松田聖子を救った歌詞 / 赤いスイートピー

Title : 時代を制する歌詞をねッ。メガネかけて待ってます。

 

 

言葉の逆転劇。歌詞の持つ威力。

デヴューから1981年迄、アイドル旋風の目、松田聖子は同性から激しい反感を買う。繊細な彼女の頬は涙の感触をすっかり覚えてしまった。

1982年1月。楽曲 ♪ 赤いスイートピー発売。

 

何故 知り合った日から 半年過ぎても あなたって 手も握らない

 

女性達が振り向いた。手も握らないその男性は、

ちょっぴり気が弱いけど素敵な人。

 

赤いスイートピーは、その時代を生きる女性達のハートを射抜いた。松田聖子は女性達に熱狂的な支持を持って迎え入れられる。それは絶対的なスーパーアイドル誕生の瞬間だった。

 

時は移り、女性達は草食系男子に絶望感を抱く。時代の価値観の違いと言ってしまえばそれまでだが、一体何がどう違ってしまったのだろう。 “松田聖子を救った歌詞 / 赤いスイートピー” の続きを読む

融通を利かせろ、どういう意味?

Title : ユーズーマン

 

 

かつて日本のシンガー・ソング・ライター泉谷しげるは自作の楽曲の中で、

国旗はためく 元に集まれ 融通の利かぬ自由に乾杯

と歌った。融通とは仏教用語で、相反するものが互いに溶け合い融合し、とどこおりなく物事が進むようになること、という意味。

 

かつて中国では万里の長城が建設された。日本では目に見えない鎖国が打ち立てられた。ドイツではベルリンの壁が建設された。

ジョン・レノンはイマジンの歌詞の中で、国境もないと想像してごらん、と呼びかけた。

アメリカはメキシコとの国境に壁を建設する構想に飲み込まれている。

話し合いの期間は既に終わった、磐石尽きたという人が居て、最後まで双方にとって最良な道を見出すまで話し合いを続け、強行手段を回避すべきだという人がいる。ディランが歌った、

その答えは風に吹かれたままだ。

立場の違い、環境の違い、考え方の違い、ありとあらゆる違いで物事は滞る。

永遠に融通が利かない問題も世界には多数現存したまま。

相反するものの中間に立ち、最終的な英断を執行するのが政治家でありリーダー。最初のワタリを行う者は勇者か愚か者か、などといった話し合いは結局何をも見い出せない。歴史を見て後年人々が答えを出すだろう、はお決まりの文句ではある。

社会機軸がガタガタになってしまった日本に於いては、自分の主義主張を一方的に押し通そうとする人間が日々増殖している最中だが、自己中心的我がままと言う名の主義を掲げる者達が口を揃えるのは、

「もっと融通を利かせろ」

前記の融通の意味さえ知らず、免罪符のような物言いをするのは呆れ果てるほかない。

その人達は自分自身が壁になり、社会の融通を手前勝手に遮断してしまっていることを知らない。

小さな子供の昔に帰って熱い胸に甘えて / 聖母たちの子守唄

Title : 不死鳥は誰に来る

 

 

さあ 眠りなさい 疲れきった体を 投げ出して

青いそのまぶたを 唇でそっと ふさぎましょう

ああ 出来るのなら 生まれ変わり あなたの母になって

私の命さえ 差し出して あなたを守りたいのです

この都会は 戦場だから 男はみんな 傷を負った戦士

どうぞ 心の痛みをぬぐって

小さな子供の昔に戻って 熱い胸に 甘えて

〈マドンナたちのララバイ/ 岩崎宏美〉1982年

 

この楽曲は、女性から男性に対して捧げられた母性愛的包容力がテーマになっているが、こういった基本的な感情は、いかなる人間関係にも当てはまる。

性別を問わない友人関係や師弟関係、家族愛や博愛、それら全ての擁護、庇護の感情こそが、いかなる社会にも必要とされ理想とされる世界の核だ。 “小さな子供の昔に帰って熱い胸に甘えて / 聖母たちの子守唄” の続きを読む

ふたつの人種差別に関する一考

Title : 待て待て待て。オレは今日からいろ色んなことを考えてみるようにスルー。

 

 

昔から何処の国にも人種差別はあった。

ふたつあった。今も人種差別が歴然と存在し、やはりふたつとも、ある。

一つは、周知の祖国別差別。白人VS有色人種が代表格で、以下白人間、有色人種間でも人種差別が継続中。

二つ目は、社会的階層による差別。金持ちと貧乏人、勝ち組と負け組、容姿の優劣、などが代表格で、以下枝葉の如くに細分化される。

釣りをしていると美味しいハプニングに遭遇することがある。置きっぱなしの仕掛けに小さなハゼが掛かり、放置されている間に大きなヒラメがそのハゼに襲い掛かり、釣り人が漁夫の利を得る。

魚も、出来ることなら楽して餌にありつきたいと常に考えている。これは事実で、餌を同種から横取りしようとする昆虫や鳥類、哺乳類の報告も山ほどある。

楽して得る。

人間世界でいえば、コネであり、親の七光りであり、ひょうたんから駒。これらは区別ではなくれっきとした差別行為。社会的優位。こういった差別は腹立たしくはあるものの社会的には容認されている。人種が違うんだアイツとアレ達は、などとこぼしたりもするが。

つまりは、人種差別には社会的に容認されている類のものと、決して許されてはならぬものの二通りがあるということだ。

前記一つ目の人種差別は絶対に許されてはならず、世界規模でスローガンを掲げている。

問題は二つ目の人種差別だ。健常者と非健常者の問題に始まり、ありとあらゆる形態の差別が存在する。

文化意識が先進国から逸脱してしまっている日本国に於いては、盲導犬を連れた盲人はほとんどの食堂で門前払いを食う。お客様が不潔だと嫌がるから、が大義。

差別の自覚なきマスコミなど先進国のそれのはずがない。アラサーだのアラフォーだの無邪気な流行り言葉と捉え、年齢差別を助長している自覚さえない。言われている当人達にもない場合が多い。

TV記者会見で関西学院大選手に背後からタックルした選手に対し、ある評論解説者は「あんな子が独りで…。立派だ」と…。世間も同調した。

二十歳は社会的に大人で、子ども扱いするのも差別意識。そういう意味ではないなどというおかしな言い訳には無理が有る。

二十歳過ぎても女性達はいつまでも男性達から子供扱いされる。我が国の常識だ。子供は弱い。弱い者を支配する行為が差別なのだ。

士農工商の武士社会中心の時代劇ばかり有難がって見ていると、いつまでたっても差別の自覚さえ気づきはしない。

年を取り、自身が弱者の立場に追いやられて初めて、それを自覚するというのだろうか。

指示待ち族VS指示よけ族

Title : スズメバチ

 

 

ただただトップの命令に盲目的に従うしかなかった、と日大アメフト選手達。大学のみならず会社組織に従事する社員達や政治家達はどうだろう。

日本人は皆知っている。気づいている。皆そうだと。

故に、マスコミはこの問題を執拗なまでに追求し、社会の歪んだ構造に一石を投じようとしている姿勢も感じ取れなくはない。

これが、こんな情けない物が、モノゴトを考えることを面倒臭がった果ての国民の完成彫像内容なのだろうか。

面倒臭いだけの外交には注意深く練り上げられたリベートのかけらもなく、ただ金をバラまくだけ。バラまけばバラまく程に国は傾き続けているというのに。

ゆえに米朝会談は完全に蚊帳(かや)の外。隣国の緊迫感が最高潮に達しているさ中、国内は日大問題と加計問題一色沸騰中。

拉致問題は一番大事だから絶対に北朝鮮に伝えて欲しい、とトランプ大統領にはお願いしておいた、と政府の研ぎ澄まされた外交が報じられる。 “指示待ち族VS指示よけ族” の続きを読む

日本人の和菓子に対する嗜好変化

Title : お~でぃお大福

 

 

日本人の和菓子に対する嗜好も、今ではすっかりサッパリと様変わりした。

昭和までは大きな福であるところの大福が大人気だったが、今ではそれも甘き夢。誰も顧みず、近頃の一番人気は “ 見たらしい断固 ” だと言うから空いた口がミタラシ団子で塞がらないというのが誰しもの実感だろう。

見たらしい断固に次ぐ二番人気は何といっても ” きな臭い勿論 ”。三位が “ 安倍の皮 ”、四位が “ 動揺時 ” 。

 

…………。

 

書いていて、これらの名称はユーザーに意味が通じるのだろうかと突然不安に襲われたので、ここでやめることとする。

You are my sunshine

Title : gesus

 

 

☆ Please, fix the original Lyrics!

〈どうか正規の歌詞に修正してください〉

 

You are my Shining

my Jack Shining 

You make me apply 

When Scull the gree

You’ll never only

How much eyes love you

Please don’t take up Shining away

 

 

Everyone please continue to modify every day join forces.

〈どうか皆で日々修正し続けてください〉

 

ネタバレという残念現象における一考察

Title : 「コワイお話、知っていて損はない。理解出来た恐怖は最大の防御、理解せぬ恐怖は人の成長を止める。さぁ、入りなさい」

 

 

日本に於いて、近年様々な異様現象が若者の間で観察されるが、『ネタバレ』なる奇異現象もそのひとつ。物語ならTV番組でも映画でも小説でも、何でもかんでも顛末を先に知りたがる、というヤッカイキテレツ。

不幸な顛末、自分が気に入らない結果、怖い要素あり、なら見ない、読まない、知りたくないと耳を塞ぎ目を塞ぐ。結末が自分の気分を害さず傷つけず、高揚させてくれるのであれば安心して鑑賞することにする。

マスコミは、新現象こそ今を伝える風とばかりに面白おかしく流行に拍車をかける。数年前から台頭した現象ではあるが依然として継続中だ。

だがしかし、この現象は深刻な社会病だと、薄々気づく人は気づく。

自分が極度に気に食わない事柄は完全にシャットダウンする。しかも、気に入らないと全否定するに至った解答は全て他人の功労によるもので、自分はハンモックでくつろぎながら、ただ「報告せよ」と言うだけ。

物語のプロセスには、様々な人生における有形無形の絆や関連性の正体が内包されており、それらのエピソードが持つ力は、時に読む人次第で、結末を遥かにしのぐ感銘や感動の味わいとなることも少なくない。

結末だけ知りたい。

それは、物語とはスジが面白いかどうかだけのものだ、と公言しているに等しい。まるでアイテムのカタログを見ているかのような捉え方だ。

完成され陳列された製品の数々は全てが結果。機能性や装飾性、価格といった結論のみの現実的な視覚的顛末。

結論が気に入るかどうか、のみ。

やり取り不要。相関関係など要らない。

人間関係のズレや思い違いからくるアクシデントやハプニング、それから学べる多くの人生における “ 転ばぬ先の杖 ”。そんなのウザい。

自分だったら主人公の様にはしない、こうする、ああする。そういった比較検証から芽生え始める自我と言う名の個性。

それが全て失われる現象、それがネタバレだ。

 

因みに、このブログのメニューにある『ネタバレ日本語』とはネタバレの真逆だという皮肉。

日本諸島とガラパゴス諸島の同一性について

Title : 「ボクは充分漬け込まれたからこそ美味しいピクルスになれたんだよ」

 

 

世界が注目する先進国日本の『少子高齢化対策』。政府の万策は対策実行開始前から尽きていた。つまり、国体保持警戒態勢最高レベルを前にいともたやすく全面降伏した。

物語が始まる前に物語が終わっている。それはつまり?。

最初から物語などなかった、と子供はママから告げられてしまう。

え?、何が何だか意味不明?。確かに。具体的に説明させて頂きたい。

 

少子で更に高齢化。そしてそれは真っただ中状態。

経済が人生の基軸全てである日本人にとって、神とは経済成長の素顔である日経平均、教会は企業、牧師は政府、そして信者である大衆は労働力。

信者が数人の教会。あらゆる意味で深刻な事態。信仰心のない者は、そんな事実に無関心だし、関心ある者は神の存在を一層知らしめなければと躍起になる事だろう。

ひとつの宗教における信者に国籍など関係ない。ゆえにキリスト教の牧師達は世界中を旅した。

政府は外国人労働者に対して、異常に高い就労条件を提示する。結果として、当然のごとく、海外就労希望者は魅力的な就労条件を提示する他国へと流入する。

つまり、政府の思惑通りの結果が得られた。

日本は世界に類を見ない特殊な事情を抱えている。島国である我が国は、長きに渡って単一民族国家を維持してきた。ガラパゴス諸島の生物達が独自の進化を遂げたように、当然我が国も独自過ぎるほどの特殊文化を持つに至った。それはあまりに根強い。

西洋かぶれだ、との海外からの指摘は的を射ているが、それは日常生活における表面的で便宜的な様式のみに留められている事を海外の人々は知らない。 “日本諸島とガラパゴス諸島の同一性について” の続きを読む

司会者ぶりも芸のうち / 視聴者に気づかれない隠し芸か

Title : ルージュをミサイルに見せる芸

 

 

日本のお笑い芸人と自称する人達は、人気が出るや即刻TVバラエティー番組の司会者となる図式は周知の事実。お笑い芸人は話し上手なのだから司会者は適任だというTV局の判断なのだろうか。そう言われれば、そうかなとも思う。

芸人さん側もコンスタントな出演で顔が売れ、地方巡業などでは集客力が非常に高まるので双方万々歳というわけだ。

バラエティー番組の司会者には厳しい言動規制がある。ヘタなことを言えば抗議殺到で番組降板、TV局、事務所に多大な損害をもたらしてしまうからだ。

個性ある独自のお笑いを追及して芸人の道を選んだはずだが、厳しい規制の中、複数のお笑い芸人司会者達は、みな画一化されてしまい肝心の個性が希薄になってしまっている。

それでも個性を出せていて人気のある人達はルックスと口調で個性をアピールし今という時代の顔に収まっている。

現在、日本に於いて個性的なバラエティーもの司会者、常連は、辛らつな物言いの方々で、そこが売りであるかのようだが、実は本質に触れる発言はクレームかわしで完全スルーしており、にもかかわらず、スルドいコメンテーターに見せているところが隠し芸というものなのだろう。

本気でスルドいコメンテーターだと信じ込んでいる視聴者はただただ手玉に取られるだけ、ということか。いやはや、見えない、気づかないところで芸を披露しているとは、何とも複雑怪奇な世の中になったものだ。