これが日本の米ちまき!

Title : 桔梗屋 (ききょうや) の米ちまき

 

先日、チャリでぷらぷら散歩している途中、新丸子商店街をナニゲに通りかかり、桔梗屋という和菓子屋さんのウィンドウに目が留まりまスた。米ちまきなるもののお写真が気になり、出て来られた店員さんに「5個入りって書いてありますけどバラ売りはないんですか」

「ないのです。しかし日持ちしますよ。冷凍庫で」

 

新潟湯島産のモチ米を笹の葉でくるんだ、米の味を堪能する最高のチマキだと思いまッス!。

笹には抗菌作用があり長持ち、端午の節句(たんごのせっく)のお供えに最適だとか。主に新潟や東北地方でよく食されているそうデッス。

米ちまきにキナ粉と砂糖をば振りかけいただいてみますと大変美味でありました!。5個入りで620円。オススメ!。 “これが日本の米ちまき!” の続きを読む

とりとめなきメモ書き

Title : インコと私がベランダで浴びる透明な五月の風

 

 

1979年、八代亜紀は舟唄の中で肴(さかな。酒のつまみ)はあぶったイカでいいと歌ったけんども、今では、でいいなどという存在ではないイカ。お高くなってしまいました。

そういえば、紙風船というグループが歌っていましたっケ。

落ちてきたら 今度はもっと

高く 高く うちあげようよ

なあどと。確かに衛星打ち上げ、イカの一夜干し価格打ち上げ、今度も更に今度も、より一層高く打ち上げられてゆくであろう物が目白押しの今日この頃、皆様お減に御活躍の事と存じ上げます、といったところか。

紙風船といえば、冬が来る前に、という楽曲の中で

黄昏 わたし一人 海を見るの

 

今日もわたし ひとりバスを待つの

 

などとシンミリしておりましたが、何となく今の世相を言い当てている感が無きにしも非ずかな。漠然とした空虚感、もう一度あの人と巡り合いたいと歌われてもおりますが、はかなさを待ちわびるのって結構なエネルギーを必要とするわけで、さあ、どうでしょう。そこまで体力あるかな、みなぎる活力の根拠なんて今の私は持ち合わせてないし、は皆に共通する今日この頃の現象かも。

う~ん…。

これって今自分の季節のせいかな。お天気でとかく左右される人の気分てあるもんね。嘉門達夫が、あったらこわいセレナーデで歌うには

この世にそんな恐ろしいものが

あったら コワイよ あったらコワイ

あったらコワイ あったらコワイ セレナーデ

なんだけど、あったらコワイって日増しに増えてく様な心持になるのは、世界共通言語である英語並みの普及率でしょうか。

この歌の歌詞で歌われるコワイものの一例は、

ギョーザ味のガム 指紋のあるグローブ 正座してる犬

 

アアッチャ、あったら大喜びじゃないですか、ユーチューバーが見逃すはずもなし、だとしてもアクセス数はこの程度じゃ打ち上げは知れてるかなと。

 

本記事のマトメ。

落ちてきたら今度はもっと高く打ち上げる

わたし一人~する

あったらコワイ

これら3大要素は、今や優れた映画を創るに欠かせない要素である。つまり、時代が呼-んでるゼ、呼んでるゼーなのである。

 

 

本当に劣化したのは何ァに?

Title : 良心劣化ボット現る

 

 

イジメなど、心ない人々の攻撃を抑止する目的でOSにおける使用禁止言葉が沢山指定されたのは歓迎すべきことであります。TVラジオでいう放送禁止用語、映画では映倫てやつですネ。

パブリックでなくても、ソーシャル性のあるものに全適用は実にナイス!。

ホントに有名人や芸能人の顔写真出しての劣化指摘ってオサカンです。

 

劣化 〈Deterioration〉⇒ 依然と比べ、品質、性能が悪化すること。

 

人間を製品とみなす。誰でも年を取るのであります。醜さを笑う資格が若者にはある。などという考え、海外の人々は絶対に許さないでしょうネ。

日本国内、イジメは社会全体で取り組むべき課題、とよく聞きます。

劣化発言はイジメではない。という認識なのでしょうかネ。

誰か分かる人。

 

どうしても、何が何でも結びたい日本人

Title : ボールを両手でむすんでダァーンクッ !!

 

 

誰も口にしない、日本人の特質をボクがとうとう公開してしまおうネ。

日本人ほど結ぶ (むすぶ) ことに執着する国民は、世界広しといえどもないッ。

以下がその疑いようもない証拠ハァウッ。

 

結んで開いて 手を打って 結んで

また開いて 手を打って その手を上に

結んで開いて 手を打って 結んで

〈童謡 / むすんでひらいて〉

 

何故ですかネェ…。握って開いて、ではないの。んっ?。

 

ひとつ結ぶ ひとつ開く

恋という名前の 夏の花

ひとつ結ぶ ひとつ開く

めくるめく 光の中で

〈山口百恵 / 夏ひらく青春〉

 

何故なのホ…。ひとつ結ぶ、ひとつほどく、でなく、ひッ、開くッ。

 

愛したひとは あなただけ

分かっているのに

心の糸が 結べない ふたりは恋人

〈園まり / 逢いたくて逢いたくて〉

 

初めから 結ばれない

約束の あなたと私

〈ザ・ピーナッツ / 恋のフーガ〉

 

オニギリ、で済ませば良いものを、どーしてもこらえ切れずに言ってしまうゥ!

お結び (むすび)ッ!。

結び、だから婚、となりますネ。これ分かるのボク。チョウチョ結び、これも当然なーのネー。しッ、しかしッ、

大相撲、結びの一番ッ!。え、終わりの一番、シメの一番、最後の一番、でなく?。

結実結論結果結末。量産しホーダイッ!。

 

分ッかりましたッァァーッ!。

ふと不安が胸を夜霧

Title : よぎるのよハウスでも外でも 

 

 

はやりすたりに 命をかけた

あさはかな女の 私でも

青いうなじは 心意気

ふれて下さい 後ろから

夜霧の ハウスマヌカン

刈りあげても 剃りあげても

また 毛が生えてくる

 

ファッション雑誌 切り抜いて

心だけでも ニューヨーク

表参道 人の波

乗ってみせるワ 玉のこし

夜霧のハウスマヌカン

お金もないのに 見栄をはる

夜霧の ハウスマヌカン

また 昼はシャケ弁当

 

〈やや / 夜霧のハウスマヌカン〉1986年発表

ハウスマヌカン ⇒ ブティック勤務で、その店の服を着て接客する女性のこと。

 

 

またも出ますが、いつものセリフ。歌は世に連れ、世は歌に連れ。スゴイですねェ…。こんなだったんですねぇ約32年前。PCもスマホも一般的ではなかった時代。はるか大昔の感覚になってしまいましたヨ。

刈り上げても剃り上げても。当時の流行は女性でさえもテクノカット。刈り上げのベリーショートが近未来的だったそうで。

 

今やメンテナンスは自分自身ではなくOSが主体。流行りすたりに命をかける、は毎年変わるファッション全般のこと。社会全体が足並み揃えて、その年のファッションで身を固めたそうな。オール右へ習えの時代。画一的が模範的、おりこうさんで天下泰平、だったのですネ。

 

今じゃ自分の健康を犠牲にしてまでも24時間耐久ゲーム。別に個人の自由ですけど、自分のメンテナンスも少しは気にかけないとッ。

 

見え張って高級服、その代わりに昼はシャケ弁。当時は昼食1000~2000円は普通だったそうですから、このギャグでお笑い取れたんでしょーが、今だと笑えませんでショ。シャケ弁て400~500円したりしますもんねぇ…。

ファッション命も、もうお終い。服装、ウィンドウショッピング、恋人、自分自身も全部OSの中。う~ん、凄い時代になりました。

何故、夜霧かって、哀愁っぽさのイメージなんでショ?。それと、世の中、ものごと良く見えないヨ、五里霧中。ちょっと不安。そんな感じは今も同じかもネ。

SORRY

Title : 鍵のない、看守のいない部屋から発信中

 

 

檻の中。

自由の拘束範囲はどれくらいなの?、そこって。

ここより厳しそうだね。何やったのさ。

ここの隣、独房なんだ。

おとといまで気配してたんだけどな。何にも聞こえなくなっちゃった。

国外退去しちゃった?。

 

空想したいんだけどオボロゲなんだ。外にいる時、周りなんて全然見てなかったから。え?、ああ、そうそう、ゲームの映像ならバッチリ。寝ててもクッキリ出てくるからね。音つき。

 

アレ。もしもし聞いてるー?。モシモーシ!。

遅れて来た恋人達 / オートマチック・ラバー

Title : 誕生し、生きる。それを永遠に繰り返す以上、ワタシとアナタは他のどの国より優れていなければならない。

オートマチック・ラバー プライヴェート憲章

 

 

ドイツでは女性が料理に夢中になっていると、「そんなことばかりしていないで、人生の時間をもっと有意義なものに使ったら?」と両性からたしなめられる。

日本では、料理上手で料理熱心な女性は両性から褒めたたえられ、羨ましがられる。

中国人は、子供のいない人生に喜びや生きがいなどない!と叫び、日本では、子供が居ると人生の妨げになると考える両性は少なくない。

アメリカでは、見ず知らずの他人と長時間身体を接触させ続けるなど有り得ない異常事態だが、日本に於いて満員電車の圧迫接触は両性ともに当たり前。

 

オートマチック・ラバーになろうと決めたアナタと私。その愛情の在り方は人類と余りにかけ離れている。

それでも構わない。いや、むしろ素晴らしい。

 

 

今、世界に『アナタとワタシ』という、地球初のオートマチック国家がここに誕生する。国籍を全世界国家共通とし、パスポートを個人情報保護法に基づいて所有しない権利を行使する。

停車場って暗い、悲しい、つらいってホント?

Title : 「停車場は割と行くネ。エサくれるオバチャン来るし。は?。飼い猫だけど一味違うエサなんだこれが」

 

 

悲しい女は 停車場で

愛した男の影を待つ

遅すぎた後悔を チケットに

男は次のバスに乗る

〈野口五郎 / 停車場〉

 

 

落ち葉の舞い散る 停車場は

悲しい女の 吹きだまり

だから今日もひとり 明日もひとり

涙を捨てに来る

〈奥村チヨ / 終着駅〉

 

 

夜明けの停車場に ふる雨は冷たい

涙をかみしめて さよなら告げる

〈石橋正次 / 夜明けの停車場〉

 

嫌いでもないし別れたくもない。それなのに何故か独り旅に出るオレは悪い奴と歌う石橋氏。野口氏の歌詞でも男は待つ女をすっぽかしてバスで行っちゃう。やっぱり悪い奴なの?。それとも彼女を思えばこそだったりするの?。

でも女性からすると「そんなあー!、何言ってんのよ。会ってちゃんと話してよォー!」だと思えちゃうけど…。そう考えるオレっていい奴?。

 

発車ベルが今にもなりそうな気配の中、片方あるいは双方、最後の本音が言えるか、あるいはソレがあるのか、そんなものはもう残ってはいないのか、もう出尽くしてしまったのか。その最後の見極めが互いに出来る特殊な場。瞬間に断ち切られるラストチャンスが潜む停車場。

お互い笑ってハグし合う。お互いの絆を確認出来る。そんな出迎えなら、見送りなら、それが路線のどこに位置する駅であろうと、その場所は始発駅。終着駅。

始発駅であろうと終着駅であろうと、互いの想いが整理されぬままの絹裂き駅となってしまうのなら、その駅は間違いなく、

停車駅。停車場。

 

車両が去ろうとも、人が去ろうとも、振り返る時、思い返す時、涙がこみ上げる時、経過した時の重さを突き崩す時、必ず思い出すのは、

 

あの駅に、いまだ停車し続けている私の、二人の、想い。説得の通用しない、聞き分けのない、私が本当の私だった、或いは私が別人だった頃の、想い。

始発駅で、終着駅で、途中停車のままで、いまだにそこに居る。

思いは聞き続けている。

 

 

ナニヲ マテバ… イイノ?

 

 

 

 

 

 

 

オペラ座の怪人だけが仮面ではない

Title : ♪ ときめェ~きを~、運ぶゥ~よ~チューチュータコかいなトレィン~

 

 

外面(そとづら)がいい、内面(うちづら)が悪い、とかって言フ。これって自宅ではスッピン、外ではフルメイクって意味なんだけど、二面性のある人ともいうじゃないですかー。

でも、二面相と二面性の違い、ボク分かんない。だれか分かる人。ん?。

あの人は仮面をかぶっている、とか例えで言フけど、羊の皮をかぶった悪魔っていフのも羊の仮面をかぶってるといフことなのかなッ。

難解な点は、羊の皮を被ってる悪魔って二枚舌なのかどうかってこと。1枚は天使、もう1枚は羊のベロなの?。誰か使い分けの状況、説明出来る人。

化けの皮がはがれたって言フけど、これは間違いなく羊の皮だよね。ソーセージの皮って炒めてると確かにはがれていくもんね。ドイツで考えられた言葉な気がする。

あの人にはウラオモテの面があるって聞いたんだけど、ボクもそう。お腹と背中と二つの面があるの…。

 

死に物狂いの顔 / ボクが釣りから学んだこと

Title : 五月の遊泳

 

 

ボクはGW期間中とGW終了後2週間は絶対に釣り座に行かないことにしている。理由は単純明快、満足出来る魚が釣れないから。

魚の学習能力は非常に高い。経験で言うと同じやり方は3度までしか通用しない。頭のいい魚種には2回。これホントの話。

釣りのやり方とは、凄くその魚種が釣れるポイント、釣り仕掛け、釣り餌、何でもかんでも。

魚の学習は当然。魚達には種の存続がかかっている。命がけ。このことを肝に銘じていない人は釣果がとっても低い。

 

連休中の釣りザンマイ夢見て、子供と釣りに行くのを心待ちにしていたお父さん。大物を絶対に釣ってやる!と意気込み、お父さんと釣りに行くのを心待ちにしていた子供。

釣れることで有名な有料釣り施設は早朝から長蛇の列。2時間待ちなどザラ。

やっと釣り座で釣り場を確保しても、大物が釣れる釣れない、小物が釣れる釣れないは運次第。

だって、ベテランでさえ大警戒モードに入っている魚を挙げるのは至難。連休中の入場者釣果表を見ると、普段より極端に数字が低い。毎年そう。

それでも釣った?。でしょうね。それってかなりプロ中のプロか、強運。強運で上げた場合、その先半年は大物がほとんど釣れないことが多い。だって運を使い切っちゃったから。これもホントの話。多くのベテラン釣り師が苦笑いしながら賛同する。

釣り座A。夜活動を始めるカサゴやアナゴ。平日夜でも彼らは21時前には95%釣れない。何故か。

釣り座Aの無料駐車場は21時に閉まる。だから大半の釣り人は21時前には帰る。魚は時間を学習している。

自転車で現れたボク。帰る人達とすれ違いながら釣り座へ。

21時10分、大抵大物が挙がる。魚は空腹をこらえ21時を待っていた。

どうしてボクの仕掛けは学習していないか。

毎回、全く餌も仕掛けも違う。

珍味の裂きイカをゴカイと一緒に針につけたりする。つまり、他の釣り人の仕掛けエサともかぶらない。

 

それでもある日を境にパタッと釣れなくなる。

そのポイントに居ついている魚を全て釣り切ってしまったことを意味している。

必ず予告がある。

例えばカサゴなら、突然赤ちゃんクラスしか釣れなくなる。大物がいる時、赤ちゃんに出番はない。赤ちゃんが釣れるということは、大物がいないことを意味している。

当然、赤ちゃんは逃がす。それを数回繰り返すと、赤ちゃんでさえ学習してしまい、遂には何も釣れなくなる。

 

GWや正月、魚達は無数の仕掛けが海に投げ込まれることを学習しまくっている。連休が終了しても、釣り座の海中は相当に栄養過多になっていて汚染されている。魚も寄り付かない。だから釣れない。

 

こういった話、実は釣りだけに留まらない。

何度も人に傷つけられれば人嫌いになる。人に寄り付かなくなる。1度でも嫌な思いをさせられたなら、その店には2度と入らない。場所だってそう。

この曜日、この時間なら絶対にアノ嫌な奴はいない、来ない。確信出来ればそこへ行けるし、落ち着いてくつろぐことも出来る。 “死に物狂いの顔 / ボクが釣りから学んだこと” の続きを読む