日本企業の国際競争力低下の背景

Title : 黄金を吐く犬

 

 

“ 当社は〇〇オリンピックに協賛しています ”

協賛、とは賛成するという意味。この表現なら協賛の意味をよく理解していない大衆に良いイメージを弱弱しく与える効果を持てる。

“ 当社は〇〇オリンピックを応援しています ”

これは全く宜しくない。他人のフンドシで相撲をとり、あわよくばクリーン・イメージを濡れ手に粟で自社に持たせようという下心が大衆にミエミエ。

「そんなの誰だって応援してるだろ」と鼻で笑われマイナスイメージ太鼓判。

しかし、上記以上に企業にとって深刻な問題がある。

TV広告や商品ラベルに書き込まれたそれらのキャッチフレーズなど、その会社の株主以外、誰も見てはいないという事実。

つまりはその企業の自画自賛、一人遊び。大衆とは何の接点も持ちえない。

客観性を失い自己の架空世界に遊ぶ大衆に分析力などない。分析する姿勢が皆無なら、観察などしない。

食物アレルギーならラベルを詳しく見ることだろう。つまり死活問題などの明確な目的を持ち得ていて初めて成せるわざ。これにしても、分析や観察とは違う。

確認行為に過ぎない。

 

商品に対しての確認行為はどんな大衆も年齢性別問わず、常にこれを行う。

値段だ。価格だ。いくらか。どっちが安いか。これらは分析と呼んでも構わないが、要するに確認行為。人気商品かどうか、問題なしか、の確認。

 

確認は客観性がなくとも、分析力がなくとも可能。

 

英語の幼児教育。PTAは大方賛成。英語が話せれば世界が広がる。

日常生活の便宜性が向上。翻訳機不要、辞書いらず。自分の言葉で道が聞ける。

「日本人のアイデンティティーは何ですか」

他国で尋ねられる。identityの意味は知っているとする。他に類を見ない独自に持つ性質、という意味だ。

英語が話せても、何も知らない成人した子供だと発覚するだけなら、まだ英語が話せない方がマシ。海外の人々は日本人とは違う。ナニゲ、だとか、~的な、とか稚拙な省略造語、だとか、ユルユル、だとか、モエ~、だとか、そんな園児レベルの会話では日常を乗り切ることは不可能だ。

単発的な海外旅行における「その店の閉店時間は何時ですか」などといった会話は対話ではない。コミュニケーション交換ともまるで違う。

当時のSMAPメンバー草薙氏は韓国語をマスターし、韓国国内街中でさまざまな若者達と意見交換の場を持った。TV番組ではあったが、

「日本人は自国防衛についてどんな意見を持っているのか」と尋ねられ草薙氏は返答出来なかったと語る。

日本のノリなど通用しない。

日本人消費者の分析力や客観性を企業がどれほど低く見積もって、

当社は〇〇オリンピックを応援しています

と銘打つのか不明だが、こういった行為もまた、日本国内でしか通用しない。海外の株主など増やすことはまず無理だろう。

この記事は某社批判、攻撃とは全く違う。基本的な助言で苦言。広告戦略担当者は相当な語句ボキャブラリーを使いこなせなければ、水準の低さが会社の利益を大幅に損ねるという法則を肝に銘じるべきだ。

日本の企業の国際競争力とは、自社製品や商品の水準の高さオンリーに絞られるが、自社ブランドのイメージ戦略は自社製品の水準の高さによる収益をはるかにしのぐ。

何故、日本企業はイメージ戦略に不得手なのか。

美術や芸術に対する真の意味での造詣が低いか皆無。広告は広告代理店に丸投げで、完成し届けられたCMの試写ではクレームのつけ方も分からず、CM担当責任者は丸飲みするだけ。結果、広告代理店の趣味を満足させるためだけに代金を支払った、という結果に終わる。

消費者に迎合することと、消費者の住む環境下の文化水準の分析によるイメージ戦略構築とは全く性質が違う。子供中心文化真っ盛りの日本国内と大人が主役の海外、どちらも同じイメージ戦略で一体どうして勝者になれるのか。

つまりは、製品や商品への分析力、客観性は研ぎ澄まされても、イメージによる視覚的聴覚的リベートを消費者に正しく伝達出来なければ、メイド・イン・ジャパンは品質において最高評価、売り上げでは負け負け。になりかねない。

或いは、もうなっている。かなりの企業が。