幼児の初恋 / 不定期持ち物検査

小学1年生になった時、ボクは初めて恋心なる感情に触れた。その不思議な感覚はイカレポンチ児童をほんの数秒だけ虜(とりこ)にした。だが、ソレはたちまち当てもない前人未踏のジャングルだか地の果てだかに1人旅立ち、その後何年も消息を絶った。ボクの預かり知らぬ事実であるが。

流石に幼稚園より小学校の方が組織として遥かに規模が大きく、それゆえボクは何のおトガメもなく入学をスルーした。テロ警戒レベル1の空港ゲートを難なく通り抜けることが出来た気分のさわやかさ。

しかし本人の中身は至って愚か者のまま、何の成長も見せることなく唯(ただ)ひたすらミジンコの様にピトーン!ピトーン!と単純な躍動を見せ続けるのみなのである。顕微鏡を覗き込めば各種プランクトンの運動パターンが誰の目にもハッキリ認識されようというもの。だのにプランクトンなら分かるソレが、ただ人間の幼児に変わっただけで、何故大人達には途端に理解不能状態に陥ってしまうのであろう。甚だ納得出来ない。

ある晴れたポカポカ陽気、授業終了後、抜き打ちで机の中身点検なるものが担任の手で行われた。その発表を聞いて全身に戦慄が走ったのは恐らくボク唯1人であったろう。鈍感なボクにも事の重大さがヒシヒシと伝わってくる。段々ボクの席に近づいて来る女検閲官の魔の手。何処にも逃げ場所はない。明るい陽光降り注ぐ机の一群、そのひとつに決して見てはならぬ秘密が…。「はい。じゃぁ次は▽▽クンの机の番ですよぉ~」

机は被せフタ形式。その木製フタを覆い隠すかの様に張り付いているボクの姿はどうだ。このように情けない恰好をしたヒトをボクは知らない。

「どうしたの。寝てないで早く机を開けなさい」「う。眠い…」

ガッツリと口を閉じたアサリにベッタリと吸盤でへばりついた小ダコさながら、いつまでも抵抗続けるボクに女刑執行官の冷徹な声。「どきなさい」。

ボクは机脇に立たされ、机蓋を勢いよく持ち上げる先生。その瞬間の光景は今なおボクの心に熱い青春の劣情をたぎらせずにはおかない。薄緑色の淡い煙が立ち上り、周囲がカビの臭いで満たされた。

「ンアァァッ!!」たちまち右手で鼻と口を塞ぎ、左手はフタを閉めようか、もう少し観察してから閉めようか、の迷いで閉めかける素振り、閉めないままの素振り、の4交互。そのコッケイさは可笑し過ぎた。次第にジワジワジワ~ッとボクの顔一杯に広がる屈託なき純な笑顔。それを見た鬼は顔を一層真っ赤にして怒り爆発!!。

「これは、一体どういうことですかッ?。全然食べないで全部ここに隠してたのッ?!、今までッ!!」。

普通ならば、仲間が先生に激しく叱責されているサマを見てニヤニヤするのが小1男子。だがそれは無理だった。ゆっくりと教室をたゆたう霧のカビが頭上をゆっくり通過してゆくのが見える。皆に見える。花粉症の知識はあるもののコレはどーよ。今、この教室は宇宙人の侵略を間違いなく受けている。幼児らは蒼ざめ、立ち上がりたくとも危険な状態で躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ないヘッピリ腰。昼食のコッペパンの化石がビッシリと机の中を覆いつくし一分のスキもない惨状はどうだ。

コッペらは緑色のカビを培養し、いつくしみ、励まし、全身全霊で育んでいるのが見てとれる。その緑のオーガンディの中、ひときわ目を引くのがショッキング・ピンクの一群だ。まるで夜店の綿菓子さながらのフカフカ感、美味しそうな膨らみ具合!。ボクはたちまち興味を惹かれて目を凝らし覗き見る。

分かった!。ブドウパンだ!。ブドウだけちぎって食べた!。パン肌にブドウ跡の僅かな茶色が見てとれる!。それでだ!。他と違うカビが発生したのは!。ボクは自分の頭の良さを先生に伝えようと、彼女の上着スソを激しく引っ張り、その事実を告げた、神妙に耳を傾けていた先生の顔がみるみる激高してゆく。何で?。

「こんなこと、先生は見たことも聞いたこともありませんッ!!。▽▽クンは今から全部それを自分1人で片づけなさいッ!!」

何故だろう。その瞬間、ボクは少し離れた席に座っている女の子と目が合った。色が真っ白で将来美人間違いなしの顔立ち。彼女の美しくつぶらな瞳には侮蔑も軽蔑も驚きも、何ひとつ存在してはいなかった。ただ澄みきった目だけをしていたのだ。悪意のない純粋な目。やがて、振り返っていた彼女は何事もなかったかのように、ゆっくりと黒板側へ向き直った。ボクと彼女が互いの生涯で、接点を持った唯一つの出来事だった。

先生監視のもと、むせながらチリトリにパンの化石を入れている頃には、そんな初恋、すっかり忘れてしまった。カビには恋心を消し去る何かが、ある。

 

◆写真タイトル / よく見るがいいや

 

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