隠しの日本人美学 (2) /リベート下手はダメですか?

Title : レントゲン撮影されるIT炊飯器ボット猛(たける)

 

 

隠してビックリ、開けてビックリ玉手箱の姉妹品DNAとして、広く日本人に認識されているDNAが “ 隠して当然、そりゃそうだ ”。別名 “ 言わぬが花 ”。

日本人は自己主張がヘタ。或いは、得意であっても自己主張を好まない。スタンドプレイを嫌い “ 和 ” を重んじる。強制される場合もあるが、基本的にはそれが性に合っていると感じている。日本人なら。

“ 出る杭(クイ)は打たれる ”、当然な自己権利を主張した時でさえ、ややもすれば悪名高き “ 自己チュー ” レッテル張られてしまうお国柄。個人より組織の文化なんだねぇ。“ 言い出しっぺ ” もあまりいい意味では使われない。日本観光に来た外国人が周りを行き交う日本人を見回し、完全単一民族(実際はそうでなかったとしても)オンリーに改めて驚愕したという話をよく耳にする。へえ、そうなんだあ、と日本人。

日本の常識、世界の非常識。そんなことは言いがかり。だってサバンナやアマゾンで暮らす人々の常識が世界の常識のはずはないし、共産圏国家と自由主義国家の常識が同じであるはずないもんね。白夜の国の人達はその影響を思考に間違いなく受けているし、暑い国と寒い国でも常識なんてまるで違う。常識なんて世界規模で統一出来っこないもんね。そんなこと言う人って、もしかして常識を風習、慣習、人権、法律と混同してるのかな。EU統合に共通常識の統合が義務づけられていたとしたら、加盟する国なんてほぼ皆無だったに違いない。

経済(だけじゃないけど)がグローバル化した今日、日本人が外国人とリベートを交わす機会が増えてるよね。自己主張を良しとしない日本人VS自分の権利は自己主張によって勝ち取る、が常識の国に住むお方。和を尊ぶ、和をもって良しとする、は美しき人間のたしなみ。それは当然、慣れ合いとは全く違うわけだから、相手を論理的に納得させるリベートにその介入など許されようはずもない。

普段から、昔っから、自分の権利を理論武装によって勝ち取るなんてこと、日本人は一切してきてないもーん。ただし国会は別。国会はケンケンガクガク、論争待った無しの場。そこでもリベート無いのならとっくに国は滅んでる。ここで言うのは日常生活の場でのお話。

よくよく考えるに、リヴェート避けて世界と渡り合うグローバリゼーションて果たして可能?。和の国日本では裁判訴訟は身近じゃないよね。裁判沙汰、なんて尋常ではないとの意味合い含む呼び名があるくらいだから。自分の権利は主張してしかるべき、お国は裁判花盛り、一番の高給やり手弁護士は当然リベートの達人。そんな国が日本でいいと思うヒト、手を挙げてッ。リベートは正義でなくても構わない。真実でなくても構わない。とにかく相手を理論で納得させればよいのだ。つまり、用意周到なテクニックが必要。それを磨けば、勝てる。

日本人1人1人、ことごとくがリベート大好き人間になっちゃったら、この国一体どーなるの?。どーなると思う?。それって花鳥風月ぶち壊しの有様じゃない?。訴訟大国ニッポンなんて望んでる人多くない気がする。日本がリベート大国、訴訟大国と化した近未来もの、どこかの映画会社さん、制作してみてはいかが。案外、超1級のホラーかもね。