喜怒哀楽コントロールのコツ/ 癒されるために

Title : 喜怒哀楽は飛んで行く。ピヨピヨ。

 

 

 

 

 

 

これまで一連の亜万田ボードを見て諸君も薄々気づき始めたように、上記ボードもまた、それらの事柄にダメ押しする驚愕の恐るべき内容である。我々はこれらの喜怒哀楽について長きに渡り苦しめられてきた。もううんざりだ振り回されるのは。そう痛感している御同輩も少なからずだと思う。喜びも怒りも、全てこのツマミをつまんでオッポリ出す、つまみ出すことが実にたやすく出来るものだったのだ。

ほがらかなピクニックの際、ジャムパンにアリが乗っているのを見た経験はおアリだろうか。座した自身の持つジャムパンにまで登頂成功し、挙句ジャムに後ろ足取られ必死の脚振りをしているアリ。これらを、いともたやすくツマみ捨てた経験が1度や2度ならずともおアリではないだろうか。

喜びに浸っていると突然誰かに冷水を浴びせかけられ意気消沈してしまう、という苦い経験。その時、その者はアナタの “ 喜 ” のツマミ、インデックスをつまみ上げ、アナタの “ 喜 ” を放り投げたということなのである。これを油断大敵と人は言う。ツマミは無防備なのだ。

“ 怒 ” のツマミをつまみ上げようものなら火に油を注ぐも同然、相手の怒りの矛先がコチラに来てしまうのではないか?。その通り。つまみ上げてはいけない。ツマミをペッタンコに手の平で軽く押しつぶすのだ。こういった鬼の角(ツノ)は早いうちに摘み取るべきではあるが無理なので潰す。人間の怒りのツマミは牛やヤギのソレとは違い、非常に柔らかく出来ている。乙女のポニーテールの先を想像して頂きたい。あれに近い。英語のQなどはツマミが下にあるが、車のハンドルが日本と左右逆、この感覚に過ぎない。同じ対処法でよい。

“ 哀 ” のツマミには大抵涙の滴が溜まっていることがしばしばある。この場合はツマミの涙を指でそっと拭い取る。誰かにしてあげる場合等は、ぬぐい取った後、それを舐めて見せると相手の信頼感をグッと惹きつけることになる。ただしこの仕草は相手がこちらを見ている時にさりげなく行うことがキモ。相手がこちらを見ていない時にそれをやり、相手が急にこちらを振り返った時、変態ではないかと冤罪を着せられないとも限らないので注意が必要である。

 

 

水が戻ると書いて涙。この意味についても我々は長きに渡り苦しんできた。涙は出るものであって、頬から目に戻るものではない。当初この涙とは目薬を指しているのではないか、とりわけ涙ロートではないかと疑われたが、そうではなかった。実家へ出戻った時にのみ流されるべきもの、それが涙だったのだ。そうでない場合に流される涙、これらは全て涙と呼んではならなかったのである。汗。汗だったのだ。

水が干されて汗と書く。確かに目から流れる汗は頬上でやがて乾く。乾くのを干すとしたのは昔ながらの表現なのだろう。汗は暑い時にかくものなので、暑い汗、がナマり、やがて熱い涙と湾曲するようになったのではないか。

“ 楽 ” のツマミに関しては、同じツマミあげる場合でもリラックスしている状況にあるわけなので、伸びをするのを補助する感じで軽く垂直に引っ張り上げてやるようなツマミ上げ方が理想的だろう。

ツマミを搭載していない愛という漢字。かつては心の上にツマミが3個も付いている鍋蓋(なべぶた)を要していた。それを誰かが塞いでしまった。愛を信じない悪魔の成せる業(ワザ)としか説明がつかない。

 

「パパの部屋からずっとブツブツ呟きが聞こえてるんだけど、アレ何なの?。ちょーキモいんですけど」と亜万田礼(あまんだれい。23歳独身)。

「講演会の依頼受けたから練習してんでしょ」と妻。