8匹の黒猫 / 近くて遠い庭先で

Title : 顔を覆う黒猫

 

 

★ 映美。えみ。このエピソードの主人公。

 

 

その女子大学生は、今日の午後もカメラ片手に見知らぬ街に出かける。

日常のとりとめなき一瞬をフィルムに収め、それを自室で鑑賞する。

上京して半年、それが最良の慰めになる

という事実に気づいて二ヶ月が経っていた。

 

快晴風速1m。郊外のひなびた住宅地、その四つ角。

身長159センチの映美より高い緑樹塀の根元、

丁度、黒紫色のネコが庭に侵入するところが見えた。

 

撮影出来ないかな。

 

近づいて見れば緑樹塀はすっかり痛んでいて、あちらこちら穴だらけ。

庭の全様は、塀に開いた穴の二つも歩き覗きするだけで

誰にでもすっかり把握出来てしまう程。

1、2、3、4、5、…。  8尾のネコが

縁側に腰かけた初老の女性から8皿分の餌をもらっている。

しかも全てが黒猫だという壮観さ。

 

凄いショットだ、これって!。

 

慌てふためき夢中でシャッターを切り続ける映美。

夢中で近づく余り、気を付けてはいても、たびたび緑樹が揺れる。

 

「何してるの?」

 

案の定だヨ。こっちに来ちゃうかなと思った通り、

彼女は不審者の居る道路に出てきた。

 

「すいません、ネコが…、黒猫が8匹もいて珍しかったんで、写真を…」

 

おばあちゃんは一人暮らしで1匹の黒猫を飼っている。たった1度だけ、

庭先に来た見知らぬ黒猫にエサを分け与えた。その翌日から

2尾の黒猫がエサをもらいに縁側に現れ、1週間もしないうちに

黒猫は総勢8尾になってしまったという。

 

おばあちゃんの推測では、ここいらに住み付いている黒猫は

これで全てではないかと。

新たに黒猫が誕生すれば、それも此処に来るに違いない。

どうして黒いのばかりなのだろう。他のは入り込む余地のない、

何か理由でもあるのだろうか。映美は首を傾げ、間があってから

 

「黒猫はクロネコヤマトみたく、相互連絡網を持ってたりしてッ」

 

不審者ではなくなった女子大生は声を上げておばあちゃんと共に笑った。

彼女が東京で見知らぬ人と立ち話をしたのは、この時が初めてだった。

 

エサは朝夕2回。用意はキツイが、毎日8匹がキチンと定時に来るので仕方がないのだとか。

 

「ほら、あのちっちゃい左端の子、後ろ足、片方引きずってる子。

あの子なんか日に3回来るときがあるのよぉー。

せめて2回で勘弁してくださいって、アタシそのたんびに

言い聞かせてるんだけどねぇー(笑)」

 

彼女には未婚の一人娘がいて、すぐそばのアパートに住んでいるという。

大きなケンカして以来2年、1度たりとも会ってもいない。

電話の1本もかかってこない。すぐ先なんだから

会いたいと思う時もあるけど、どうしても行けない。

 

その翌年、おばあちゃんが他界。

数日姿を見せない彼女のことを不審に思った隣人が通報し、

おばあちゃんの死が発覚した。

おばあちゃんの亡くなった翌日、黒猫達は、おばあちゃんの飼い猫も含め

1尾たりとも庭先に姿を現さなかった。

まるで、おばあちゃんが亡くなったことを知っているかのようだった。

その翌日も、そのまた翌日も。黒猫は一切現れなかった。

業者らが、慌ただしく度々出入りしたりしているから

警戒してるのではないか、という人も居た。

 

小雨の五月末日、疎遠だった娘が遺品整理にやって来た。

彼女の思考は真っ白な真空状態で、悲しみも後悔も何も感じられなかった。

最後に庭の紫陽花をもう一度見てから帰ろう。

娘が雨戸を開けた瞬間、彼女はキャッ!と小さく悲鳴を上げる。

数匹の黒いネコが散り散りに素早く逃げた。

 

片足を引きずる小柄な1尾だけが

逃げ損なったのか、身を固くして立ち止まり、振り返った。

娘と目が合う。

黒猫の目は、何故か娘の母の目に生き写し。

娘は唐突ににじんでゆく視界の中、胸を突く何かに突き動かされ

思わず言葉を吐く。

 

「おいでッ!」