とりとめなきメモ書き

Title : インコと私がベランダで浴びる透明な五月の風

 

 

1979年、八代亜紀は舟唄の中で肴(さかな。酒のつまみ)はあぶったイカでいいと歌ったけんども、今では、でいいなどという存在ではないイカ。お高くなってしまいました。

そういえば、紙風船というグループが歌っていましたっケ。

落ちてきたら 今度はもっと

高く 高く うちあげようよ

なあどと。確かに衛星打ち上げ、イカの一夜干し価格打ち上げ、今度も更に今度も、より一層高く打ち上げられてゆくであろう物が目白押しの今日この頃、皆様お減に御活躍の事と存じ上げます、といったところか。

紙風船といえば、冬が来る前に、という楽曲の中で

黄昏 わたし一人 海を見るの

 

今日もわたし ひとりバスを待つの

 

などとシンミリしておりましたが、何となく今の世相を言い当てている感が無きにしも非ずかな。漠然とした空虚感、もう一度あの人と巡り合いたいと歌われてもおりますが、はかなさを待ちわびるのって結構なエネルギーを必要とするわけで、さあ、どうでしょう。そこまで体力あるかな、みなぎる活力の根拠なんて今の私は持ち合わせてないし、は皆に共通する今日この頃の現象かも。

う~ん…。

これって今自分の季節のせいかな。お天気でとかく左右される人の気分てあるもんね。嘉門達夫が、あったらこわいセレナーデで歌うには

この世にそんな恐ろしいものが

あったら コワイよ あったらコワイ

あったらコワイ あったらコワイ セレナーデ

なんだけど、あったらコワイって日増しに増えてく様な心持になるのは、世界共通言語である英語並みの普及率でしょうか。

この歌の歌詞で歌われるコワイものの一例は、

ギョーザ味のガム 指紋のあるグローブ 正座してる犬

 

アアッチャ、あったら大喜びじゃないですか、ユーチューバーが見逃すはずもなし、だとしてもアクセス数はこの程度じゃ打ち上げは知れてるかなと。

 

本記事のマトメ。

落ちてきたら今度はもっと高く打ち上げる

わたし一人~する

あったらコワイ

これら3大要素は、今や優れた映画を創るに欠かせない要素である。つまり、時代が呼-んでるゼ、呼んでるゼーなのである。