見知らぬ誰かを全力で信じてしまう / 詐欺横行

Title : 人柄が悪そうだから

 

 

違和感を感じる。

TVショッピングなどで購入者による商品絶賛コメントが数人紹介される。これを真に受けて購入する人も多い。このことに違和感を感じる。

見知らぬ誰かの意見を真に受け信じてしまう感覚、に激しい違和感を感じざるを得ない。

絶賛コメントする人々の意見が疑わしい、信じられない、と言っているのではない。何故なら、出演している見知らぬ人が、嘘を言う人なのかどうか、どころか100パーセント信じるに足る人だという根拠が存在しないのでジャッジなど出来ようはずもない。

この世の中は、見知らぬ人に何かしらの判断を与えなければならない時、判断基準となる根拠の掲示を求める。保険証だの免許証だの学歴、経歴、紹介状や委任状、実績証明の何か、などである。

いずれも個人の発言ではなく、信じるに足る第三者が認めた何か、をもとに判断が成される。

 

詐欺が以前にも増して横行する昨今、「まさか自分が騙されるとは思いもしなかった」という被害者のコメントをよく耳にする。

芸能人や有名人のスキャンダルや犯罪ニュースが報じられ、まさかあの人が、だとか、清純だと思っていたのに裏切られた、というコメントもやたら毎度噴出する。

TVの露出度が多く、TV出演時のイメージに過ぎない虚像の姿を本人そのものだと勘違いし、あたかも人となりを知っている気になってしまう。芸能人、有名人についての詳細な記事を読んだからといって、その人の全てが分かるはずもないのに、大部分は分かっていると思い込むこと自体、既に騙されやすい人の典型になってしまっている事実に気が付きもしない。

社会的に認知されたその道のプロ、研究家でもない単なる一般人の意見など全く信用の目安になど成り得る筈もないのに、いともたやすく信じてしまう。

政治家の支持率の理由も、人柄がよさそうだから、などという残念な回答が多い。良さそう、は単なる印象であって、本来それが支持理由になっていいはずもないのだが、TVは大真面目に毎度それを発表している。

騙しやすい要素に満ち溢れた社会、騙されやすい判断基準を後生大事に抱える社会。であるならば被害件数は今後も衰えを知らぬことになる。

騙されやすい大人に囲まれて育つ子供は、顔さえ知らぬ成りすましの相手に簡単におびき出されてしまう事だろう。

根拠。根拠の掲示を求めること。根拠の詳細な説明を求めること。抽象的ではなく、こちらがキチンとした判断が出来るような、実際的な根拠を求め、それが掲示してもらえること。これなくして見知らぬ誰かとやり取りなど到底出来ないはずだ。

勿論、根拠もなく相手を信用して正当なネット取引を完了した、という事例は山ほどある。山ほどあるからといって、残念な結果にならない、不当取引が山ほどはない、という理屈になどなりはしないのである。

騙されないための自己基準を明確に確立してからだろう。何かを求めに出るのは。