キミといつまでも / 町内会の課題

常軌逸した類(たぐい)まれなるモンキー園児であるボク。その名を地域一帯に轟かせた最大の愚行!。今回は是非ともソレを書き記さねばならない。ボクの生き物フェチは確かに常識ハズレ。大抵の児童はトンボやカエル、魚採りに興じるものだが、ボクのは違う。ボクのは訳が分からない。

小動物を捕獲所有することに全力を投入するのではなく、命を懸けるのである。よく釣り人が高波にさらわれ行方不明になるニュースが報じられるが、釣果への果てなき憧れと執着が、自然界への畏敬や畏怖の念を超えてしまった悲劇と言えるだろう。大人でさえ魅了せずにはおれない “ 狩り ”。あまり意識することはないが、釣りも魚獲りも昆虫採集も、全ては狩りなのだ。

メダカ。フナ。それらの魚影が半透明の水中を横切るを見たが最後、ボクは完全に度を失い水中に両腕を投入、出来もしない魚の素手取りにノボセ上がる。当然獲れない。網などボクは持ってない。買ってもらえない。そんな物を与えるは両親にとって自滅行為。それは我が子への死の罠、悪魔の思うツボ。

池の水を児童自動洗濯機と化し、やみくもデタラメにかき回しただけの徒労。愚かなサルは絶望と失意で、池水面につかる周囲の樹木枝を無意味に激しく揺さぶりながら、オーイオイ、さめざめと泣く。その世にも悲しい幼児のメロディ聞きつけた周囲の小鳥達、涙を目にたたえ笑い狂う。「ブァ~クゥワァァァ~!」。

その時、ガキンチョの全身に電流が駆け巡った。何だこの感触は?!。何という奇跡?。マジ?。ボクの裸足の右足が間違いなく踏んづけているようだ。恐らくフナを!!。フナぉぉぉ!!。ボクはゆっくりと腰を落とし、右手を水中にソッと突っ込み、踏みつぶしているフナを掴もうと体をクの字に。

とッ。届かないッ。くそう…。ゆっくりと水没してゆくボクの顔。少しだけ足を上げフナを掴もうとした刹那、それは瞬時に失われた。失われたのだ。すっかり、全くもって失われた。イノシシのウリンボが半狂乱で突進するかの様に、愚か発自暴自棄プンプン園児列車、岸に上がるや力尽き、脱線。

そのショックは数日経っても失われない。キリスト自らが降臨し、哀れなる園児の前に差し出したフナを、自らの手で叩き(はたき)落としてどうする。この屈辱的なる怒りを聞いてくれる人間など、ボクの周囲には1人もおらず。異常行動をとるならチワワでも恐い。そんな感じだったのだと思われる。ともかく、ボクの憤懣(ふんまん)やるかたない感情は自身の中で逆流を続け、まさに一触即発の状態であったのだろう。

初夏の夕暮れ。夕涼みの為にあつらえられた様な風、心地よいせせらぎの音。川べり流す数名の人達が交わす目のやさしさ。くつろいだ微笑み。と、山がシルエットになる直前、それが起きた。

アホンダラ幼児が、眼下4メートルの水面を食い入るように凝視している。水深約1メートル、澄み切った川の流れは緩やか(ゆるやか)。1尾の野鯉が川縁でゆっくりとくつろいでいる。大人の誰かが「大きな鯉だなぁ。丸々と太ってるじゃないか」。次の瞬間だった。声の持ち主はオノが見た光景を一生忘れることはないだろう。いや、忘れぬばかりか孫子の代まで語り継ぐよう遺言するやもしれぬ。

ほぼ垂直に園児が落下。いや、落ちたのではない。ボクは野鯉を捕獲せんと彼の上に降下したのだ!。

どぶぉぉ~ん!。「子供が落ちたァーッ!!」

すっとぼけて夕暮れの癒しタイムを過ごしていた薄紫色の見事な野鯉は、突如化け物に全身を羽交い絞めされ総毛立つ!!。むろん、鯉に毛は生えていないのだが。♪ ボクはキミを死ぬまで放さないぞ。いいだろ?と加山雄三(君といつまでも / 曲中モノローグ歌詞)に激しく共感するボクの情念を見たか?!。暴れようにも完全に全身を猿の手足でロックされた鯉は悶絶寸前、ボクと鯉とで代わりばんこに水中、水上、くるりくるりと繰り返しながら流されてゆき、2人の先に待つは深さ3メートルの滝ツボまがいのチョッとしたダム(?)。

半狂乱でかけつける母の肩を支えるは近所のオバサン。彼女の夫が現場に居合わせ、サンダルのゴム紐切かけながらも、風雲急を告げに舞い戻ったのだ!。その彼に先導され、母とお友達は髪振り乱し現場に到着。10人程の人だかりか。果敢にダイビングし、溺れる園児を低い堀の岸辺まで引き上げた功労者は30代のイケメン男性。ヒーローが「お母さんですか?!、大丈夫ですよ!!」と指さす先、

気絶した野鯉を羽交い絞めにした猿が全身ずぶぬれで横たわっている。

「▽▽!!、大丈夫ッ?!」。一瞬、薄目開け母の顔を見やる。すぐ目を閉じる。なるべく苦し気な表情をしていた方が得策なのだ。怒られないためには。

 

◆写真タイトル / 私は鑑賞用

 

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