利き梅 / コミュニケーション不足

小学5年の夏休み。例年通り、母は熊本の実家へボクと弟を連れ疾風のごとく舞い戻った。ボクにとってオバアチャンちへ遊びに行くというのは “ 楽しみ番外編 “ といったところ。地元とは違う友達が何人もいる。言葉使いも話題も、当然遊び場も、何もかも違う新鮮さ!。生まれ変わったような、何かこう…、地上に這い出たセミの幼虫が初めて目にする陽光や地上の空気に触れてワナワナ身震いするような、そんな戸惑いと胸騒ぎ…。

ある日の夕暮れ刻。神社の境内を駆け回り半狂乱の川遊びから帰宅したボクに、夕飯の食卓を整えていたオバサンが「おいしい物あげようか」と笑って台所に姿を消し、小皿に梅干しを1粒乗せて舞い戻ってきた。梅干しなど食べたくもない。などという顔はみじんも見せず、ボクは作り笑いしながら一気にそれを口に放り込み、口中で種と果肉を引き離す作業に移った。イヤなことはただちに済ます、がボクのモットーではないか!。だがこれは………?。

何というおいしさであろうか!!。こんなおいしい梅干しは、生まれてこのかた1度たりとも食べたことがない!!。いつものボクなら大騒ぎしてお代わりを激しくねだっていたことだろう。
しかしそれは出来ない。オバサンは非常にクールな雰囲気を持っていて、ボクのようなフザケきったガキンチョには非常にとっつきにくいのだ。よって、軽口をきくなどもってのほか。おそれ多い。

せめてボクは、満面の満足笑みを作ることによってオバサンがお代わりを持ってきてくれる可能性に賭けたのだが、オバサンは「1個だけよ」と笑い、梅干しをもらったことを母にも弟にも内緒にしなさいと言う。ボクはたちまち理解した。非常に貴重な、価値のある梅だったのだ!。だとすれば、たった1粒かあ、チェツ!、などという低次元の話ではない!。ボクは選ばれた人間なのだ!。小学生ほど自分の優劣性に敏感な者はない。ボクは紛れもなく勝者だ!。

夏休み明けの初日。下校途中、ボクはいつものパン屋でアンドーナツを買い、傍らの電信柱に身を隠してソレを頬張っている時、視界に入った漬物屋の看板文字に目が釘付けになった!。

梅干し各種あります

ボクは軽いめまいを覚えながら、酔いどれイカのもつれ足でハアハアアと帰宅。TVの前に寝そべり、主婦の束の間、黄金のうたた寝むさぼる母に膝がしらで詰め寄り、ねえ、ねえ、ねえーッと弾む息で母のヒジ枕を激しく揺さぶりながら、

「買い物行こうよ買い物ーッ!」「何なんですかアナタはァ、もうッ!」

母の後頭部ヘアが、寝ぐせで一部ドリルのように鋭く突起しているのも指摘せずボクは母をせっつかせ漬物屋へといざなう。「何?漬物?梅干し?」。降って湧いた子供のオネダリに解せぬ様子の母とボクは薄暗い店内へ。

異様に背の高い、年期の入った電信柱のようなヒトが「あっはは。どうもね」と奥から出てくる。「何差し上げましょ」「何かコレが梅干しって」と母。

今までかつて食べたこともない程の至福をもたらす謎の梅干し。それは熊本独自のものかもしれないが、もしやして此処にあるのではなかろうかと…。生きており、且つ言葉を話す電信柱にひるみながら、果敢にも説明続ける小学生。

「そーゆーことならね~」と電信柱は妙に機嫌良さそうに二段重ねのズラリと並んだ各種梅干しに満たされたガラス鉢の背後へ。笠電球の光が届かぬ暗がりで見る彼は、電信柱ではなく巨大な黒ゴボウの様にも見える。端っこの鉢フタを開け

「片っ端から味見してみるしかァ~ないんだよぉ~、と、ホレ!」

ボクは手渡された楊枝刺し梅干しをパクリ。すすすすすすすすすぅぅぅッぱい!!

「で、どう?」と真顔の電信柱。ボクは小首傾げ、「違うぅ」。

何故、漬物のプロも、母も気づかなかったのだろう。ボクが魅せられのは梅干しなどではなく、梅酒に漬かった梅だったのだということに。ボクは、赤くなくて緑色っぽかったと告げたはずだ。オバサンだってそうだ。あの時、ひとこと梅酒の梅だよと教えてくれてさえいれば、こんな…。

子供心にも、ボクにはタダで試食させてくれる電信柱のやさしさを踏みにじることなど出来やしない、との思いから、出された梅は種を除いて全て丸飲みした。ひとくちかじってポイなんて出来るわけがないのだ。ボクは少なくとも16個の梅干しを、ゴハンや飲料水の援護もなく、孤立無援の状態で続けざまに食べた。

その間ずっと、電信柱も母も、ある種の疑いを抱いているようだった。ホントに梅干しの味の微妙な違いが分かるのか?、これは利き酒ならぬ利き梅ではないか、と…。それはボクにもヒシヒシと伝わってくる。どれも違っていたら一体どうなるのか。電信柱はからかわれたと思いやしないだろうか。母はどうするのだろうか。なかったわね、さよなら。ってわけにはいかないのではないか。そう思うと全身に冷水を浴びせかけられたような面持ちとなる。自分は梅干しを主食とするウワバミ(ヘビ)なのか。次々と梅干を丸飲みしてゆくのだから。

利き梅も終盤にさしかかる頃には、もはやボクの両目は酸っぱさのあまり真一文字に閉ざされ、決して自分の意志をもってしても開けることが出来ない状態となっていた。首筋、両手のヒラはビッショリ汗をかき、喉が水を欲して、のたうち回っているではないか!

「うぇぇぇ~い……。全部違ったかァ~!」と電信柱は温かく微笑んだ。このオジサンはやさしい。いい人だ。ゴボウの妖精だ。しかし、彼は梅酒の存在を知らなかったのだろうか。漬物屋ゆえの盲点だったのか。

母は彼に詫び、梅干しを一袋買い求めた。高菜漬も。店を出て歩きだすと、母は

「アンタの顔、しわくちゃジイサン。あはははははーッ!」

 

●写真タイトル / 綿菓子雲

★当ブログのエッセイ文、写真、イラストの無断掲載、転用を固く禁じます。

初恋とギターとインコ / 騒音問題の是非 / ヒッチコックの鳥

 

 

 

中学2年の夏休み初日。

四方を緑に囲まれた坂道をプランコプランコ下りるボクの頭上、唐突に鳴き始めようとしたアブラゼミが

「ウォージッ?」

と唸ったまま疑問形で鳴くのを止めた。

ボクは足止めず聞こえた辺りを振り返りながら

「セミ採りは卒業したッ。心配しないで思い切り鳴くんだ。いいな?」と諭す。

やはり夏休み初日はいい。この世の全てを許せる気がする。

 

小高い丘公園散歩道を下り終え、入口から道路へ出たところで同級生のガールと出くわす。

「ウォージッ?」と鳴く代わりに「アッ!。どうしたッ?」

とっさに出た愚かなる言葉に戦慄が走る。これが初恋の相手にかける言葉かッ?!。

「どうもしない」と冷ややかな声。

切羽詰まったボクは激しく動揺、右手に持っている天気予報図コピーをガールに差し出す。

「これ、いるッ?」

「なあに?」

ガールは受け取った予報図に目を落とした瞬間、ピンボールが跳ね返る如く視線をぶつけてきた。

いぶかしそうな眼差しが、滑稽きわまりないボクを一層道化師へと追い込んでゆく。

「今、気象台で今日の天気図もらってきたとこなのね」

「そうなの?」「そうなの」

あまりの断崖絶壁に失神寸前!、ボクという名の道化師。しかもソレは第1級クラス。どんなボリショイサーカスも引く手アマタだろう。

「天気予報、好きなの?」「ううん、どうなんだろう?、特に…」

背後に極めてすこやかなセミの鳴き声を背負いながら

「終わった…。終わったんだよ」

とつぶやき歩くボク。これがボクの初恋談、全記録である。

 

中学3年の夏。去年と状況は一変している。

丘公園を散歩するのは変わらないが、高台の気象台で無意味に天気図などもらったりしない。

大人へと成長しようとする者は決してそんなジャレゴトをしてはいけないのだよ。

初恋の相手も変わった。

初恋も3度目ともなれば、かなり形が出来上がってくるものだ。

中学生活の3年間、進級するごとに1度の初恋が許されているわけ( 本人の不文律 )で、

いよいよ3度目の正直、なんとしても相手の心を引き付けたいと雨乞いも確か。

 

ボクは安物のフォークギターをぶら下げ緑道公園に入り、散歩道の中腹傍らにあるベンチを目指した。

ギターはまだ独学で始めたばかり。

卒業前のお別れ会で歌いながらコレをかき鳴らす。

3人目のガールは、ボクのカッコよさにハートを射抜かれるに違いないのだ!。そう考えただけで卒倒しそうな程気持ちは昂る。

鼻の穴を膨らませたボクは、コソコソと緑が目隠しするベンチに腰を下ろし、

いかにも安物っちいペナペナの樹脂ケースからギターを引き抜く。

恋の歌…。恋の歌を、おずおずと自分でさえよく聞き取れぬ程の小さな声で歌い始める。

聞き取れないので音が外れていないか分からず、時々首をかしげ必死に声を聞き取ろうとしている自分に気づき、ひどく驚く。

も少し大きな声で歌えばいいだけでは?。

「ピーッ!!」

突如、殺気立った鳥の鳴き声!!。

ギターの弦から顔上げたボクの鼻先、マッハで駆け抜ける黄色い稲妻!!。

ド気も抜かれ前方の宙を見やる。

1羽の黄色いセキセイインコが樹木群の中に消え去るところ!。

 

何だったんだ今のは…。

カゴから逃げ出したインコだな?。

ボクの歌かギターが気に入らなかったってか?。

気を取り直し再びポロロロ、ポロロロと奏で始める。

ほぼ同時、再びインコが木陰から踊り出る。放たれた矢の様にボクめがけて突っ込んでくる!!。

ボクの頭に迫りくる真っ黄色!!。

ボクはインコに当たらぬ様、手加減しながらギターを振り回す。

インコは樹木群手前まで一旦撤退するも、大きくカーブを描いて再度突っ込んでくるではないか!!

ヒッチコックの “ 鳥 ”なる映画が脳裏をかすめる。

ギター振り回し追い払う。追い払えない。何度も攻撃してくる。

これは何かの罰なのか。

ピーピー鳴きながら襲ってくるピーコちゃんは神の忠実なるシモベなのか!!。

 

ギターをケースにしまうイトマもなく撤退を余儀なくされる第1級道化師。

憤慨しつつ慌ただしく坂道下る彼の心に、カーペンターズの “ クロス・トゥー・ユー” の訳詩が突き刺さってくる。

アナタが来ると鳥達が舞い降りる 私と同じ 皆アナタと一緒にいたいのね

 

 

 

●写真タイトル / 木漏れ日トンネル

 

 

海面を見てワクワク / 釣りの楽しみ / 魚と知恵比べ

Title:エメラルドのうねり

 

 

 

堤防の足元見下ろせば、釣り人が胸躍らせずにはいられない美しきエメラルドのウネリ(写真上)!。さぞかし釣れるだろう!とは早計かも。潮が澄み、しかも日中となれば魚さん達にはよく見えてしまう。

何が?。釣り人の影が!。海中に投じられた仕掛けが!。とりわけ鍼(ハリ)が!。そんなことには全く無頓着な魚種もいますが、ただ単に明るいというだけで暗いスポットに身を潜めてしまい、なかなか出てきてはくれません。

そんなわけで、魚がよく釣れるのは濁り潮だとか小雨、曇天、夕方、夜、日の出前。必ず釣れるわけではありませんが、明らかにチャンスは多いです。下の写真は波止ブロック(テトラ)を撮影したもので、満潮干潮時を問わず、ほぼ海中に没しているブロックと水上に出っ放しのブロックとに分かれています。

この様にランダムに積み上げられたブロック群こそ魚マンション!。複雑な潮の動き、豊富に取り込まれる酸素、太陽光を適度に遮断した癒しの環境、と、まさに最優良物件です。

この写真で最も注目すべきは “ 海の色 ”。汚く淀んだ印象はなく、それでいて澄み渡った感じでもない。透明度はそこそこある様な、ない様な…。

それに加えての曇天模様、こんな感じに見える海水状態が釣れる好条件です。勿論、いつでも、必ずというわけではありません。人影が見えなくても、仕掛けが見えなくても、しょっちゅう仲間が釣られて姿を消していれば、魚の方も気づいて釣り餌を食べなくなってしまいます。

これはあくまでボクの経験推察、違っているかもしれません。ですが、ボクに関してのみ言えば、絶対そうである、と。

調子よく毎回数種の仕掛けで必ず釣れていた特定の魚種が、ある日を境にパタッっと釣れなくなる。その魚が釣れるシーズンたけなわだというのに、です。

ボクは、きっと魚が学習したのだと思っています。当然であるとも考えています。魚にしてみれば、子孫を残せるかどうかの瀬戸際に立たされたのですから。

たかが魚と語るなかれ、DNAは決して侮れません。

 

 

日本に三波春夫あり / 長編歌謡浪曲の凄み

Title : ピザ欲しい現場

 

 

ロックファンならずとも、ひとたび聴いたなら余りの凄さに脱帽せざるを得ないロックオペラとも言うべきQUEENの名曲、

『ボヘミアン・ラプソディー』

神と悪魔のどちらの立ち位置に在るべきかで揺れ動く青年のエピソードを綴ったこの歌は、QUEENの地位を不動のものとし、そのずば抜けた才能を世界中に広く知らしめた。本国イギリスよりずっと早くQUEENを高く評価してのけた当時の日本人リスナー達は偉い!。

三波春夫の作詞作曲による『俵星玄蕃』(たわらぼしげんば) を始めて聴いた時にはブッ飛んだ。ボヘミアン・ラプソディーに勝るとも劣らないその壮絶さ。仇討ちか否か。やはり上(かみ)と悪魔のはざまで揺れ動く関係各位。

毎年大晦日恒例の忠臣蔵に併せて取り上げられることも多いので、聞き覚えのある諸兄も少なくないと思われるが、いかんせん9分弱と長い。よってTVでその一部始終を見聞視聴する機会は滅多にない。

この曲は全てを聴かなければ全く意味がない。聴き終えたならその意味がよぉ~くご理解いただけると確信する。浪曲など全く関心のないボクではあるが、これは楽曲のジャンルさえフッ飛ばしてしまっているほど凄い。日本人のDNAが騒ぎ、血沸き肉躍る。

 

ライバルである村田英雄の『王将』を聴いて発奮、三波春夫はこれを一気に書き上げたと言う。

お見事ッ!。ニッポンいちッ!。

札付き園児 / 幼児教育のススメ

生まれながらの自然界生物コレクター、それがボクの正体だった。幼稚園児の段階でソレは既に強く打ち出され、周囲の大人達は度々戦慄のルツボに叩き込まれる。ボクは赤札付きの園児。見切り品であり要注意児童。ボクを知る全ての大人はもとより同世代の者らまで、ことごとくボクの背中に赤札ピシリと張り付ける。

ボクはそれに気付かない。注意と関心の全てはソコにない。ソコ、とは日常が営まれる生活環境を指す。ボクのソレは皆と違う。自身の生息地は山中。或いは池、川、沼。山であればボクの姿はカブトムシ、池や沼ならフナかザリガニ。いつも泥にまみれた不潔な子。ズックの片方失くしたばかりか、裸足の足裏は沼底ガラス瓶のカケラで切れて血だらけ。この小僧に比べれば、足柄山の金太郎など洗練されたトレンディー・ベイブ。

幼稚園バス降りようとも園の門くぐらず。ムシケラは目の前の山道から緑の森へと消失する。ボクはウズラの親子が横切るのを見、飛び出した野ウサギが前足で両耳を撫でつける姿に小首をかしげる。そんな驚愕した興奮を誰かに話したくてたまらないものの、ケダモノに近いボクに言葉という名のアプリなし。ポケットの中にもズタ袋の中にも。カラッポだけがあった。いつも。常に。

大きな沼のほとりで数人のオジサン達が賑やかに立ち話をしている。傍らのドラム缶からは湯気が立ち上っている。彼らはカップ酒を飲みながら何かを旨そうに食べている。ボオーンヤリ眺めていると、気づいたオジサンの1人が笑いながら手招き。「オッ、坊主!コッチ来て食べるかい?」

大きな葉っぱに白い食べ物がテンコ盛り。真横に真っ赤なアメリカザリガニのおびただしい殻残骸。アアアアア、アメリカザリガニを剥いて食べているのか!!。アメリカザリガニは食べ物なのか!!。いつもボクが死に物狂いで追い回しているソレが、食べられるものだというのであろーか!!。ボクはジリジリと後ずさり、小石に足を取られながらも転ぶことなく走り去る。

これで何度目なのかと憤慨やるかたない近所の大人達。両親はペコペコとコメツキバッタの如く頭を下げ、共に懐中電灯携えて、神隠しにあったやもしれぬボクを探しに山に入る。これまでの経験で彼らはボクの生息地の幾つかを特定していた。ボクは大抵、山中入口付近に在る神社裏の樹間で捕獲され、自宅という名の独房に監禁される。ボクの命を守った大人達の存在は偉大極まりない。札付き児童にもそれは分かる。

でも、決してボクの話を聞こうとしない大人達に対し、ボクは不機嫌な犬の様な唸り声を上げる。今日ボクが目にした、孵化(ふか)したてのセミが幹から落ちアリの群れに襲われる光景、それを話したかった。ボクは緑色に光る白色のセミの体から必死でアリを払い落し、彼だか彼女だかを幹に留まらせようと試みるが、何度やってもそれはアリ待ち受ける大地へ転がり落ちてしまう。アリの猛攻に力尽きてしまったのだろう。ボクは半ベソかきながら、根っこから40センチほど上の幹穴にセミを隠し、その場にうずくまる。ボクは教えて欲しかった。

ボクはどうしたら良かったの?。

 

◆写真タイトル / 声

 

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園児の添い寝 / 夢見る季節

夏の遅い夕暮れ。空は薄墨色。石鹸のいい匂いをさせて浴衣にズックの幼稚園児が外に転がり出る。白地に青朝顔柄の浴衣が緑の竹林と重なった時、顔見知りのオバサンが「まあ、素敵な浴衣来てるわねー」。お喋り相手のオバサンも「綺麗よー」。

小学2年生のお兄ちゃん達が数人、空めがけて自分のクツをしきりに投げつけてる。落下したクツを速攻で覗き込んでは「チェッ!ダメだァッ!」。再び空めがけてクツをポーン。それを追ったたボクの目が奇妙な動きで飛び回っている生命体をとらえた。1、2、3、4……5……。小さなソレらを数えるボク。

「アッ!、入ってる入ってる!!」。1人の歓声に皆がワッっと集結、円陣組んで覗き込む。ボクもお兄ちゃん達の隙間から、何だ何だと一生懸命覗き込む。

お兄ちゃんに両足掴まれた生き物、両翼をパスパス振って飛翔に必死。ボクが生まれて初めて見たコウモリだった。小2の子供の手の平大。お兄ちゃんはパッとソレを空に解き放つ。瞬間、空が紫色に膨らみ電信柱の笠電球が切なげに灯る。同時に人影が失せた。ボクだけが、自分のズックの両方を何度も何度も空に向かって投げ続けている。かろうじて僅かな明度を保って広がる画用紙空。コウモリ達の交差するシルエットがおぼろげに確認出来る。「日没デス」と夕闇が園児に告げようと歩み寄った時、夕闇は見た。その子のズックの中でパサパサ暴れるコウモリの姿を。

母の目を盗み台所からジャムの空瓶をかすめ取ったボクは、階段を上がりながら素早くコウモリを瓶に押し込みフタをした。自室の押入れを開け、奥の闇へソレを隠す。何食わぬ顔で夕食に参加。今、自分の部屋にアレが居ると思う度、味噌汁持つ手が興奮で震える。いてもたってもいられなくなり「ごちそうさま」と合掌、退座しようとする園児に、ダメだと父。ニンジンを全部食べるまでダメだ。

やっと解放され秘密との再会。瓶の中でコウモリはうつ伏せ。「もう寝てる」。嬉しさのあまり瓶を抱きしめ眠るボク。コウモリは確かに寝ている。フタがキツく締められた瓶の中、酸素がなくなり永遠の眠りについている。

▼ 注釈 / 飛行中のコウモリは電波を出しています。その電波が物体に当たってハネ返るので、コウモリはソレらにぶつることなく飛べるのだそうです。何故、投げたクツの中に突っ込んでゆくのかは分かりません。

 

◆写真タイトル / 束の間知らず

 

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日本総コスプレ!/ 中身より見た目

Title : コスプレ仮面

 

 

日本人のコロモ(衣)好きは、今や全世界に於いて完全独走状態。疑う余地など一切なし。これ程までに日本人がコロモに執着するのは何故なのか。知れば日本が見えてくる。知れば日本人が見えてくる。見えてくれば、どうなるの?。知っておいて損はなし、認識新たで攻め方変わる。当ッたり前の話よネー、見えない時の考えと、見えてる時の考えと同じであるワケないでしょーッ。

1⃣ コスプレという、衣装という名のコロモ(コロモ)

日本人のコスプレが世界で人気。既存のアニメキャラからオリジナルまで、その衣装やメイクは千差万別、十人十色。ところが、外国の皆さんと日本人との間には、コスプレに対する考え方の違いが歴然と在る。

例えば女戦士。洋物、和物、どっちでも同じ。日本人は天ぷらコロモ主義。外国人は天ぷら全体主義。

どういうこと?。答えは簡単、即答しまショ。筋肉ゼロの女戦士っている?。現場の最前線で敵と戦う女戦士が鍛え上げられた筋肉質の体型じゃなくって、どうやって敵を圧倒するの?。目から殺人光線、自由自在に敵の脳をコントロールする特殊能力保持者。ああ、それなら分かる。ガテン系じゃないもんネ。

だけど大抵は仰々しい刀だとか近未来レーザー銃だか持ってるよネ。それって筋肉ないと使いこなせないと思うけど?。20センチのナイフ投げるだけでも筋肉が必要。だって凄まじい速度でナイフ飛んでかなきゃダメだもんネ。

コスプレ・ショーに限らず、洋画に出てくる女戦士を見れば一目瞭然。皆さん、身体をジムで鍛え上げてらっしゃる。スレンダーながら肉体美。鋼の腕に鋼の脚。

日本女性はその真逆。女性の命は柔肌ですわ、マッチョになってどうするの?。

つまりは衣装、メイクでのみ変身を許す女戦士が日本。外見がイノチで現実味なし。それで結構ザマス、日本人はリアルなものなど求めちゃいない。演じる女子も、カメラ構える男子もネ。コスプレの変身目的は女子の可愛さ引き立てる手段であって、道理なんてアッチ向いてホイ。そこんところが海外の感覚とは全く違うのよネ。良い悪いの問題じゃなくってお国柄の違いを話してるわけなのよネ。

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釣り人の願望 / 爆釣ラブコール

Title : メジナ

 

 

釣り人が期待するのは大漁旗。すなわち入れ食いの爆釣であります。狙う魚種なら何でも、退屈することなく自分が納竿するまで釣れ続け、アドレナリン全開のまま意気揚々と帰宅したいのです。「こんなに釣っちゃって誰が食べるっていうのよ!」「冷凍して少しずつ食べていけばいいだろー」だの「今からご近所さんに配ってくるよー」などという羽目になろうとも、爆釣状況に遭遇したが最後、自力で釣りを止めることなど最早無理、制御不能な心理状態!。それが釣り、これだから釣り、というものなのです。誰の言葉か忘れてしまいましたが、外国の有名な言葉に次のようなものがありました。“ 一生、幸せでいたければ釣りをしなさい  ” 。

当然のことながら釣り人の関心は、いつ爆釣になるか、ということになります。これを予測することは大変難しいです。海の劇的環境変化の影響を受けてある魚種が大量発生した場合などは、予想もへったくれもなく釣れて釣れて釣れまくる、ということになります。

初心者でも面白いように釣れる、というお祭り騒ぎになります。その経験を通じて釣りの醍醐味、楽しさを覚え、別の魚種を釣ろうとしたら全くさっぱり釣れず首を傾げた、などという話をよく聞きます。何の苦労もなく誰でも簡単に次々と連れてしまうのであれば、釣りはそんなに面白いものではありません。

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優しいコワオモテ

歯のないサメは可愛いです。釣れて陸に上げてもアナゴみたいに大暴れせず、借りてきたネコの様におとなしーくしています。写真を撮るため腹側見せて横たわる姿を正すと、たちまち仰向けにひっくり返り直してしまいます。ネコやイヌの様にお腹を撫でて欲しいとオネダリしているわけではなく、水銀灯の光を嫌って顔をそむけるのだと思われます。

このサメはドチザメといい、海底をゆっくり泳いでいますから明るい光が嫌いなのだなと思いきや、大抵釣れる時は最大干潮あたり。

つまり最も浅い状態で釣れるのです。満潮で水深のある海底は暗くて落ち着くでしょうが大きな魚も活発化。おとなしいドチザメは小さくなっているのかも。

その点、干潮時は大小さまざまな魚も捕食活動ほとんどしていませんから、岸壁辺りは閑古鳥ならぬ閑古魚。マイペースで餌探しが出来るのかもしれません。

生まれて初めて40センチ程のサメ(ドチザメ)を釣り、その背中に触れてビックリ仰天。サメ肌とはコレ!。紙ヤスリの表面を心持ち滑らかにしたような触感!。

サメは魚ではありませんから当然ウロコは在りません。抱き上げると全身マッスルみたいな印象あり。なるほど、背骨がなくても大丈夫なよう、しなやかに動ける強靭な肉体構造してらっしゃる。

魚の体に触っても、“ 肉体 ” だなんて思いませんもんねえ~。顔はコワオモテですが、お行儀のよい優等生。何を主食にしているんでしょう。

雑食性だとは思います。いつも釣れる時はイソメ(ゴカイ)。貪欲なイメージはありません。

 

● ドチザメ 60~73センチ。スパイク天秤20号にカレイ仕掛け2本鍼(ハリ)。

バイク2人乗り蟹

台湾渡り蟹なるものが時々釣れます。初めてその者が上がった時、酷く驚嘆しました。子供の頃から慣れ親しんでいたガザミというカニに体型が似ています。

ガザミはコケ色の暗い緑色でしたが、この者は目にも鮮やかなトルコブルーと紫の混合色。その美しさに声を失いました。

鍼(ハリ)を完全に飲んでいますが外すのが至難の業(ワザ)!。コチラが手を伸ばしますと、大バサミ全開の両腕を限界一杯にまで拡げ

「触ると承知しねぇぞぉーッ!!」とプンプン。ぽこぷこぷこ、ぽこぽこぷぷ、と怒りの泡を吹いております。カニの背後に回り込もうとすると、カニもまたボクに呼応して回転。キミとボクは息もぴったり。さあ、フォークダンスをしようじゃないか。ええ?。などという時間を数分過ごし、ようやく一瞬のスキを狙い背後から甲羅の真ん中抑え込みに成功!。

あとは鍼(ハリ)を外すだけですが、どうせハリ先は摩耗してしまったでしょうから、外さずにハリ根元の糸をプッツリ切ります。

 

検索してみますと、中国料理の高級食材として美味、と書かれていて万歳三唱!。一瞬にして茹で上がり、甲羅も見た目より柔らか、造作もなく割れました。旨味が凝縮された肉には洗練された甘味があり、カニ好きならずとも唸るは必須!。また食べたい、また釣りたい、一杯釣りたい、で早1年。

狙って釣れるカニではなかったのですネ。絶対量も少ないようで、近年一層釣れなくなっているのが現状。これは釣り人各位の意見ではありますが…。

 

●写真はワタリガニのオスとメスのペア。ド派手な体色のオスに比べ、何とまあメスの体色の地味なことか!。クジャクさながらであります。

釣れなくなってワタリガニを諦め2年、夜釣りで突如釣れました!。

しかもオスメスのペアで上がってきたではありませんか!。50000拍手!!。

まるでバイク2人乗り状態、釣り糸が2人の体を絆の如くに複雑絡み。おそらく産卵行為の真っ最中だったのでしょう。罪悪感覚えつつも美味しくご賞味させて頂きました。合唱。

 

●甲長7センチ(オス)、5センチ(メス)。キス天秤に錘(オモリ)20号、2メートル吹き流し仕掛け3本鍼(ハリ)、ハリス2号、餌はアジ切り身短冊。