Title : 重き石はやがて軽くなる
またもボクが呼ばれた。知人の幾つかのツテを介し、会ったこともない1人息子の父親に会う。
彼の仕事の関係で2ヶ月後に関西へ転勤、当然小学3年生の息子(以下A君とする)も編入する。気は弱くもないが決して強くもない息子がイジメの標的にされることを極度に恐れている。本人よりも両親が。戦慄していると言っていい程に。
ボクはボクら一派が『反射反復模擬』と呼んでいるハードハッスル法を両親に伝授するため彼らの家にまで行ったのだ。
ボクは友人に言った。「何でお前が指示しないんだよ」「お前は口が上手い」
反射反復模擬 1⃣ 父親とA君の質疑応答
父親 「お前ウザいんだよ。ウザすぎ。アー、目障り。消えろ」
Aクン「ウザいヤツまわりにイッパイ。みんな消えなくちゃいけない。誰もいなくなるよ」
父親「バァカ、お前だけウザいんだよ。お前ひとりだけだ」
Aクン「この先、きみも誰かにそう言われる。ウザい。誰かをウザいって言うヤツ、一杯いるから」
父親「言われねえし。それに、先のこと言ってんじゃねー。今だ今」
Aクン「でも今はすぐ過ぎる。君もすぐ言われる。ウザい、ウザすぎ」
父親「アー、ほんとウゼェ、コイツ!」
Aクン「世の中、ウザいの一杯いるよ。慣れなよ。でないとイライラ爆発だよ」
これは脚本のシナリオ。大体の趣旨が合っていれば、多少言い回しを変えても良い。練習初期段階では気持ちを込めなくても良い。棒読みでも良い。
お互いが何十回もこれを行い、子供がキッパリと暗記会話に慣れたと断言した段階で、初めて心を込めたセリフにする。双方共だ。
この段階で最も重要な点は、会話の論法を子供がハッキリと認識出来ている事。
ウザい → 世の中ウザい者だらけ → だから、いちいちそんなこと言わないで、一刻も早く、他人に慣れた方が得だ。
ウザいと人に言う人も世の中いっぱい居る → だから必ず誰かに言われる
反射反復模擬 2⃣ 内容の激化
父親「お前、何で生きてんだ。4(し)ね!。4んでしまえ!」
Aクン「イヤだ。ボクは焼肉が大好き。大人になったら焼肉いっぱい食べたい。焼肉屋になって皆においしい焼肉食べさせたいから4なない」
父親「ハア~?!。だれが焼肉屋の話してんだよコラ。オメーが4ねっつう話してるんですけど」
Aクン「ボクがしてる。焼肉の話。君は何になりたいの?」
父親「アホかコイツ!。だから4ねって言ってんだよう!」
Aクン「イヤだ。ボクは焼肉が大好き。大人になったら… 以下反復応答
反射反復模擬 3⃣ 保護
この質疑応答、終了時、必ず子供を抱き締める、或いは頭を撫でる、或いは肩を抱く、或いは握手する、数回その動作を行う。子供の年齢、性別に合わせて行う。必ず行う。
その動作と同時にねぎらう、或いは励ます、或いは、ガンバッたね、と褒める。毎回毎回、必ず行う。子供が返答するしないに関わらず続ける。
子供が、もうツライからやるのがイヤだ、と言った場合、それは実際にイジメられた場合、必ずイジメで折れる、と認識出来る。絶対に持ちこたえられない我が子だと認識出来る。
その場合は、イジメを受けた場合は、自分達親がどういう行動に出るか事前に夫婦間で話し合っておかなければならない。転校は同じ繰り返しとなり本人が完全に自信喪失する可能性が高い。登校拒否は最善の付け焼刃で、進学進路より本人の健全な自我形成にもっとも力を注ぐべきだ。
学習の遅れが心配なら父母どちらか、もしくは双方が先生となり学業指導することを強く勧める。
出来れば双方が教師となることが望ましい。子供は守られている実感を持つ。
父親が多忙で教えられない場合は、休みの日に必ず遊び相手となる事を自身に義務づけることだ。1時間でも構わない。何をして遊ぶかはどうでもいいことだ。
父親に構ってもらえた。と子供が認識出来れば、それだけで目的は達成されたと考えるべきだ。
学業指導で最も重要な点は、成績向上ではない。学業優先、成績アップなど全くどうでもよいことだ。他の同級生と足並み揃えた就学スピードなどくそくらえと強く認識しなければならない。
一流大学卒の成功者を数多く見て、単純に、短絡的に、人生の成功者は皆そうだと考えるのは卑怯だと認識するべきだ。
学歴のない人でも成功者は大勢いる。うわっつらを見て、そっちは苦労しそうだから親心で、などという偽善思考は捨てる方が子供のためだ。
見事な学歴も、人が羨む就職も、エリートである本人が心に闇を抱えていては全く意味を成さない。つまりは一触即発。
反射反復模擬 4⃣ 状況は関係ない
登校拒否、引きこもり、となっても質疑応答は続けること。子供も学校に行かないのであれば気が楽だ。
それでも拒む場合は、質疑応答をPCもしくはスマホのメールで行わせる。義務づける。それもイヤならそれらを取り上げる、と宣言し断固強行する。
ここで重要な点は、こどもに嫌われたくない、強制しては子供が可哀そう、という気持ちで質疑応答を止めてしまわない事。
止めた場合は、最後の砦である肉親がこどもを甘やかし、見捨てたのだと言う事実を肝に銘じて欲しい。
投げ出した親、甘やかした親、見捨てた親を見て喜ぶ子供。
その時点で、子供は本当にウザい子になったのだ。逆に、今ウザい子もこの質疑応答をするまでにもっていければ、確実に蘇生する。
彼らは転勤転校し、父親が恐れていた事態が現実となった。メールで『4ね』と送り付けられた。A君はメールの質疑応答も行っており、誰が発信者か分からないものの、折れなかった。
生まれて成人するまで、ただの1度も可愛いねと異性から言われた経験のない女性が、ある日初めてそう言われた。嬉しくて眠れないほどだ。
生まれて成人するまで、数多くの人に可愛いねと言われ慣れた女性は、嬉しくて眠れない、ということはないだろう。慣れたからだ。慣れているからだ。
むしろ、可愛いね、と言わない相手を敵視さえするかもしれない。
言葉は慣れる。慣れると、恐ろしい言葉もただのセリフになってしまう。見慣れる、聞き慣れる。聞き飽きた、見飽きた、もうウンザリだ、と人が言う。何故?
その言葉に何の感情をも持てないからだ。空虚でガランドウの意味なし言葉と脳が解釈するからだ。
ボクは別にこの方法をユーザーに薦めてなどいない。ただ、この手法は数えきれないほど人を救ってきたという事実だけは記したい。ボクが?。いいや、世界中で行われている。友人同士で、恋人同士で、親子で。今も。いつも。
明日も。