イジメをハネ返す子供の育成法 / 何故イジメ対抗策を実践しないのか / 何故受験勉強だけの実践なのか

Title : 重き石はやがて軽くなる

 

 

またもボクが呼ばれた。知人の幾つかのツテを介し、会ったこともない1人息子の父親に会う。

彼の仕事の関係で2ヶ月後に関西へ転勤、当然小学3年生の息子(以下A君とする)も編入する。気は弱くもないが決して強くもない息子がイジメの標的にされることを極度に恐れている。本人よりも両親が。戦慄していると言っていい程に。

ボクはボクら一派が『反射反復模擬』と呼んでいるハードハッスル法を両親に伝授するため彼らの家にまで行ったのだ。

ボクは友人に言った。「何でお前が指示しないんだよ」「お前は口が上手い」

 

反射反復模擬 1⃣ 父親とA君の質疑応答

父親 「お前ウザいんだよ。ウザすぎ。アー、目障り。消えろ」

Aクン「ウザいヤツまわりにイッパイ。みんな消えなくちゃいけない。誰もいなくなるよ」

父親「バァカ、お前だけウザいんだよ。お前ひとりだけだ」

Aクン「この先、きみも誰かにそう言われる。ウザい。誰かをウザいって言うヤツ、一杯いるから」

父親「言われねえし。それに、先のこと言ってんじゃねー。今だ今」

Aクン「でも今はすぐ過ぎる。君もすぐ言われる。ウザい、ウザすぎ」

父親「アー、ほんとウゼェ、コイツ!」

Aクン「世の中、ウザいの一杯いるよ。慣れなよ。でないとイライラ爆発だよ」

 

これは脚本のシナリオ。大体の趣旨が合っていれば、多少言い回しを変えても良い。練習初期段階では気持ちを込めなくても良い。棒読みでも良い。

お互いが何十回もこれを行い、子供がキッパリと暗記会話に慣れたと断言した段階で、初めて心を込めたセリフにする。双方共だ。

この段階で最も重要な点は、会話の論法を子供がハッキリと認識出来ている事。

 

ウザい → 世の中ウザい者だらけ → だから、いちいちそんなこと言わないで、一刻も早く、他人に慣れた方が得だ。

ウザいと人に言う人も世の中いっぱい居る → だから必ず誰かに言われる

 

反射反復模擬  2⃣ 内容の激化

父親「お前、何で生きてんだ。4(し)ね!。4んでしまえ!」

Aクン「イヤだ。ボクは焼肉が大好き。大人になったら焼肉いっぱい食べたい。焼肉屋になって皆においしい焼肉食べさせたいから4なない」

父親「ハア~?!。だれが焼肉屋の話してんだよコラ。オメーが4ねっつう話してるんですけど」

Aクン「ボクがしてる。焼肉の話。君は何になりたいの?」

父親「アホかコイツ!。だから4ねって言ってんだよう!」

Aクン「イヤだ。ボクは焼肉が大好き。大人になったら…   以下反復応答

 

反射反復模擬 3⃣ 保護

この質疑応答、終了時、必ず子供を抱き締める、或いは頭を撫でる或いは肩を抱く、或いは握手する、数回その動作を行う。子供の年齢、性別に合わせて行う。必ず行う。

その動作と同時にねぎらう、或いは励ます、或いは、ガンバッたね、と褒める。毎回毎回、必ず行う。子供が返答するしないに関わらず続ける。

子供が、もうツライからやるのがイヤだ、と言った場合、それは実際にイジメられた場合、必ずイジメで折れる、と認識出来る。絶対に持ちこたえられない我が子だと認識出来る。

その場合は、イジメを受けた場合は、自分達親がどういう行動に出るか事前に夫婦間で話し合っておかなければならない。転校は同じ繰り返しとなり本人が完全に自信喪失する可能性が高い。登校拒否は最善の付け焼刃で、進学進路より本人の健全な自我形成にもっとも力を注ぐべきだ。

学習の遅れが心配なら父母どちらか、もしくは双方が先生となり学業指導することを強く勧める。

出来れば双方が教師となることが望ましい。子供は守られている実感を持つ。

父親が多忙で教えられない場合は、休みの日に必ず遊び相手となる事を自身に義務づけることだ。1時間でも構わない。何をして遊ぶかはどうでもいいことだ。

父親に構ってもらえた。と子供が認識出来れば、それだけで目的は達成されたと考えるべきだ。

学業指導で最も重要な点は、成績向上ではない。学業優先、成績アップなど全くどうでもよいことだ。他の同級生と足並み揃えた就学スピードなどくそくらえと強く認識しなければならない。

一流大学卒の成功者を数多く見て、単純に、短絡的に、人生の成功者は皆そうだと考えるのは卑怯だと認識するべきだ。

学歴のない人でも成功者は大勢いる。うわっつらを見て、そっちは苦労しそうだから親心で、などという偽善思考は捨てる方が子供のためだ。

 

見事な学歴も、人が羨む就職も、エリートである本人が心に闇を抱えていては全く意味を成さない。つまりは一触即発。

 

反射反復模擬 4⃣ 状況は関係ない

登校拒否、引きこもり、となっても質疑応答は続けること。子供も学校に行かないのであれば気が楽だ。

それでも拒む場合は、質疑応答をPCもしくはスマホのメールで行わせる。義務づける。それもイヤならそれらを取り上げる、と宣言し断固強行する。

ここで重要な点は、こどもに嫌われたくない、強制しては子供が可哀そう、という気持ちで質疑応答を止めてしまわない事。

止めた場合は、最後の砦である肉親がこどもを甘やかし、見捨てたのだと言う事実を肝に銘じて欲しい。

投げ出した親、甘やかした親、見捨てた親を見て喜ぶ子供。

その時点で、子供は本当にウザい子になったのだ。逆に、今ウザい子もこの質疑応答をするまでにもっていければ、確実に蘇生する。

 

彼らは転勤転校し、父親が恐れていた事態が現実となった。メールで『4ね』と送り付けられた。A君はメールの質疑応答も行っており、誰が発信者か分からないものの、折れなかった。

 

生まれて成人するまで、ただの1度も可愛いねと異性から言われた経験のない女性が、ある日初めてそう言われた。嬉しくて眠れないほどだ。

生まれて成人するまで、数多くの人に可愛いねと言われ慣れた女性は、嬉しくて眠れない、ということはないだろう。慣れたからだ。慣れているからだ。

むしろ、可愛いね、と言わない相手を敵視さえするかもしれない。

 

言葉は慣れる。慣れると、恐ろしい言葉もただのセリフになってしまう。見慣れる、聞き慣れる。聞き飽きた、見飽きた、もうウンザリだ、と人が言う。何故?

その言葉に何の感情をも持てないからだ。空虚でガランドウの意味なし言葉と脳が解釈するからだ。

 

ボクは別にこの方法をユーザーに薦めてなどいない。ただ、この手法は数えきれないほど人を救ってきたという事実だけは記したい。ボクが?。いいや、世界中で行われている。友人同士で、恋人同士で、親子で。今も。いつも。

明日も。

NHK ETV 戦争特集番組放送に賞賛と敬意を

Title : 古い絵葉書

 

 

本年八月のNHK、ETV特集番組放送に心の底から敬意を込めて賞賛を送りたい。

太平洋戦争下、日本陸軍上官による下級兵士への虐待は壮絶さを極めた。心的ショックで多くの兵士が極度のストレス障害から人格破壊を引き起こし、人間として再起不能に陥った。白痴と罵られ顔は判別つかぬまでに殴打される。四つん這いで食事させられるか餓死を強いられるなど日常茶飯事。そんな悪行は一部の人達だろうと無知な人々は言うかもしれない。

違う。

人と馬の区別さえ出来ない知的障害者が兵役検査をパスし、完全に精神的破壊を受けた後に戦地から送還される。彼らは知的障害者ゆえに恩給の対象から外された。

これらの事実を私はずっと以前から知識として有していた。以下はETV放送番組からの知識ではないが、

東南アジアに取り残された兵士達は国から見捨てられ自給自足を強いられた。国内の幹部達は食料に困る事もなく酒に酔い、ひたすら敗戦後に戦犯として断罪される我が身を案じ、子供に至るまで一億総玉砕だと国民に命じる。原子爆弾が投下されても降伏せず、そのために長崎までが被爆した。

一方、東南アジアの地で見捨てられた兵士達は村人から食料を盗もうとして殺されたり、ジャングルの猛獣に食い殺された。餓死した兵士達の姿は樹木の根っこに身を預けていて、口から飛び出した植物はどの亡骸からも元気よく伸び伸びと成長していた。

現地の人達は人間花瓶と呼んだ。何千人?、何万人?。

アジアにおける何十万人と言う日本兵士達の戦争。それがこれだった。敵兵との戦闘による死ではない。

上級指揮官達は自らをサムライと呼んだ。そう、現在も日本人達が胸を張るサムライという名称。搾取陰険暴力集団の特権階級のことだ。

 

そんな話聞きたくもない、知りたくもない、不愉快だ、関係ない、見たくもなければ口にしたくもない、という人は多い。

そうかもしれない。関係ないのかもしれない。

だからだろう。イジメに関心など人は持たない。関係者でも当事者でもない限り、どうでもいいのかもしれない。この記事も黙殺されるだろう。イジメ問題同様に。

 

それでいいのでしょう?。

イジメの連鎖 (2) / 子供が何を好んで真似ているかを大人は見張るべき

Title : 見張りと観察は注意と警告に用いず密かなる改善指導に利用するべきだとこのロボットの取扱説明書には書かれている

 

 

闘犬で負けた犬。致命傷を負い息も絶え絶え。

チッ、残念なお犬さん。

可哀そうに。

バカ言うな、こいつは気が荒い種なんだぞ、闘うように生まれてきたんだから本望だろう。

 

違う違う違う違う。優しい目をして生まれてきたのです。すぐにママを探し甘えようとした。幸せに生き生涯をまっとうする為に生まれてきたのです。

 

AちゃんがBちゃんをイジメた。Aちゃんの取り巻き連の一人であるCちゃんは思う。イジメられる蒼ざめたBちゃんの顔を見ていたら少し可哀そうになった。でも気持ちがスカッとした。よく分かんない。

今度は一緒にイジメよう。そうだ、DにもEにも協力させて皆で連合作ってイジメよう。Aちゃんの笑顔に賛同のふりをするCちゃん。賛同のふりは、すぐさま結果的に賛同そのものになった。一緒になってイジメを実行したからです。

DちゃんとEちゃんは物事を深く考えない。日常に於けるほとんどの言動は自動的で反射的。模倣に次ぐ模倣。真似に次ぐ真似。生きてゆく術(すべ)は模倣から始まる。マネて覚える。比べて覚える。ひとつの事柄でも、種々様々なやり方を覚える。マネしながら覚える。物心がつき始めると、種々の中から自分に適したマネを好んで実践するようになる。自我が芽生え始めるからです。

種々の中から自分が気に入ったものを選び出したって?。それを、その方法を選んだ理由は?。

クレヨン廃棄。水彩絵の具も廃棄。真面目にスケッチする気も廃棄。ボールペンを選択。何故、ボールペン?。低学年なら理由は本人にも不明。ただ何となくと返答。じゃあさ、何となくなら、絵具で絵を描いてみたっていいんじゃないかな?。先生の誘い水、曖昧に頷く子。さあホラ、絵具をパレットに出して、さあ描いて見よう。

子供に積極性を促した先生。子供の可能性を摘み取っちゃいけないんだよ、と。

その子の父親は絵が嫌い。美術の授業なんてバカにしてたよと聞いていた。母親は絵が好きか嫌いか、その子は知らない。母親は自分がどんな子供だったか一度もその子に話したことがないから。自宅には絵が一枚も飾られていない。美術館に連れて行ってもらったこともない。だから子供はボールペンを選んだ。ボールペンが好きな訳でもない。ボク、パパとママとおんなじ。絵は好きじゃない。その証(あかし)が、証拠がボールペンだっただけ。その子は両親を真似たのです。

 

Aちゃんは両親が攻撃し合うのを何度も見て、無意識にそれを模倣する。罵り合う親の姿。Aちゃんの胸はズタズタ。感情を爆発させている両親はAちゃんなど眼中にない。何故なら、この国には、心を揺りかごに、という概念がない。

Aちゃんの模倣が実行に移される。それは誰にも止められない。Aちゃんの全細胞が、本能が学習の真っ最中。自分というウツワを必死に制作している最中。どれもこれも真似る。片っ端から真似る。いいもの悪い物全部まとめて、ひっくるめて真似る。必要な物と不必要な物との選別、それはまだ先。

凄まじい感情への揺さぶりがAちゃんを襲った。揺さぶり殺し、という言葉をご存じでしょうか。母親に殺される赤ちゃん、不慮の事故。多いです。

いわれもなく地獄へ突き落されたAちゃん。生涯最大の絶望感。この体験を模倣しない理由がありますか。何の罪もない自分がズタズタにされるのなら、

ボクもマネして誰かに同じことしないと…。

 

 

 

★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。

誰にも止められないのか / イジメの連鎖(3) / 仲間のお手本を真似る子供達

 

 

先生が女子生徒数人を呼び、気さくに意見を求める。内容にかかわらず、尋ねられた女子達は、まず一斉に互いの顔を見合わせる。小学生でも中学生でも同じリアクションを示す。精神的に幼ければ高校生も同じ。

皆さんも見覚えのある光景だと思います。何ら気に留めてはいないのでは?。

彼女達は、無意識にお手本を求めて仲間を見るのです。まず、誰かが先生に返答するのを待つ。どんな返答なのか。内容はもとより、先生に対する話し方、ガードを固めているか、心を許しているか。誰かの返答や態度が問題なしとみれば右へ習えで真似る。そっくりな回答をする。習字の様に、お手本を真似るのです。彼女達が頻繁に好んで用いる言葉、それは

「私も」

 

世界中の成人女性の傾向として、女性は男性に比べ自分が何かを提言し、その責任を自分が負う立場になることを好まない、という調査結果が過去発表されています。誰かが提言したことを実行に移す立場である時、女性は正確で緻密な仕事ぶりを発揮するのだそうです。ならば、まして子供。どんなにはしゃぎ回っていても、心の奥は臆病で内向的。その要素に、お手本模倣が加われば当に(まさに)悲劇。グループのリーダー格がイジメを煽動した場合、グループのメンバーである女子達に選択の余地はない。積極的にイジメを行うか、黙認という形で忠誠を示すかの2つに1つです。

もし誰かが皆の前で、リーダーに面と向かって逆らったら?。他の子達はその子を真似てリーダーと対峙する?。

答えは、逆らった子の力量による。です。

激しい口論が始まった。絶対にリーダーを打ち負かす、リーダーより圧倒的に強い。事態がそこまでいって初めて、それを見届け確認出来て初めて、一斉に彼女達は逆らった子に付く。賛同の証拠に逆らった子の模倣を次々に始める。やがて先生が事態を知って駆けつける。一体どうした、何があった、先生に説明してくれ!。

逆らった子が口火を切る。「A子さんがB子さんにイジメをやってるんです。私が注意したら怒り出しちゃって言い合いになったんです」

そうなのか?。と先生は関係者たちを見回す。関係者たちは互いに顔を見合わせる。その中の1人が頷いた。「そうです」

次々にオウム返しが始まる。そうです。私も見てました。そうです。

 

模倣の連鎖は誰にも止められない。女子のは男子のソレよりもはるかに鉄壁。休み時間、女子達は数人固まり、あたかも集団登校の様相でトイレへ向かう。男子にはソレがない。例え意味不明でも、根拠なき防衛力はあってしかるべきだし、それは昔からよく見受けられた光景だともいう。だが、このたわいもない光景には恐ろしい魔物が隠れている。

誰か一人がトイレに行きたい、と言う。私トイレに行ってくる、ではない。

一緒に行こう、という雰囲気が相手に直ちに伝わる。で、「私も行く」

「私も」「待ってよ、私だって行くんだから」

模倣が模倣を呼ぶ。呼ぶとどうなるのか。互いが互いを真似る。互いの言動をすべからくコピーする。完全コピーでなければならない。真似て真似て一体化する。もはや真似て学んで成長する、という健全な模倣とは全く違った何かだ。

完全に画一化された女子達はたやすくマインドコントロールされるような大人への道を、それと知らず着々と歩み始める。ひた走る。

 

彼女達は16歳になる頃、頻繁に、各々一斉に、グループ以外の子達の前で悲しい錯覚を言いふらし始める。

「私ってヒトと変わったトコあるんだよね~」

勲章の様に、自慢のように。だから個性派女優になれるかも。だから個性は歌手になれるかも。それくらい私は特別かも。

どの子も同じように言う。「私って変わってるんだ」

 

どの子も全く同じ口調で。

 

 

◆写真タイトル / ひとりで行っちゃうモン

 

 

 

★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。

 

 

子供と大人の境界線が取り外されてしまった / イジメの連鎖 (4) / 純粋であれば踏み台の敗者で愚かな弱者なのか

 

 

イジメを失くすには、まずイジメる子の家庭環境を適切な状態に修正する必要がある。家庭環境に問題がある為、この子は不安定な精神状態になり自分を見失ってしまったのだから。

その子と両親を交え、学校における担任面談の場が設けられる。新聞沙汰になる前に四者面談が行われることは大変稀なケース。

親達は我が子の担任教師に聖人君子であることを強く求める。勘違い甚だしいモンスターペアレンツに至っては、さもそれが当然であるかのように教師を恫喝(どうかつ)さえする。

教師は、担任の先生は、聖人君子ではない。あり得ない。教師というのは1職業に過ぎない。学問を教える免許を持っているだけの人に過ぎない。心理学や教育論を完全習得しているわけでもない。大学の専門課程で学んだ経験を持っていたとしても、実際の教育現場では大した役には立たないし、また役に立ったとしても、それを忠実に遂行し、その行為の結果に一切の責任を負うことが義務づけられている訳でもない。確かに子供の動向に注意する道義的責任はある。あくまで道義的にである。子供達の手によって巧妙に隠ぺいされたイジメを見抜けなかったからといって厳重に処罰されるというのはおかしなことだし、あってはならない。

教師自身が生徒をイジメている場合は全く論外な話だが、生徒間のイジメ行為を能力的に見抜けなかったというだけでは罰せられる対象とはならない。教師を断罪しようとする保護者は自分の親としての義務を怠って責任転嫁している、という批判も相次いでいる。

事が起こった時、それは誰の責任なのか、血祭りに挙げられてしかるべき者は誰なのか、という責任追及に奔走するだけで幕引きというのは全く馬鹿げている。イジメによる自殺が起きてしまえば、それはもはや学校とPTAの問題ではなくなり、社会的な問題として扱われる。イジメによる自殺の疑い、つまり殺人教唆罪(きょうさざい)の可能性が出てきた場合、全ての関係者に聞き取り調査が行われる。問題が決着してもしなくても、それは起きてしまった悲しい一事件の決着でしかない。一事件の結末でしかない。

事件となり社会的、法的執行が行われる。社会的制裁もついて回る。当たり前のことだ。最初からイジメのない学校であれば良いのだ、イジメのない社会であれば良いのだ。誰しもがそう考えている。強く。イジメの世界に子供と大人の境界線はない。子供の時にだけイジメが起きる、などとは誰も思っていない。

イジメという陰険かつ卑怯極まりない行為が大手を振って歩く社会は異常な世界だ。誰もが日々そう感じている。このままでは良くない。何とか出来ないか。いや、無理だ。社会というあまりに強大な変幻自在な生き物を前に、一個人で一体何が出来ると言うのか。いや、組織でも無理だろう。皆、そう考えうずくまる。実際そうだから。自身の無力感に溜息をつき、どうにもならないことなら考えても仕方がない、こっちまで心身症にかかってしまう。忘れよう。とりあえず今の自分は、家族は、現実的な脅威には晒されてはいないのだからと。

イジメは一掃出来なくても、イジメによる自殺だけは止められないか。誰しもがそう考える。我が子の登校拒否を親が了承する。退校を了承する。イジメられた経験を持つ子供達だけが通う組織を立ち上げ、傷ついた子供たちの尊厳の復興に心血を注ぐ。学歴社会からリタイアすることなど取るに足らない。命を守る。ただひたすら、この一点にだけ集中する。極めて実践的で嘘のない選択。

命を捨てず踏みとどまる人々が居る。心が持ちこたえられずに悲鳴を上げ始める。それでも耐える。やがて心の病気になり、最悪の場合は壊れてしまう。

イジメる側の高校生達ですら、そのほとんどが自殺を勧める行為が犯罪だと知らず、殺人教唆罪など、ただの一度も聞いたことがないという。当然だ。散歩の途中、道端で死んでいる小鳥を見た中学3年生が親に向かって真顔で言う。

「いつ生き返るかなあ。リセットされるから此処で見てる。先に行って」

幼い頃から我が子を正しく教育しなければならない。真っすぐに生きるために。親なら絶対にそう考える。正しく生きるために必要不可欠とされる、この世の事柄についての知識。少年少女時代に必要不可欠な知識とは保険についてのことである。年金のしくみについてのことである。そんな風に思っている大人はひとりもいない。大人になったら暮らしに追われて心の問題がどうとか言ってられなくなるから、学生の時期に色々学びなさい。そう思っている筈だ。でも何処で?。学校で心の問題を?。命の大切さや、いたわり、思いやり、やさしさ、いとおしさ、いつくしみ、弱気を助け強気をくじくこと、正しき道を掲げ、嘘をつかず、人を陥れず、礼を重んじ、お金で魂を売らない。

出た出たキレイごと!。

人の心が綺麗ではいけないのか。美しくあってはならないのか。純粋であれば踏み台の敗者で愚かな弱者なのか。

もしそうだと言うのであれば、この世に生きるのは、ただひたすらに苦痛だけなのではないか。ひとを嘲り、人を蹴落とし、勝った勝ったと自分の偉大さを吹聴する、それがこの世の真実なのか。それが現実だと鬼の首でも取ったかのように子供に言い含め、人を押しのけ、潰し、なじってでも競争に勝てと教えるのだろうか。キレイごと言って裏で真逆のことをしている人間に騙されたくなければ、騙されない自分を作ればいい。作るのが面倒くさい、騙されるのもイヤ、だったらいっそ、キレイごと言う奴ら全てを排除しろ、そういうことなのか。

いい子ぶりやがって!。

いい子ではいけないのか。優しい子では許されないのか。悪い子が最上だと何処で学んだのか。誰が説いたのか。泣ける話や癒しの話、感動秘話を求めるのは、それが欲しいと痛切に願っているからではないのか。やさしくされれば嬉しいはずなのに、こんな程度でオレが泣くかよ、と何故言わなければならないのだろう。嬉しくて泣くのはみっともない、男は人前で泣かないもんだ。一体どこでそんなバカげたことを教わったのか。誰に教わったのか。太宰治に賛同し言おう。

世間、世間とアナタは言うが、世間て一体どこにあるのですか。

自分の周りの身近な極く少数だけの意見を聞いて、それが世間の意見だと言う。いいやTVや新聞にも書いてあった。書いてあったなら、言っていたならそれは事実。異議はない。誰かが言ったからそうなのだ。それは正しいお手本だ。正しいお手本は模倣に値する。マネれば確実。マネれば完璧。それを子供に教えるのだろうか。

子供達には子供達の世界が有る。大人の世界とは一味違う世界がある。いや、あった。いや、まだかろうじて残っているのかもしれない。やがては完全消失する運命であったとしても。

大人の損得のために子供と大人の境界線を取り外してしまった。子供達の世界に訳の分からない大人の世界が凄まじい速度で流入し、子供達は自分勝手な解釈で、それらの中から自分の気に入ったものだけを取り出し、模倣し始めた。マネを始めた。それが実際の姿と著しく異なっていて、似ても似つかない意味となってしまっても、そんなことはどうでもいい。だって、いい子ぶらないってそういうことでしょ?。キレイゴト駄目なら何でもありでしょ?。違う?。

違う。違う。違います。

 

 

じゃあ何でウチラの世界にこんなもん大量に送り込んだんだよ。

 

 

 

写真タイトル / 誇り

 

 

 

 

★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。

酷暑お見舞い申し上げます / ノボセに注意

Title 確かに、食べるよりは頭に乗せた方が脳がスッキリして良いのだと思う

 

 

信じられないような状況にすっかり塗り替えられてしまった日本の夏。有り得ない、有り得ないと皆口々に喘ぐが、十二分に有り得ていることを皆知っている。当然のこと、この酷暑に参っているのは人間ばかりではない。

 

このネコは、昨日の酷暑35度真昼間に近所で出くわした者。縄張り偵察中の様子だったが、ちょうど捨てたてのソフトクリームを運よく発見したようだった。

拾得物なので注意深くあたりを伺っているが、私は先読みで人家壁に身を隠していたので発見されることはなかった。食べて涼をとるのかと思いきや…。

 

 

◆ これはフィクションです。念のため。

その子を止める声 / イジメの連鎖(5)

 

 

 

それが自分にとって全く未知の世界の場合、子供も大人も関係なく、同じ態度を示します。

教わる。教えてもらう。出来ればスペシャリストに。出来る限り分かり易く。

教わった後どうするか。とりあえず、やってみる。実践してみる。つまりは模倣してみる。真似てみる。

上手に模倣出来るためには、正確に真似るためには、説明をよく聞いて理解する必要がある。理解度が高ければ高い程、模倣は上達する。しかも早い。

教えてもらう → 理解しながら模倣する → 自信を持ってこなせるようになればアレンジも可能。つまりは発展させてゆくことが出来る。

それが基本であるならば、誰に教わるかが運命の分かれ目。ハリウッドスターのスティーブン・セガールは在日時に大阪で日本語を覚えた。彼は流ちょうな大阪弁を話す。

知り合いの息子クン15歳は、お父さんの仕事の関係でアメリカのクイーンズに4年。ギャングまがいのスラング、クィーン・イングリッシュとは似ても似つかぬ崩れた英語を完全マスター。しかもこれが治らない。治せない。息子クンは英語ペラペラ。けれど、まともなアメリカ人なら顔をしかめる英語。帰国後、彼は英語がペラペラだということで丸の内の一流商社に就職。商談相手が顔をしかめているのに英語が喋れない上司は気づきもしない、と息子クンは笑う。

お父さん、お母さん。我が子が、ありとあらゆることを何処で誰に教わっているのか当然知っていますよね?。学校が、教師が、授業科目以外の諸々の事柄も教えている筈だ、などという突拍子もないこと、まさか努々(ゆめゆめ)考えていませんよね?。

野球好きな子供。お父さんがキャッチボールで球の獲り方を教えてくれる。子供は一生懸命マネをする。やさしく教えてくれればお父さんのことが大好きになるし、冷たい声で怒られながら教われば委縮し自信を失くす。野球を嫌いになるかも。

お父さんがキャッチボールの相手をしてくれなければTVの野球中継を見て一生懸命覚えようとする。或いは野球チームに入り、監督や先輩たちから教えてもらう。

ひとりぽっちでTVを観て学ぶ。ひとりぽっちでググッて学ぶ。ためになる。役に立つ。それさえ失くしてしまったなら最後の砦をその子は失う。

成績が上がらないのはスマホのせいだ、だから取り上げる。子供は親に必死で抗議する。ゲームでしか遊ばない子供だ、百害あって一利なし。子供の砦は消失した。

スマホを通じて空恐ろしいことを教わっている場合もある。顔のある誰かに。顔のない誰かに。

問題は、スマホを持っているか、持っていないかではない。スマホを有意義で為になる事に使っているか、ゲーム中毒になっているかではない。

次々に襲い掛かってくる傭兵を殺戮するゲームに没頭する。それを見た親は、ちょっとこれはマズいんじゃないかと不安を隠せない。何故マズいのか。何故、不安になるのか。自分が我が子を抱きしめるつもりがサラサラないからだ。ハグのことを言っているのではない。心に寄り添うかどうかのことを言っているのだ。

ちっちゃい我が子を抱っこしながら、消灯前、我が子の枕元に顔を近づけながら、ホッペタにキスしながら、或いは優しく髪を撫でながら、

「絶対に危ないことしちゃだめだよ。ケガしたらお父さんもお母さんも悲しいよ。大好きなオチビちゃん、どうかお父さんとお母さんのために危ない事だけはしないでネ」繰り返し繰り返し、囁く。その子が自分の顔を覗き込んでいるかどうか、確認しながら日々繰り返す。呪文のように繰り返す。瞳を覗いて繰り返す。

我が子の年齢に応じて囁く言葉が少しずつ変わってゆく。スキンシップも段々遠慮がちになってゆく。それでも続ける。繰り返す。やめない。

「絶対に死んじゃダメだよ。大好きなお前がいなくなったら、お父さんもお母さんも生きてなんかいけないよ。哀しくて悲しくて、もう何にも出来なくなってしまうからね」

その言葉に少しでも嘘があれば見抜かれる。子供は全身全霊で確かめようとするからだ。繰り返し繰り返し、確かめようと試みる。親の本心を。本音を。意図を。何故なら、自分がこの世に生まれてきた全ての意味が懸かっているからだ。

その言葉に嘘がないなら、日々の暮らしの中、親子が交わる言動も親にとっては恐ろしいものではないはずだ。子供が親の気持ちを本音だと、本心だと、自分は愛されていると確信した時、その子は決意する。

 

死なない。絶対に死なない。

 

息子は、娘は、中学生になった。高校生になった。大学に行った、就職した。無茶をやっても、道を外しても、両親の言う事も、誰のいう事も聞かないクズに成り下がってしまっても、どん底に落ちても、将来に一切の希望を失ったとしても、その子は死なない。死を選ばない。人を殺さない。殺せないのだ。誰をも。憎んでも憎み切れない相手をすらだ。

今は既にこの手になくても、かつて本気で愛されたことを実感したことがある。それは表面意識と潜在意識を、深く深くクサビの様に貫いている。生涯決して抜くことの出来ない愛という名残。

 

死にたいよ!。誰かを痛めつけたい!。

 

表面意識も潜在意識も、持ち主に耳を貸さない。かつて自分は愛されたことがある。表面意識は苦痛のあまり、持ち主に同意してしまうかもしれない。だが、潜在意識は信じ込み疑わない。もう一度くるはずだ。こなければおかしいあのささやきがくるはずだ。他の誰かがくるはずだ。

 

もしこの話の “ その子 ” がアナタだとしたら、絶望の果て、アナタは自ら命を絶てますか。絶てるというのであればボクの敗北です。

 

 

◆写真タイトル / つぶらな目

 

 

★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。

その子を止める声 / イジメの連鎖(6)

 

 

 

高校1年時、突如発生したイジメ。登場男子生徒AⒷCDEF、この6名は友人グループ。イジメを受けたのは Ⓑ。最初にイジメを仕掛けたのはA。かつての仲間がうって変わってイジメを仕掛けたという比較的少数ケース。

夏休みを2週間前に控え、指折り数えて待ちに待ったA待望のハワイ旅行が急きょ中止に。理由は両親の爆発的大喧嘩。僅かな情報からAが推察するに、父親の浮気が原因。午前様帰宅した夫を鬼の形相で待ち受けていた妻、たちまち火を噴く口論が展開。何事かと1人息子は足音忍ばせ階下途中まで降り、聞き耳を立てた。

翌朝、絶望の登校。昨夜のことは、むろん誰にも絶対に話す気はない。1時間目の授業も完全に上の空。離婚、という母親の口から飛び出した言葉が何度も頭の中でリフレインする。

先生が気づきAに質問を振る。当然答えられずヘドモドする友人をからかうように Ⓑ 、真後ろの席から「先生、Aは昨日寝てないんですよォ~、悩み多き年頃なんでェ~」とオチャラケた。数人の生徒達から笑い声が起こる。

 

その授業終了からAのⒷに対する態度がわずかに変わる。顔を見ない。避けているのかと錯覚する程だ。Ⓑはチラと思う。からかわれたのでムッとしたのかも。まぁいいや。大したことじゃないんだから少しすれば忘れるだろう、と。

錯覚ではなかった。昼休みには自分がグループから完全に排除されたと確信した。明らかにそうだ。ACDEFの誰に話しかけても完全無視。誰もⒷの顔を見ず、侮蔑の雰囲気をアピールして背を向ける。Ⓑは凍りつき立ち尽くすばかり。どう対処すれば良いのか、と考えることさえ出来ない。頭の中は真っ白。Aはグループの圧倒的リーダーであり、しいて言えば、ⒷはNO3に位置していた。

夏休み突入までの1週間、それは生まれて初めてⒷが経験した地獄。そればかりか、グループ内で事前に約束されていた全ての夏休み遊び計画からⒷは除外されてしまった。

憂鬱極まりない夏休みが明け新学期が始まっても、状況は一切変化しなかった。Ⓑが仲間から完全無視されていることはクラスの誰の目から見ても明らかだった。訳の分からぬ恐怖の現象は連鎖する。完全無視ではないが、男子のみならず女子達までⒷと接触しなくなった。Ⓑが話しかければ返答は返って来る。だがそれは、明らかに話しかけられて迷惑、という印象に満ちていた。

高校2年に進級してもクラス替えはない。明朗活発だったⒷは見る影もなく憔悴した。その変わり果てた彼を見ても、どの教科の先生も声をかけなかった。自ら禍(わざわい)に飛び込む気など毛頭ないからだ。飛んで火に居る夏の無視。

大学生のボクはⒷから相談を受けた。彼は涙をこぼした。こぼしたので、ボクは釣りを諦め本格的な聞き取りを開始した。心理学に基づく聞き取り法を用いた。

ボクは解決策の糸口を発見した。それは彼が話した、たったひとつの有益極まりない情報だった。

夏休み終了3日前、Ⓑは繁華街の書店でバッタリCと出くわした。Cはグループ内では一番温厚な性格だという。Ⓑは震える声で勇気をもって話しかけた。「何読んでんの?」Cは蒼ざめ、頬をひきつらせながら、

「SLだよ」「ああそうか……。SL、どっか撮影しに行った?」「うん…」

Cはうつむき、そう答えると「じゃあ」といって立ち去ったという。

 

ボクは幼なじみのⒷにある計画を実行に移すよう命じた。Ⓑは顔面蒼白でプランを聞いていたが、話を聞き終えた後、何度も困り果てた様に首をかしげた。

「でもそれはぁ………。出来ない…と思うなぁ…」「このままで卒業か?」

 

Ⓑはしつこい説得に折れ、遂にボクの計画を受け入れた。実行すると約束した。

 

日曜返上、ご丁寧にボクは付き添い。Cの自宅傍で、隠れてⒷを待つ。

ⒷはCに詫びに来た、と告げた。理由は分からないけど自分はAを怒らせてしまった。謝りたいんだけど理由を知ってる?。Cは知らないと告げる。そう、分かった。ⒷはCに頭を下げ謝った。せっかくの楽しい毎日を自分のせいで気の重い毎日にしてしまってゴメン。心から反省しています。と。自分が謝りに来たことは誰にも内緒にして欲しい、と付け加えることも忘れなかった。Cに面倒がかかるといけないからと。

 

「どうだった?。Cは居た?」「居た」「謝った?」「うん」「彼はどんな感じだった?」「うん、分かったって言ってた」

Ⓑは少し興奮し震えていたが、僅かな希望を見出したようだった。

その日そのあと、ⒷとボクはD、E、F宅を回り、ボクを待たせてⒷは同じメッセージを各々に告げた。留守の者も居て、再訪問までボクらは喫茶店で時間を潰したりした。

翌月曜、昼休み。Aは突然背後からBに名前を呼ばれ仰天して振り返る。

「ゴメン。オレが悪かった。お前を傷つけてしまった。卒業まで無視してもいい、許してくれなくてもいい。謝りたかったどうしても」

涙で言葉が詰まった。周りにはCもDもEもFもいた。

 

時間が止まった。そしてそれは何も知らぬげに動き出した。以降6人は決して無視の日々を口にすることなく親友を続けた。各々の信頼は、あの日々より明らかに強くなっていた。

 

ボクは後日、お礼に500円の6個入りおはぎをⒷからもらった。

 

 

 

写真タイトル / 弁慶と牛若丸

 

 

 

★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。

自殺の季節 / 自殺問題の本質とは何か / 子供より先に大人が学ぶべき事柄

Title : 生命危険警報発令

 

 

夏休みという名の問題先送り、束の間の避難場所と言う名のそれが終盤にさしかかる今この時、最も未成年者の自殺が増えると言われる。

親にも話せない。友人にも話せない。子供達はみな一様に口を揃える。具体的に言えば、親に話しても親は即刻学校にねじ込む、或いは電話で猛抗議する。学校側に全ての責任があるとの激烈な思い込みから激しいクレームをつけ、速攻の問題解決を迫る。ご存知の通り学校は教育の場だが、それは受験を前提とした教育の場なのであって人生道場的意味合いの教育をさしてはおらず、

ましてや、この世の中は、人生というものは、日頃から慣れ親しんでいる速攻簡単アプリで問題がアッと言う間に解決出来るものではないわけだから、こういった行為は何の益にもならないばかりか、相談した我が子を教室で窮地に追い込み事態を最悪の結果に導くだけだ。だから子供は相談しない。常日頃から

親の言動を見ているので、自分の親がどういう対応に出るのか予想出来ているからだ。

ある高校生が母親の前で無意識にうっかり呟いてしまった。

「いなくなりたい…」

母親は憎々し気に返したと言う。

「自殺だか家出だか、面倒起こさないでよッ」

それで会話は終わった。1時間後、母親は電話で友人相手に夫の悪口に夢中。娘は何千回と心の中で呟いた言葉を口にした。

「居場所がない…」

 

未成年者の自殺を防ぐにはどうしたらよいか。各所で特集番組が組まれ、関係各位の専門家が呼ばれ意見を述べる。大抵は子供の話を親身に聞き的確なアドバイスを与える、という主張に終始する。全く正しいが実際的ではない。

子供が自分の苦悩、苦痛を的確に表現出来ない。正確に伝える能力を有していない。大人にだって容易ではないはずだ。互いに意見交換をする機会がとみに減少した昨今、現実的には酷くむずかしい。

仮に相手の悩みが正確に理解出来たとしても、それに充分答えうるだけのアドバイスが出来ない。親側に。教師側に。そのほか相談された側に。

自分が知りうる貧弱な通り一遍の常識をもって対応しても何の解決にもならないばかりか、ただイタズラに相談者の不信感を一層助長するだけだ。

考えて頂きたい。

イジメられる。そうか、苦しいね、相手にイジメをやめるよう言おうか、相手はバカな奴なんだから相手にしなければいいんだよ、転校手続きをとろうか。

相談者は弱い。心や気概が。物の考え方が。腕力が。様々ある。

何故弱いのか、そんな理由など問題ではない。問題なのは悩みを一刻も早く解決することだ、と大人達は考える。日本人はそう考える傾向が強い。まるで一話完結のドラマのように人生の問題を扱おうとする。子供時代に憧れた完全無欠のヒーローに悪影響を受けているし、成人したその後も、誰かを完全無欠なヒーローに仕立て上げようとする社会の影響を受け続けるからだ。

そんな調子では、問題解決への論点はどんどんズレてゆく。

何故弱いのか。実はこの要素こそが問題解決への第一歩なのだ。

何故、弱いのか。

幼少期より心や気持ちを育てることを大人達が無視したからだ。

イジメる側もイジメられる側も、等しく心が弱い。個々の性格の差で攻撃優劣が現れているだけだ。親や先生に心ない叱責を受け続け落ち込む。

落ち込んだ後、それぞれが決断を下す。どう対処すべきかを。

親や先生には応戦できない。まだ保護下にある現時点では未だそんな力はない。

この苛立ちの発散願望エネルギー、は明らかに自分より周囲の弱者へと変換される。第三者のせいにする子供は、ストレス発散を身近な攻撃相手に絞り込む。だが、どんなに相手をイジメても問題解決はない。故に一層苛立ちイジメは常用化、慢性化し、更に手段はカレートする。この段階では既に手が付けられない子供が完成している。

何故、手が付けられないか。既に子供は常軌を逸している。明らかに心を病んでいて自分で自分をコントロール出来ない。

だが、周囲の大人は絶対にその事実を認めようとしない。心の病なんて考え過ぎだ、たかが子供がそんなに絶望的状態に陥るはずはない。何故って、子供なんて単純なものなのだから。

恐ろしい軽視。恐ろしい鈍感さ。

一方、イジメられる側の子供は原因を他者のせいにせず自分のせいにする。或いは、誰のせいなのかさえ分からない。つまり、自身に起こっている事、自身を取り巻く環境の要素、それら一切が霧の中、ただその中に立ちすくんでいるばかりなのだ。

政府が、SNSで子供達からの悩み相談を受け付けるシステムを開設するや、子供達からの相談が怒涛の様に押し寄せた。子供達はその幼さから、幼い大人達同様、相談すれば即刻問題解決の模範解答が返って来ると信じているので、失望の度合いと反動は大きすぎる。

大人に心の有り様が分からないのに、どうして子供に分かると言うのだろう。

人の心は、気持ちは、どうすれば育つのか。正しく健全な教育とは一体何か。

教育法の内容はいたって簡単なことだ。だが、日本社会では、日本人にはむずかしいことなのかもしれない。

現実世界で起こった、起こる全ての事柄、そのことについて決してある側面からのみしか語らず結論づけてしまわないこと。360度の視点から全様を明らかにし、短絡的なご都合主義で本質を湾曲しないスタンスに立つこと。

例えば、信長、秀吉、家康について、電波で語られぬ日はほとんどないが、それらの大半は3人についての、彼ら自身にまつわる情報ばかりであって、民の犠牲に関しては完全に不問に伏されている。

オラがお国の宣伝効果、は分かるが、売り上げ本位で子供の人格形成に支障をきたしても許される、というものではない。3人の成功者、天下人物語ばかりで、あとはその他大勢、という短絡的な歴史報道が良いわけもなく、手本足り得もしないだろう。ここでも稚拙な完全無欠ヒーロー思想が顔をもたげている。

何も彼らを批判したいわけではない。現実問題として最小限差し障りのない例として用いただけのことだ。

営利第一主義か人間形成第一主義か。長らく日本は営利第一主義路線をひた走って来た。答えは既に出ている。

正しかったのか、間違っていたのか。

 

空中分解システム (19) / 平等という名の模倣 / 一般常識が狂い始める背景とは

 

 

 

けだるそうにスマホでゲームを続けているH、画面から目を離さず器用に動く指先を一瞬たりとも止めることなく、傍にいる筈であろう内縁の妻Eに命じる。

「牛丼テイクアウト、大盛り。買ってこいや」

「さっき言ったでしょ、お腹がもの凄く痛いの、動けないんだよ」

「何だァ?、コラ」

スマホを寝っ転がっていたソファに投げ出し、3時間ぶりに立ち上がるH。Eを見下ろすと2度続けざまに腹蹴り。声も出せず丸まり激痛に耐えるEに、

「使ぇねえオンナ」

 

我が国の常識は目を見張るほど素晴らしい。イジメや日常化した暴力を伴うケンカ、家庭内暴力、それらはあくまで暴力行為であって、強迫性障害や被害妄想、誇大妄想、アスペルガーなどとは一切関係がない案件として処理される。人にやさしく人を傷つけない、人に配慮した素晴らしい常識感覚。このような美道徳の観念は、意味不明なモンスター達の過激な抗議をかわす為に生まれた護身術。それにほぼ類する一般常識である。一般常識が狂いを見せる背景には身の危険が内在する。

悲しみのない大空に飛んで行きたい、という歌詞の歌が児童達の教科書に載っている。とてもロマンチックで美しい歌だ。あの空の向こうに待っている自由って何だろう。もちろん他愛もない夢の歌だ。何の問題もあろうはずがない。悲しみの無い空に翼で飛んでゆくって、どういうイメージですか。子供達に聞いてみたい。

屋上から飛び降りた子。夢のある歌を聴いていれば絶対にそんなことしなかったはずだ。断言出来る。皆で手を取りあい歌を高らかに歌い、慰め合ってさえいれば…。飛べば自由になれるって、一体誰が教えたの?。

 

アスペルガーや強迫性障害は、特殊で極く限られた人々が遺伝で発症する、というのが日本に於ける現在の社会認識。このような真実の提示は、いつどこで誰の手によって成されたのか。これらの推定症候は連鎖する場合が少なくない。

幼少時、親から虐待を受けた子供は、大人になってから自らが加害者となり我が子への虐待を始める。恐らく社会の大半が認識している事実だ。学校で体育会に入部した新入生が上級生から暴力を伴う練習に託けた(かこつけた)暴力を振るわれる。その痛みを身をもって体験した者達、自分が上級生になった時、待ってましたとばかりに下級生にそれを行う。つまりは連鎖。前回記事では感染と呼んだ。連鎖、感染。それは何故頻発するのか。

子供という小人が大人という名の人になるためには、まず模倣から何事も始まる。学校の教科書による勉強も暗記という名の模倣。アイドル歌手に傾倒し人気男優や女優のファッションを模倣する。真似をする。そうやって一つ一つ覚えてゆく。大人になってさえ模倣は続く。ゴルフが上達したければコーチのスィングをよく見て真似る。英会話テープを聴きながら発音を真似る。

ゴルフスィングを真似る、発音を真似る。それは真似て終わるだけ。それ以上の要素は必要ない。

子供の模倣には大人の模倣とは全く違う意味合いがある。最初は見様見真似でも、その後は自分自身が自分なりのアレンジを加えてゆかなければならない。ルールや規則を守りつつ、どこまで自分の裁量でアレンジが可能か、それを一つ一つ自らの意志で決めてゆくのだ。

例えば、学校で始めてカレーライスの作り方を教わる。

「みんな、上手に出来たねー」と先生が言う。皆も口々に旨いと満足気。

“ ボクだけおかしいのかな。ジャガイモが溶けてルーがザラザラしてヤだ。いきなりグツグツ煮えてるお湯にジャガイモ入れないで、炒めてから入れたら煮崩れしないかな~。帰ってすぐ試してみよっかな~」

或いは、「せっかく綺麗な筆箱買ったのに、尖ったエンピツ入れたら中でガチャガチャってなって芯が折れてフデバコの中が黒くなっちゃったー」

その女の子は下校途中にフト思いつく。

“ 鉛筆キャップを買うのは皆と同じになるからイヤだ。綿で鉛筆まとめて5本くるんだら箱の中が汚れないし、アタシだけしかやってないからカッコイイ!。決定だネ!帰ったらすぐやってみよう ”。

押さえても、芽生える自我は抑えきれない。人と違う何かを探す。素朴な疑問に片っ端からチャレンジする。失敗に終われば何故かを考えるし、成功すれば心から喜ぶ。失敗と成功を繰り返しながら、少しずつ少しずつ学んでゆく。模倣はマネではなくなり自分なりのやり方に発展し始める。言うまでもなく、大人が上手に修正したりサポートしたり、子供と一緒にスクラムは組んでも子供から主導権を奪う事だけは許されない。子供の自我形成を第三者が行えるはずがない。

 

皆と平等に扱え。うちの子を下にするな。教育委員会に報告するぞ。

かくしてモンスターペアレンツの指示通り、寸劇の桃太郎は出演者全員が桃太郎になる。余りにも有名なお話。

言葉に関心を払わず、言葉をないがしろにする末路。平等とは分配時に適用される言葉。会社の給料は個々の社員に分配されるが、金額は、給与は、平等であるはずもなし。日本は社会主義国家ではないのだから。

基本的人権は平等。憲法で保障されている。給与金額が平等だ、などとは記されていない。法律に於いても。憲法で男女は区別なく基本的人権が平等に保証されている。平等だからといって公共トイレが男女兼用だというわけではない。平等の中に、区別と差別が在る。銭湯が混浴でないのは、性別の区別をしているのであって差別しているのではない。配役の桃太郎と犬の違いは区別であって差別ではない。区別は平等という概念の中に組み込まれている。明らかに実力が上だと皆が認めている人が、明らかに劣る人に負けたと皆が感ずる時、そこに初めて区別ではない差別の疑いが生じる。

話しを基に戻そう。学ばず考えず、工夫せず、アレンジを試みず、ただ真似だけ行って育つと自我を形成しないまま成人してしまう。アレ?、オレの、ワタシの自我は何処だ?、無いはずないだろ、アイツもコイツも持ってるんだから、みんな一緒なんだから、コッチにないはずないんだよ!、誰か盗んだのか!。

かくして、自分探し。なる言葉が流行する。探しようがない。何処かに転がっているわけがない。成長過程で身に付けるべきものなのだから。

自我が形成されなかった。つまり、自我が芽生える前の子供が物理的にだけ大人になっている。個性なし。自分なりのオリジナルな思考なし、処世術なし。

誰かがオレオレ詐欺。誰かがアスペルガーに成りすまし。うまいことやった。いいな。自分にもあれくらいなら出来そうだ。

 

模倣連鎖。真似る感染。止める術はあるだろうか。

 

 

 

◆写真タイトル / 自分探し

 

 

 

 

★ネコならエッセイ / 当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。