夢を追うって、どんな夢を追えばいいですか。
色々チャレンジしろって、何にチャレンジすればいいですか。出来れば箇条書きにしてもらえませんか。お薦め順に書いてください、お願いします。
チャレンジするとして、どうやればいいですか。聞ける相手がいません。居ても知らない人とは話が出来ません。
やりたいことが有りません。付きたい職業も有りません。
「君(V)、空っぽなんだね本当に」
その言葉に激しく反応したVの真横に座る母親(O)、
「今のは失礼でしょう、いくらなんでも。アナタがカラッポって言われたらどんな気持ちがしますか。可哀そうじゃないですか」
「可哀想だ、可哀想だ、でずっと育ててきましたね。可哀想でなければそれで良かったんでしょ?。今のV君は可哀想なんて状態ではありませんよ。悲惨極まりなくカラッポです。……まあ、最後まで言わせて下さい。自分のことについて他人が指摘してくれたんですよ、空っぽだと。侮辱や侮蔑の言葉を投げつけるのは指摘ではありません、言葉の暴力です。
V君の再生を考える立場の人間がカラッポだと言う場合、それは侮辱ではなく指摘です。世間ではコレを ” 上から目線 ” と面白いこと言う人が居ますけどね。自分の内面の状態が指摘されたんですよ。指摘してもらえたんです。喜ばないでどうします。だって、誰もそんなの知るかの世界に生きてるんですよ、アナタの息子は」
「私の育て方が間違ってるように聞こえますけど」
「間違ってます、全力投球で間違ってますね。侮辱の言葉と指摘の言葉を混同する人が子供を育てればアヤフヤな知識を教えているということになるからです。挙句、アナタは責任を取り切れず、こうして医者でもセラピストでもカウンセラーでもない人間に相談している」
「………」
「私が間違っていました、とは言いにくいでしょう。V君と共にお母さんもこの際一緒に学ぶべきです。いま、息子と共に学ばなければ、V君が新生V君になった時、息子はお母さんの手の届かない天空へまで行ってしまいますけど、宜しいですか」
「それは…困ります」
「私が間違ってました、というのは抵抗があるでしょう。でも、これだけは今ハッキリ言って下さい。“ 訂正します ” と。今後、コレを使いまくって下さい。これまでより楽に生きられるようになります。これも言えなければお手上げです。言えますか」
「訂正します」
「V君は行列の出来る名店なら何処へでも行くそうだね」
「まあ…。することないし暇なので…。何時間待っても、暇だけは一杯あるので…」
「ボクには何もないって、味覚があるじゃないの。美味しい物食べてると満足感かなりあるの?」
「ああ…それぐらいは…いくらなんでも有りますね(笑)」
「それぐらいって、長蛇の列に何時間も並んで待てるなんて能力あるじゃない。ボクなんか5分待たされたらプイッて居なくなっちゃうよ」
可哀想、の考えの基に何もさせない。隠れているのが一番。いかにも女性らしい考えだ。女性本能だ。男は戦いを挑み負傷するが、戦いを放棄する女性は助かる率が異様に高い。その女性本能を男である息子に適用する誤り。最適だからと決めつけ男性に女性本能を宛がうのは大変な無理がある。可哀想の名のもとに経験を摘み取る恐ろしさ。恐ろしいと想像出来ないそのイマジネーションの無さが想像力のない子供を大人の入口にまで誘う(いざなう)。門前払いも知らず。
名店行列でぼんやり立ちん坊。30分置きに自然体で自分の顔の自撮りを指示。2時間待てば4枚写真が撮れる。並んでいる間、人々の後ろ姿を観察し、どんなささいなことでも、くだらないことでもいいからスマホのメモ帳に書き記すよう指示。
店内に座った直後も顔自撮り、注文の品が目の前に置かれ、それを一瞥した直後にも自撮り。食べている最中にも自撮り。食べ終わった数分後にも自撮り。撮影した自撮り写真は、運ばれた直後の料理写真と食べ終えた後の空ウツワ写真と共に、並んでいる時に観察したメモ書きと共にファイル保存。
半年後にファイルを閲覧させてもらう。
2人連れだと話が続かないが、3人連れだと話がまだ続くことが多い。
黙って待つ人が圧倒的に多いから、自分も浮いた感じにならなくて目立たないから気が楽。
などと書かれている。母親が気づいた。食べている最中の息子の目が一番生き生きとしているような気がする、と。食べ終わった後も、いつもの変な緊張感が少し無くなっている気がする、と。
V君はこれらの指示を実行し続けた。ただ淡々と機械的に。指示の実行は面白くもなければ、つまらなくもない。億劫でもなければ、増えてゆく写真コレクションに全く関心もない。心は虚ろ。味覚は充実。
半年後、名店長蛇の列に母親も参戦、二人で並び待つことに。自撮り写真を母親も行う。特段、仲がこれまでよりも良くなったわけでもなし、悪くなったわけでもなし。指示された通り、親子の自撮り写真は毎回並べて比較できるようにフォルダ保存。互いのメモ書き内容は似たり寄ったり、何の面白みもない。毎回同じ文面に2人そろって辟易で丸一年が終了。
2年目の春先。在る時、魚の煮魚を食べていた母親がひとこと。
「これくらいならワタシの方が上手よね」「えー、ホントに」
V君は母親の魚煮付を食べたことがなかった。魚の煮付は嫌いだったからだ。しかしそれは小中学校時分の話で、24歳の今は魚煮付けが普通に食べられるようになっていた。そんなわけで2人は自宅に戻り、母親は早速その日のうちに名店と同じノドグロなる魚を使って煮付を再現。
それから2年後、V君は自分が作った魚煮付料理の店を自宅にオープンした。ボクはこれを予測して指示したわけでも何でもない。ただ、きっと何かが変わることを知っていただけだ。
「お客さんを待たせないことに気を使ってます」
確かに美味しい!
◆写真タイトル / 行列
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