心臓と肝 / ギャル曽根と力士 / 投資

Title : 投資PC会議の目玉

 

 

厚顔無恥という言葉がある。

恥知らずでいても平気な顔をしていられる、という意味。

しかし、ツラの皮が厚い、という言い回しがあることを考慮すると、厚顔無恥の厚い顔とは、肉ではなく皮(ひふ)で厚くなっている状態であることが分かる。

つまり、恥を知らない人間は、かんきつ類で言えばミカンではなく、グレープフルーツのタグイであることが判明する。

心臓に毛が生えている、という言い回しが在る。

堂々としていて勇敢である、という良い意味もあるが、大抵は、図々しいとか厚かましい、といった悪い意味で使われることが多い。

何故、心臓に毛が生えていると、あつかましいという表現になるのか。昔は、肝に毛が生えている、と言われていたそうだが、それとて同じく意味不明だ。

ネコや犬には全身びっしりと毛が生えているが、心臓に生えていなければ問題ないということなのだろうか。

肝が据わっている(すわっている)、という言い回しもある。

態度が安定している、どっしりと構え落ち着いている、という意味だが、

肝機能低下の人は、もはや落ち着いてなどいられないというのだろうか。

このように、先人の教えも、説得力を感じ得ず、いまだに分からないことだらけだ。

幕の内力士を目指す少年達はチャンコを食べて食べて食べまくる。将来への、自分自身への投資と言える食べ方である。

ギャル曽根は違う。勿論、大食いタレントとしてギャラを得ることが出来るが、仮に仕事の依頼が一切無くなってしまったとしても、彼女は大食いを止めないであろうと思われる。

つまり、投資であろうがなかろうが、儲かる時は儲かる。

肝は、肝心、だとか、肝を冷やす、とか色々褒めちぎられているようだが、焼き鳥屋にレバーが有っても無くても、気分が悪くなければ美味しいお酒はレバー抜きでも飲めるのだ。

だから言いたい。

あんまり、型にはまったことに、昔からある、というただそれだけの理由で、さして意味を成さない事柄に振り回されるのは、もうやめようではないか。と。