかなく 消えてしまった

〈伊藤咲子 / 乙女のワルツ〉

 

 

見送る人に気づかない人。見送られる彼は愛する人と旅立つ。残された者は引き際を心得ている。いや、心得なければならない立場。インヤ、違う。もっとキビチイの。まっすぐな恋がしたいなら、引き際は掟。おきて。遅刻せぬよう…。

 

 

あの人から言われたのよ 午前五時に駅で待てと

知らない街へ ふたりで行って

一からやり直すため

〈麻生よう子 / 逃避行〉

 

 

示し合わせて逃げる。旅立ちではない。逃走だ。ランナウェイだ。関わった人々を裏切るのかもしれない。そして最後にはかけがえのないはずの人にまで裏切られてしまフ…。喜びと悲しみは紙一重、でもそれは、すぐに表も裏も同じ模様に変わってしまフ。表も裏も涙で濡れている。

 

 

今夜の夜汽車で 旅立つオレだよ

あてなどないけど どうにかなるさ

〈かまやつひろし / どうにかなるさ〉

 

連れのいない旅立ち。あてのない出発。それって果たして旅立ちって言えるかナ。単なる移動。それなら気楽。そして空しい。そしてサッパリ気分。サッパリ気分て空しい?。悲しい?。さわやか?。ウォプゥゥ…。本人次第?。

 

 

改札口できみのこと いつも待ったものでした

電車の中から降りてくる きみを探すのが好きでした

〈野口五郎 / 私鉄沿線〉

 

 

旅立ちの出発や到着ではなハい日常の句読点。毎日必ず出かけて、そして必ず自分の元へ戻って…く………。

 

 

 

何がいけなかったの

 

 

だれもが知っているのホ…。喜びの、悲しみの、駅。

誰もが口ずさむのホ…。数え切れぬ程ある駅にまつわる楽曲。

誰もが書かずにはいられなかったのホホ…。特に、特に、

 

 

悲しかったって…。

 

 

 

 

 

 

 

青春とは何だ / この胸に巡りくるもの / 誇りと言う名の死語

Title : 青春の骨組みステイション

 

 

かつてTVブラウン管画面のその中に “ 青春ドラマ ” なる熱いジャンルが右旋回、左旋回、蝶のように舞い蜂の様に思春期ハートをチクチク刺す時代があった。

確かにあった。

それは後に日本列島を狂喜のバカ騒ぎに躍らせるバブル期、嘲笑される格好のマトともなった。

 

 

“ これが青春だ ”(日本テレビ系列、1966~1967放送)。竜雷太主演。布施明歌う同名主題歌(作詞 / 岩谷時子、作曲 / いずみたく)の一節、

 

誇りひとつを 胸にかかげて   怖れ知らない これが若さだ

 

これが青春だ!と真っ向から言われると「そうか!分かったあ!」とオウム返しのこの説得力!。

 

現千葉県知事である森田健作氏が主演し一世を風靡した “ おれは男だ!”。その主題歌 “ さらば涙と言おう ”(作詞 / 阿久悠、作曲 / 鈴木邦彦) 歌詞中の一節、

 

青春の勲章はくじけない心だと 知った今日であるなら さらば涙と言おう

 

さらば涙と言おう、と真っ向から言われると「そうか!分かったあ!」とオウム返しのこの説得力!。

青春の誇り、青春の勲章。ドラマのタイトル自体にも “ 俺たちの勲章 ” (日本テレビ系、1975年、松田優作、中村雅俊主演)と冠を配すものもあった。

 

その時代その時代で価値観は大きく変容する。変わった価値観の良し悪しは誰のジャッジに委ねるのかは別として、

日本の1960~1970年代、確かに若者の心の尺度に “ 誇り ” と “ 勲章 ” は存在した。

それをお笑いで物笑いのネタにする者も居なかった。

誇りと勲章は同義語と見なすことが可能で、これを自身のプライドと呼ぶ。

 

自尊心。自分を尊ぶ。尊敬する。

尊敬出来れば勲章に値し、誇ることが出来る。

心の勲章は人には見せられないので自分だけが知る知らないの世界。これを健全な自意識と呼ぶ。

 

海外ドラマを見ていると、年齢性別に関係なく友人や恋人、配偶者に対して、 「アナタを誇りに思う」という言葉をよく耳にする。日本はどうだろうか。

 

青春に恥じないように ” は希代の歌姫である南沙織が歌った楽曲。作詞は荒井由実(ユーミン)、作曲は川口真。1976年作。

 

その日から涙が止まらなくてもいい

私に勇気を与えて 青春に恥じないように

 

色々なボランティアの人達の姿を見ていると、青春は何度も何度も巡りくることが出来るものなのだと痛感せずにはおれない。

青は海、春は花開く桜。どちらも寄せては返すを繰り返す。何度も何度も何度も…。

 

今この時、人々は胸に何を飾るだろう。

 

 

死生観で自分を大切に / 生まれてこなければよかった、と思っている人へ

Title : 泣くだけ泣いたから、もう初めてもいいよ

 

 

 

 

◆松任谷由実、ユーミンの歌に ♪ ひこうき雲 ♪ (作詞作曲 / 荒井由実)という楽曲がある。その歌詞の一節はこう歌われる。

 

高いあの窓で あの子は死ぬ前も 空を見ていたの

今はわからない ほかの人にはわからない

あまりにも若すぎたと ただ思うだけ けれど しあわせ

空に憧れて 空をかけてゆく あの子の命は ひこうき雲

 

◆錦野旦(にしきのあきら)のデビュー作、 ♪ もう恋なのか ♪ の歌詞の中には次のような一節。(作詞作曲 / 浜口庫之助)。

 

死ぬいうこと知りたくて 月の光に照らされた

冷たい線路をみつめていたら いつか涙がこぼれてた

ああ この悲しみは もう恋なのか

 

吉田拓郎を世に送り出すきっかけとなった名盤の中に

◆ ♪ 自殺の詩 ♪ というショッキングなタイトルの楽曲が収録されている。作詞作曲は彼自身の手によるもの。その一節、

 

歩き疲れてしまいました しゃべり疲れてしまいました

何もかもに疲れて 今日が来ました

けだるい午後の日ざしは 花をしおらせて

道行く人の言葉も かすんでいました

 

そしてこの歌は最後にこう結ばれる。

 

バイバイ バイバイ 今日のすべてバイバイ

 

 

 

◆アリスの楽曲 ♪ 涙の誓い ♪ (作詞作曲 / 谷村新司)の歌詞の一節、

 

泣きながら すがりつけば終わる

そんなキザな 優しさじゃなかった

もう二度と消えない 手首の傷あと

 

 

◆X japanの楽曲 ♪ ウイークエンド ♪ (作詞作曲 / YOSIKI)の中の一節、

 

鏡を見つめながら ふるえる体に

流れはじめた透き通る血を おまえの心に絡ませ

幻覚に消えていく 最後の涙を拾い集めて 血の海にまどろむ

 

 

◆島倉千代子 ♪ 人生いろいろ ♪ (作詞 / 中山大三郎、作曲 / 浜口庫之助)の一節においても、

 

死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ

バラもコスモス達も 枯れておしまいと

 

 

◆西田佐知子が歌う ♪ アカシアの雨がやむとき ♪ (作詞/水木かおる、作曲 / 藤原秀行)は次の様に始まる。

 

アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい

夜が明ける 日がのぼる 朝の光りの その中で

冷たくなった私を見つけて あのひとは

涙を流して くれるでしょうか

 

 

◆井上陽水、彼の手による楽曲 ♪ 傘がない ♪ の出だし、

 

都会では自殺する 若者が増えている

今朝きた新聞の 片隅に書いていた

だけども問題は今日の雨 傘がない

 

◆同じく井上陽水、♪ 桜三月散歩道 ♪ (作詞 / 長谷邦夫、作曲 / 井上陽水)の詞中一節、

 

街へ行けば人が死ぬ 町へ行けば人が死ぬ

今は君だけ 想って生きよう

 

 

死生観、という言葉が在る。死は恐ろしいものだから一切考えない、ではなく、死というものを通して生きる意味を探ろうとする物の考え方である。

例えば。

立った今、もし自分が死んでしまったらどうだろう、と考えてみる。

やり残したことが一杯ある、または、やりたいことなど何一つなく、この世に何の未練もない。

或いは、自分が死んでしまったら残された者達は一体どうなる。

死ねない。絶対に死ねない。

だったら健康に留意して決して思い病気にかからないようにしなければ、など様々なことが次々に頭を駆け巡るはずだ。

自身が死ぬことを真面目に想像してみることは悪い事ではない。

自殺を扱った歌詞は自殺願望のある者を刺激するから良くないのではないか、といった意見もある。確かに全くないと言い切ることは出来ないと思われる。

では、そういった歌詞の歌が一切なくなれば自殺者はいなくなるのかといえば、そういうことにはならない。

 

人の脳や身体には防衛本能がある。

グラグラに煮えたぎった湯が入ったヤカンを持ち運ぶ時、何の想像もしないでいるよりは、もし、このヤカンを落として自分の身体に熱湯を浴びせかけてしまったら大変なことになってしまう、と想像しながら持ち運ぶのは良いことだ。

もし大ケガをしてしまったら、今の環境下でボクは一体どうなってしまうのか、周囲の関係者は一体どうなってしまうのか、を真剣に想像することも良い事である

。そういった想像力を働かせれば、自身や他人に対して恐ろしい結果を空想すれば、今以上に責任感を持って生きる結果につながるのではないだろうか。

死ねば楽になる。この苦しみを終わらせられる。

それは誤解だ。

最も苦痛がピークに達している状態で自らの命を絶つと、死後その状態のまま永遠に暗黒世界をさまようことになる。最も苦痛な状態を永遠に維持し続けながらさまようのだ。1分1秒たりともその苦痛から解放されることはない。それを考えれば、

自殺ほど恐ろしいものは、この世にもあの世にも、ない。

 

生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ

そうさ 生きてりゃいいのさ

喜びも悲しみも 立ちどまりはしない

めぐりめぐってゆくのさ

 

◆ ♪ 生きてりゃいいさ ♪ (作詞作曲 / 河島英五)

 

 

 

 

Jポップとは冗談ポップコーンの略ですか? / 無意味にふかしちゃえ

Title : つァますィーを揺さぶる歌手

 

 

そんなものが何処にあるのかは定かではないが、日本のいわゆる “ 歌謡界 ” ほど滑稽(こっけい)な物はない。

若い娘達は、個人であれグループであれ、

歌手デビューを果たしたなら自分の事を指して「アイドル」という。つまり、自称アイドルなわけだ。大手芸能プロダクション所属だろうがなかろうが、彼女を最終的に自分達のアイドルだと認めるのは視聴者側、閲覧者側。であるはずなのに、このコッパズカシサは何だ。

 

例えば、

オリンピックに出場が決定した選手(過去にどんな大会でもメダルを獲った経験皆無)が、自分の事を、

「私はメダリストなんで」

というに等しい。誰も第三者がその事実を全く確認出来ていないのに。

 

野球のリーグ開幕当日、Aチーム(過去にリーグ優勝の経験なし)の選手達が、

「私達は常にチャンピオンなんで」

というのと何ら変わらないコッケイさなのである。

 

アイドルなどというものは簡単になれるわけではない。その事実にさえ気が付かない人達はコッケー過ぎる。ヒット曲を出してもアイドルになれるわけではないし、若いというだけでなれるものでもない。カワイければ、でも難しいカモ。

アイドリングし続けるので略してアイドル、ということなら分かるような気もする。

エンジン無意味にカラふかし、がアイドリングだから。つまり全力走行に集中せず、やたら無意味な目立ち騒音、これって小者の典型?。

 

日本でフォークソング歌手といえば、アコースティック・ギター弾きながら歌うヒト。別段、日本民族のことをメッセージに込め歌う必要もなく、ギター弾きながら歌えばOK。

その全盛時にはGパンはいて歌わないとダメだった。白いパンタロンはいて歌った男のフォーク歌手が袋叩きに等しいバッシングを受けたりする。

中身を重視し外見をおろそかにする奴を日本人は許さない。

 

ロック歌手といえば電気ギターや電気ベースを演奏するバンドのボーカリスト。フォークギター伴奏で歌う歌手はロック歌手だと認めてもらえない。かろうじて認めてあげる人は、フォークロック歌手だと呼ぶ。

ロック歌手だとファンに認識してもらえると、しめたもの。

ガム噛みながら歌い、それをステージに吐き捨てても誰も何も言わない。観客に向かいテメーラと呼び捨てにし、チンタラやってんじゃねえぞ!と吐き捨てても歓声が上がる。がなりたてて、叫びまくって音が半音外れ続けても、観客には何の影響もない。

デタラメに非常識にヤルのがロックだと思っているからだ。

反逆児なのだ。反逆児が吐き捨てたガムは、ただちにガム回収係がサッと除去するテハズになっている。

反逆児は高価なクツを台無しにするのを嫌う。

 

フォーク歌手(今は絶滅に近いが)や演歌歌手がステージで噛んでるガム吐き出したら、ドーなる。

その日から、ロック歌手だって呼ばれるだけ…。んなワケない。

おッそろしい…。

日本人は、自分達のネジ曲がった思い込みを裏切る者を、許さない。

 

 

死ぬも生きるもアナタ1人と / 歌が聞こえる / 彼女には子供が出来なかった

Title : 灯火

 

 

“ 価値観 ” て何?。人に聞かれて明確に答えられるだろうか。価値ること、これが価値観価値る、ではなく価値る。ただるのではなく観察

っする。そのあと自分で採点する。世の中の物を片っ端、自分にとって価値がある物なのかどうか、観察した上で採点する。これが自分自身の価値観

世の中(宇宙でも世界でも)を構成している、ありとあらゆる要素をひととおり観察して回った結果、どうやらオレは全ての事柄を金に換算して考えるみたいだ。金にならないものには全く関心が持てない。そう確信したのなら価値観を金に置く人ということ。

一日中ゲームソフトに興じていたい、それこそまさに生きる意味!という人であれば価値観は快楽。身の回りの一切を自分が享楽に浸れるかどうかで判断する。後先考えず、今この瞬間が充実していればそれで良い、という破滅型。

 

ある1つの価値観を大多数の人が支持すると、それは時代の価値観と呼ばれる。

 

 

春恵さんは、未だ見ぬ愛する子を夢見ながら、結婚式の祭壇で愛を誓った。

彼女には子供が出来なかった。子宝に一切恵まれなかった。

失意のあまり、まともに立っていられない程の身体を夫に支えられ、励まされながら不妊治療に通った。たった一つの希望にすがった。

 

とうとう子供は授かれなかった。

 

夫は去った。春恵さんが捨てられたのではない。春恵さんが諦めたのだ。

人生を諦めた。夫婦生活を諦めた。幸せを諦めた。喜びを諦めた。怒りを諦めた。春恵と言う名を憎み、名前を冬枝と改名した。

生きることを諦めることは出来なかった。どうしても死ぬ決断を下せなかった。

彼女に残ったものは、会計士の仕事と悲しみ。たったそれだけ。

 

悲しみに浸り、何度も何度も我が子を抱く夢を視続けた。寝ている間も涙は溢れ続けた。永遠に尽きることのない涙。飲料を極度に節制しても流れ落ちる涙の量は一向に減少しなかった。

苦しみのあまり、自分をあやす手段をセラピストに尋ねた。

「アナタの言っていることは理解出来ない。くよくよしてても仕方ない。そんなこと一切考えず前に進みなさい」

それが返答だった。

冬枝さんは子守唄を欲しがった。子供の為ではなく、自分をあやすための子守唄を。

悲しみからは逃れたくない。逃れれば罰から逃れることになる。

自分が悪いから神様は子供を与えてくれなかった。

悪いのは自分。

いつも、如何なる時も自分。

それが春恵さんの、冬枝さんの価値観だった。

彼女はどんなに探しても、自分の悲しみを慰めてくれる子守唄が見つからないと言う。心当たりはありませんかとボクは聞かれ、この歌を聴いてもらった。

 

 

死ぬも生きるもアナタひとりと 恋に賭けたい 命ひとすじ

砂を噛むように暮らした 悲しい過去を

いとしい その手で暖めて欲しい だから待つの

愛の旅路を あなたと あなたと歩く

 

棘(トゲ)に刺されて 傷に哭いても(ないても) なんで捨てよう 愛のこの夢

例え戯れの恋でも 信じていたい 抜け殻のあなたを 抱きしめて強く

今はいいの

愛の旅路を あなたと あなたと歩く

 

暗い夜空に 星がまたたく 朝がくるまで 愛をともして

いつかわたしの胸にも あなたが燃えて 星空あおいで 幸せを唄う 夢をみるの

愛の旅路を あなたと あなたと歩く

 

 

歌を聴き終え、冬枝さんは何も感じない、心が動かないと言った。自分が欲しいのは愛の歌ではないと。

「愛がテーマの歌詞を聴くと、誰しもが無意識に、歌詩中の “ アナタ ” というのは男か女だと思い込みますよね。固定観念や先入観で聴かなければならない必要なんか全然ないんですよ歌と言うものは。

歌の一番に出てくる “ アナタ ” は赤ちゃん、二番に出てくる “ アナタ ” は冬枝さん。つまり赤ちゃんから見たアナタ。“ 恋 ” は “ 恋しい 愛しい ” の意味です。冬枝さんと赤ちゃんのことを歌っていると想定してもう一度聴いてみてください」

 

死ぬも生きるも あなたひとりと 恋に賭けたい 命ひとすじ

砂を噛むように暮らした 悲しい過去を 愛しいその手で 暖めてほしい

だから 待つの

愛の旅路を あなたと あなたと歩く

 

漠然と聞いていた初回と違い、冬枝さんは両手で顔を覆い、声を押し殺そうとしたが無駄と分かり、声を上げて泣いた。

男女の愛が、母親の子を想う愛に反転し、我が子が母親をアナタと呼ぶ。価値観を変えるだけで世界は一変する。自在に変わる。心の宮殿はいかようにも変わるのだ。

 

歌が聞こえる。誰かが聴いているのだろう。

願わくば、一番素敵な価値観で聴いていますように。

 

愛の旅路を (山口あかり / 作詞、藤本卓也 / 作曲) 内山田洋とクールファイブ

 

 

 

 

 

 

涙は汗 / 涙は失恋 / 涙は卒業式 / 涙は緊急事態宣言

Title : 押し寄せてくる、到着まであと3秒!

 

大人になるにつれ泣かなくなってゆくのです。みんな強い子になるのです。心とウラハラ、それがチョホッピリ淋しくって、泣ける話を欲しがるのですネ。人は自分にない物をオネダリするもの、それがサガ。ウムゥ…そうなのです。

 

涙は心の汗だ たっぷり流してみようよ

二度と戻らない 今日のために

〈いずみたくシンガーズ / 帰らざる日のために〉

 

と青春真ッただ中の若者達に呼びかけるのは、とっても自然で納得感アリ。とはいえ逆もまた真なり、お漬物シンナリ。発散を推奨、我慢も推奨、それが世の中ってものなのですネ。

 

まぶた はらす涙は こぼしちゃいけない

こらえきれぬ時には まつげに溜めよう

〈森田健作 / さらば涙と言おう〉

 

 

ああ ひと粒の涙で ふと気づいたの

何となく違うの 昨日の私と

〈シモンズ / ひと粒の涙〉

 

ふとこぼれた一粒の涙に驚く乙女。悲しいわけでもないのに何故。目に映るものが全て美しく、何となく輝いてワタシを誘うの、と主人公はつぶやくのです。これが恋を知ったことだと。恋すると誰でもこうなるのかな、と。この感覚は女性特有のものなのでしょう?。男には絶対ありません。ないはず…。

 

 

卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう

でももっと哀しい瞬間に 

涙はとって おきたいの

〈斉藤由貴 / 卒業〉

 

なるほど、涙ひとつとっても人の考え方、捉え方、対処の仕方って違うものなんだなァと感慨深いものありです。私は強くありたい、という乙女の卒業に際しての決意表明なのでしょうネ。

 

涙くん さよなら さようなら 涙くん

また逢う日まで

きみはぼくの友だちだ この世は悲しいことだらけ

きみなしではとても 生きていけそうもない

〈坂本九 / 涙くんさよなら〉

 

涙を友達だと思っている。人生の伴侶だと。だけどぼくは恋をした、素晴らしい恋なんだ、だからしばらくはキミと逢わずに暮らせるだろう、と語る主人公。

こんな風に涙を客観的にとらえて考えるたりするのは男の方でしょうネ。女性は論理より感情に忠実な傾向ありますもんネ。 “涙は汗 / 涙は失恋 / 涙は卒業式 / 涙は緊急事態宣言” の続きを読む

嗚呼!桜前線!/ 駆け抜けていった聖女子 /松田聖子の時代

Title : 「奥さん、カワウソ・ヤフトの宅配でッス。ふるさとNO税の巨大一粒胚芽米、どこ置きマショッ」(魚眼レンズから見えた図)

 

 

何かこう、ワタクシ、ここのところ春に関する記事内容が多いですけど、まぁ皆様も春待ち焦がれでしょうから許してもらえそうでしょうか。

福山雅治さんの大感謝祭に対抗し、春の大カンシャク玉破裂祭というのは如何なものかと。

中国ではお正月に爆竹破裂させてお祝いしてるからカンシャク玉もその系列で代用ってことっス。

 

かつて松田聖子さんはチェリーブラッサムの中で次のことを指摘されておられました。皆様もメモをおとりになった経験、おありになるかもしれませんね?。

何もかも目覚めてく新しい私、なんだと。あのイントロ、見事でした。楽器構成、アレンジの妙!。

確かにこれから開幕するのだ、桜ばかりか何もかもが目覚め、一切が始まるのだという胸騒ぎの期待感は見事でした。

胸騒ぎの躍動感としてはチェリーブラッサムもステキですが、やはり日本人的には桜前線、ヤッパこれでしょうかねぇぇ!。ウゥフームームー、やはりそう来ましたか、みたいな!。

ワタクシ、恥を忍んで打ち明けますと、実は個人的にチェリーブラッサムという言葉を聞くと、必ずペットショップで販売されておりますオポッサムがサクランボを食べているところを連想してしまったりするのでございます…。

チェリーオポッサム……。

昔昔のヒットソングですが、今尚色褪せることを許してはくれないフランスの楽曲でフランシーヌの場合、という実際の事件をモチーフにしたものがございましたね?。3月30日の日曜日の朝、パリで焼身自殺したフランシーヌを悼んで作られた歌なのでございましょう?。

何となく事件の詳細を知らないままでいたい気がして未だに検索はしておりません。知らないまま、ボンヤリとしたイメージに浸ったまま聴いていたい、などと思ってみたりするのでございます…。日本語歌詞におけるフランシーヌさんの情報としては、

ホントのことを言ったら おりこうになれない

ホントのことを言ったら あまりにも淋しい

ということぐらいしか入手出来ないのでございます。恐らく、この記事を読み関心を抱かれたお方が勇気を振り絞り検索をかけ、コトの真相をつまびらかになさるのかもしれませんね?。

皆でその可能性に賭けようじゃありませんか…。

 

ともあれ、松田さんの春風ヴォイスで告げられた期待感、桜前線。全ての日本人の瞳がその前線の行方を見守るのです。

不安と期待を気まぐれ春風に乗せ、遠方にまで届く様にと思いを託すのでありましょうね?。

半面、桜にまつわる悲恋物語も沢山ございますねぇぇぇ…。そうそう、松田さんに負けず劣らずの歌姫であるところの岩崎宏美さんは楽曲の中でこう訴えておられたじゃあありませんか!。

桜の花はもう六分咲き、見上げることなくアナタは急ぐ、と。

彼女のお父さんに結婚の許しを貰いに行き、まだ早いと一喝されカレシは傷ついたのでしたね?。

彼女は家を出ると彼に誠意を見せるのでしたね?。怒っているでしょう?、許して下さい、と…。聴いているコチラもムゥムゥと震えるっス。

春おぼろ、夜桜だったのであります。

 

 

期待感、そして散りゆく別れ、物語が終わる悲しみと再生の約束。

 

嗚呼!、桜前線!。

 

 

因みに、梅雨前線ヤダ。